第31話 海の悪魔、その全貌

 朝の冷たい、潮の匂いがする空気を胸いっぱいに吸い込みながらのんびりと港へ向かうと、漁から戻ったであろう漁師たちが家族たちと感動の再会を果たしているのが見えた。



 その中には当然、マリナちゃんとカイト君の姿もあり、二人共涙を流しながら両親と抱き合っているのが見えた。


「あっ、エレナにハルト兄ちゃん!」


 すると、俺たちの姿に気付いたカイト君が、家族の輪から外れて弾むようにこちらにやって来る。


「凄いや、二人が言った通り、本当にパパとママが帰ってきたよ」

「フフッ、良かったね」

「うん! それでね、パパとママが兄ちゃんたちに挨拶したいってさ」


 カイト君は俺たちの手をそれぞれ取ると、笑顔でこちらを見ているご両親の下へと連れて行く。



「ハルトさん、昨晩は子供たちの面倒を見て下さったそうで、本当にありがとうございました」


 漁師らしく、真っ黒に日焼けしたカイト君のお父さんは、俺が前に立つなり深々と頭を下げる。


「はじめまして、私はマリナとカイトの父でヒンメルといいます。あちらは妻のタラサです」


 ヒンメルさんがマリナちゃんと抱き合っていた奥さんであるタラサさんを紹介すると、彼女は立ち上がってこちらに会釈をする。


 俺がタラサさんに会釈を返すと、ヒンメルさんは腰に抱きついているカイト君の頭を優しく撫でながら小さく嘆息する。


「実は……子供たちだけで、ちゃんとやっているのか不安だったのです。特にこの子は大飯喰らいで、マリナは料理ができないから、きっとお腹を空かせているのだろうと心配してました……ですが、どうやらハルトさんが夕食をご馳走してくださったそうで」

「いえいえ、こちらとしましても、昨晩はご自宅に泊めていただいてありがたかったです。それに、ごはんは皆で食べた方がおいしいですから、お子さんたちと一緒で楽しい時間を過ごさせていただきました」

「そう言っていただけると、言葉もないです」


 再び深々と頭を下げたヒンメルさんは、続いて俺の隣に立つエレナを見る。



「――っ、あなたは」


 その瞬間、ヒンメルさんの顔が凍り付く。


「なんじゃ、ワシの顔に何か付いておるのか?」


 驚愕の表情で固まるヒンメルさんに、エレナは可愛らしく小首を傾げながら尋ねる。


「ワシはハルトと共に旅する可愛い美少女、エレナちゃんだがどうかしたのか?」

「あ、ああ、それは失礼しました」


 自分で美少女とか言うなよ。と俺は心の中で思ったが、ヒンメルさんはそこの部分は特に疑問に思わなかったのか、微笑を浮かべてエレナの手を取る。


「エレナちゃんも、子供たちと一緒にご飯を食べてくれてありがとう。お蔭で子供たちが、寂しい思いをしないで済んだよ」

「うむ、存分に感謝するがよい」

「ええ、それは勿論」


 尊大な態度を見せるエレナに、ヒンメルさんは手にした彼女の手を拝むように掲げると、深々と頭を下げる。


「本当に……本当にありがとうございました」


 その態度は、エレナが銀の賢者であることに気付いているようだったが、彼女がそれを公にすることを望んでいないことを察したようだった。



 そんな咄嗟の気転を見せるヒンメルさんを見て、俺は流石だと思ったが、


「ねえ、パパ……エレナにそんな感謝する必要ないよ。こいつ、ただ飯食って喋るだけの奴だからさ」

「こ、こら、カイト……やめなさい!」


 全く状況を理解していない様子のカイト君が不満を口にするので、ヒンメルさんは慌てて息子がこれ以上は余計なことを口にしないようにしながら、何度もエレナに頭を下げていた。



 そんなちょっとした一幕があったが、気を取り直したヒンメルさんは、大きく手を広げてある提案をしてくる。


「ところでハルトさんたちは、まだ朝ごはんを食べていませんよね?」

「ええ、今さっき起きたばかりですから」

「それなら今度は私たちにご馳走させて下さい。今日は極上の獲物がありますから」

「それって、もしかして……」

「ええ、ご察しの通りです」


 ヒンメルさんは大きく頷くと、港の方に視線を向けながら誇らしげに話す。


「私たちが獲ってきたカイナッツナを使って、極上の漁師めしをご馳走しますよ」


 それは、俺たちがこの街にやって来た最大の目的への魅力的な招待状だった。




 カイナッツナを使った漁師めしとは、一体どのようなものだろうか?


