第35話 みんな大好き故郷のあの味

 朝食という時間もあってか、目的のものはすぐに揃った。


 といっても絶対に必要な材料は主に二つだけなのだが、その内の一つを一から用意しなくて済んだのは、時短の意味でも非常に助かった。


 他の材料もお祭り騒ぎ状態ということもあってか、誰もが気前よく材料を譲ってくれたので、後は部屋に戻って荷物から必要な物を回収して、俺は再び埠頭へと戻った。




「お待たせ」


 大量の荷物をもって現れた俺を見て、エレナは呆れたように眉を顰める。


「ハルト……一体何を始めるつもりじゃ?」

「まあまあ、実はカイナッツナがマグロの仲間と聞いた時から、どうしても作りたかった料理があるんだ」

「どうしても作りたかった料理……じゃと?」

「うん、俺の故郷である日本人が大好きな料理だよ」

「なんと!?」


 その言葉に、早くも目を爛々と輝かせているエレナのすぐ横に腰を下ろした俺は、持って来た物を並べていく。



「さて……と」


 包丁を取り出した俺は、無理を言って解体作業中の漁師から貰ってきた綺麗なピンク色をしたカイナッツナの身を斜めに切って、醤油、酒、みりん、砂糖、すりおろしたショウガを混ぜた漬け汁へと漬ける。


 続いて割れても大丈夫なようにと持って来たプラスチック製の丼を取り出し、食堂から大量に貰ってきたご飯を盛りつける。


 本当はここで、漬け汁に浸けたカイナッツナを一時間ほど置きたいところだが、色々と我慢の限界が来ていた俺は、手早くピンク色とした切り身を手で揉み込み、ご飯の上へと並べていく。


 そして次に取り出したのは、ゴーッ、と音を立てながら青い炎を噴出するガスバーナーだ。

 ごはんの上に綺麗に並べられたカイナッツナの身をガスバーナーで炙り、表面の色が変わったのを確認した俺は、そこに漬け汁をハケで塗ってから白ゴマを振りかけ、器の端にチューブわさびを添えれば完成だ。



「ああ……」


 本当はエレナに食べさせるために作ったのだが、


「駄目だ。我慢できない!」


 自身の好物を前にしておとなしく我慢できるはずもなく、箸を取り出した俺は手を合わせて「いただきます」と感謝の意を伝えると、箸を使って一気に丼の中身を掻っ込む。


 途端、押し寄せてくる慣れ親しんだ醤油の香りと味、そして口内で蕩けて甘味さえ感じる濃厚なカイナッツナの身とわさびのアクセント……


 もう色々と言ったがつまるところ、


「んんんんんっ、美味い!」


 この瞬間、俺は日本人に生まれてきたことを全力で感謝する。


「お、おい、ハルト。その料理を早くワシにも……ワシにも食わせてくれ!」


 俺の幸せそうな顔を見たエレナは、袖を強く引っ張りながら懇願してくる。


「ほっと、はっへへ……」


 本当はこのまま一杯目は食べ切ってしまいたかったが、旅の相棒であるエレナにこれ以上待たせるのは悪いと思い、俺は断腸の思いで彼女に丼を差し出す。


「お、おお、悪いの……どれ、ハルトがそこまで幸せそうな顔をする料理はどのような味じゃ」


 俺の食べかけの丼にも全く気にする様子も見せず、エレナは木のスプーンを使ってごはんとカイナッツナの身、そしてわさびを同時に掬うと、大きな口を開けて一気に頬張る。


「あっ……」


 わさびはちょっとでいいよ。と言おうとしたが、時すでに遅しだった。


「――っ!?」


 瞬間、わさびの刺激が鼻を突き抜けたのか、エレナが青い顔をして苦しそうにもがくので、俺は咄嗟にアドバイスを口にする。


「エレナ、鼻で息を吸って口から吐き出すんだ」

「…………」


 そのアドバイスにコクコクと頷いたエレナが言われた通りに呼吸をすると、苦しそうな顔色がみるみる元に戻っていく。



 その後はわさびの刺激に慣れたのか、ゆっくりと味わうように噛み締めたエレナは喉を動かして嚥下すると、溢れてきた涙を拭いながら感想を口にする。


「うむ、最初はちょっと驚いたが、何と美味な料理じゃ。ハルトよ、これは何と言う料理なのじゃ?」

「これはね、日本人のソウルフードの一つ……炙りまぐろ丼だよ」


 と言っても、まぐろ丼は炙らないで食べる人の方が圧倒的に多いと思うだろうが、今回俺が用意したカイナッツナの身は、ただの赤身ではなかった。


 俺がカイナッツナの解体現場に飛び込んだ時、既に背部部分の解体は終わり、下部の腹身部分の切り出しが行われていた。


 そしてマグロのこの部分にある部位と言えばそう……知る人ぞ知る希少部位、大トロである。


 その大トロ部分をダメもとで少しだけ貰えないかと頼んだら、漁師の人は気前よく一抱えもある大トロを何とタダで譲ってくれたのだった。


 ついでに他の部位も少しずつ貰ったのだが、大トロだけで丼を作るとなると、流石に油が重たいので、炙ることで少し油を落とそうというわけだ。



 結果は重畳、カイナッツナの大トロを軽く炙ったことでかなり食べ易くなり、さらに漬け汁との相性も相まって、異世界にいながら日本を深く感じられる料理が完成した。


「実は俺たち日本人は、凄いマグロが好きな民族でね。マグロと見るや、目の色を変えてしまうほどなんだよ」

「何とそうであったか……」


 俺の話を聞いて感心するエレナであったが、当然ながらそんな訳ない。


 だが、マグロが日本人にとって特別な食材であることは間違いないし、好きな寿司ネタを聞けば、マグロが一番好きと答える人も相当数いるのは間違いない。


 本当は握り寿司の一つでも作りたいと思うところだが、あれは流石に職人レベルの技術が必要で、俺の聞きかじった程度の知識で握ったところで寿司屋のそれと比べるとかなり見劣りすると思われるので、より簡単に作れる炙り丼を作ったというわけだ。



「ふむ、実に美味かったぞ」

「あっ、もう全部食べちゃったの!?」


 日本人のマグロ好きについて話している間に、エレナは全部食べてしまったようだ。


 楽しみにしていたのに、と残念そうに呟く俺に、エレナが呆れたように笑いながらカイナッツナの大トロを指差す。


「何を言っておる。まだ材料はあるのだから作ればいいじゃろう。それに、ヒンメルたちが興味津々でこちらを見ているぞ。彼等にもそのカイナッツナの炙り丼を振る舞ってやろうぞ」

「あっ、そ、そうだね」


 マグロ丼が食べたくて夢中になる余り、ここにはエレナだけじゃなくヒンメルさん一家もいたのをすっかり忘れていた。



 それから俺は、全員にカイナッツナの炙り丼を作って振る舞った。


 初めて食べるであろう醤油の味付けはヒンメルさん一家にも好評で、一抱えもあった大トロが全員の胃袋に消えるまでそう時間はかからなかった。

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