 もう今からワクワクが止まらない俺だったが、まずは噂のカイナッツナが一体どんな魚なのかを見せてもらうことにする。

 


 そうして向かった先は、カイナッツナの水揚げを行うという現場だ。


「おい、違う! そっちじゃない! こっちだ。こっちにロープを引っかけるんだよ」


 水揚げ現場からは、何やら男たちの怒号が響き渡っていた。


 昨日この場所を訪れた時は、他所の国からやって来たであろう帆船がひっきりなしに出入りを繰り返していたが、今日はそれ等大型帆船の姿はなく、荷物を上げ下ろしするクレーンを必死に操作する男たちがいた。


 ……えっ、これから行われるのって、魚の水揚げだよね?


 怒号を響かせながら十台以上のクレーンを操作し続ける男たちを見て、俺はヒンメルさんに尋ねる。


「あの、これからカイナッツナの水揚げをするんですよね?」

「ええ、そうですよ」

「そうですよって……カイナッツナってそんなに大きいのですか?」

「フフッ、それは見てのお楽しみですよ」


 俺のリアクションから、カイナッツナを見たことないのだろうと察したヒンメルさんは「まあ、見ててください」と意味深に笑うだけで、それ以上は何も教えてくれない。


 それはこちらを見てニヤニヤと笑うエレナも同じようで、俺は諦めて海の底からカイナッツナが出てくるのを待つことにする。


 それにしても、カイナッツナとはどんな魚なのだろうか?


 実はさっきから何度も海を見ては魚影が確認できないかと思っているのだが、黒い水面が見えるだけで、魚影らしい魚影は確認できないのだ。


 果たして本当に、この海の中にカイナッツナなんているのだろうか?


 もしかして、この場にいる全員で俺を騙すつもりなんじゃないかと疑うくらいには、海を凝視している。



「よ~し、それじゃあ上げるぞ」


 準備が整ったのか、クレーンを操作していた男たちが一斉に引き上げための滑車を回し始める。


 そうして引き上げが始まった十数台のクレーンから伸びたロープを見ると、その全てが真っ直ぐ海の中へと降ろされており、それぞれがカイナッツナの胴に繋がっているはずだ。


「…………まさか」


 そこで俺は遠くの海面を確認し、もう一度今まで自分が見ていた海面を見て、ようやく過ちに気付く。


 魚影を探して近くの海面しか見ていなかったので気付かなかったが、俺はこれまでずっとカイナッツナの魚影を見ていたのだ。


 それに気付かなかったのは、俺がカイナッツナの大きさを見誤っていたからだ。


 大きい大きいとは聞いていたが、それでもカジキマグロぐらいの大きさを想定していた。


 だが、ここは異世界で、俺の世界の常識など通用しないのだ。


 巨大な水飛沫を上げながら引き上げられていくカイナッツナの胴体は、俺の想定をはるかに超えてどんどんと上昇を続けるが、まだその全貌が露わにならない。



 まるで目の前に巨大な山がいきなり生えてきたかのような迫力に、俺はどんどんと首を上へと向けながらあんぐりと口を開ける。


 そうして胴全体が海面へと姿を現す頃には、俺の周囲はカイナッツナが落とす影によって、朝方なのに日暮れ時のように薄暗くなっていた。


 エレナではないが、こういう時にもっと気の利いた言葉が出てくればよかったのだが、生憎と俺が発した言葉は非常にシンプルだった。


「デ、デケェ……」


 露わになったカイナッツナは、地球で一番大きな動物種と言われるシロナガスクジラを遥かに凌ぐ、優に五十メートルはある超巨大な魚だった。

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