第30話 夜を切り裂く銀閃

 この日は、マリナちゃんのご厚意で彼女の家に泊めてもらうことになった。


 綺麗に整えられたゲストルームに案内された俺たちは、体を洗う魔法を使って身綺麗にしたエレナに問いかける。


「それで、これから行くの?」

「……何がじゃ?」


 俺からの問いかけに、エレナはキョトンと可愛らしく小首を傾げてみせる。


「ハルトこそ、訳のわからないことを言ってないで早く寝るがよい。明日はきっと朝から街が賑やかになるから、悠長に眠る暇などないぞ」


 そう言ってエレナは「先に眠るぞ」と言って、早々と自分に宛がわれたベッドに入ってしまう。



「…………」


 とっとと眠ってしまったエレナを見て、薄情とかそういった気持ちは微塵もない。


 それはきっと、エレナなりの俺へと気遣いであるからだ。


 だとすればここは銀の賢者様に全幅の信頼を寄せて、何もかも彼女に任せるのが妥当だろう。


「おやすみエレナ、また明日ね」


 エレナの背中に挨拶をした俺は、自分のベッドへと入る。

 用意されたベッドは少しだけ潮の香りがしたが、ふかふかで非常に寝心地はよかった。


 海の近くだからか、波の満ち引きが奏でる涼やかな音を子守唄に、俺はまどろみの底へ沈んでいった。




 その日の夜、俺は不思議な夢を見た。


 銀の髪をなびかせて高速で大空を飛ぶ女性のすぐ背後から、まるで背後霊のようにぴったりと背後から追従する夢だ。


 空を飛ぶなんて現実には有り得ないし、肌を撫でる風の冷たさを感じることも、空気の薄さに息苦しさも感じることもないので、これは夢だと気付いたが、それでも夢にしては目に映る景色が随分とリアルだと思った。



 最初は静かな夜を切り裂くように飛んでいたのだが、前方に黒い大きな雲が見えたかと思ったら、やがて吹きすさぶ嵐へと変わる。


 暫く嵐の中を飛び続けていると、荒れ狂う波にもまれたのか、転覆した船に掴まって助けを待つ漁師たちが見えてきた。


 それを見た女性は、夜の闇を切り裂くような銀閃と共に漁師たちに向けて急降下する。



 海面スレスレで停止した女性は、荒れ狂う嵐の中でも一切濡れることなく、平然と海面に浮かんでいた。


 突然現れた謎の女性に驚き固まる船員たちを尻目に、女性は手をかざして印を結び、転覆した船をあっさりと元に戻してみせる。


 続いて女性が再び手をかざして印を結ぶと、見えない力によって海に落ちた船員たちが次々に船に掬い上げられる。


 何が起きたか理解できず混乱する船員たちに、女性は手を上げると、指先から銀色の光をある一点に向けて放つ。



 まるで船員たちが返るべき道標を示してみせた女性は、今度は両手を天に掲げてまた別の印を結ぶ。


 すると、さらに信じられないことが起こる。


 女性の手から見えない何かの力が発せられたと思ったら、嵐の元凶である真っ黒な雨雲が一瞬にして吹き飛んだのだ。



 嵐の原因がなくなり、海が平穏を取り戻したのを確認した女性は、現れた時と同じように銀閃と共に立ち去っていった。


 女性が立ち去ると同時に俺の視界がホワイトアウトしていき、やがて何も見えなくなって俺の意識もそこで途切れた。



 後に残された船員たちがその後どうなったかわからないが、きっと朝までには無事に港に帰還できるのだろう……そんな予感がした。




「…………ん?」


 ――翌日、何やら外からの喧騒が聞こえ、俺の意識が覚醒する。


「全く、騒がしいのう……」


 俺が身を起こすと同時に、反対側のベッドから気怠そうな声が聞こえる。

 声に反応して目を向けると、子供の姿のエレナが身を起こして大きく伸びをしているのが見えた。


 寝癖でボサボサになっている頭をガリガリと掻いて盛大に溜息をしているエレナに、俺もベッドから身を起こして彼女に挨拶する。


「エレナ、おはよう」

「うむ、おはようなのじゃ」


 いつもと同じ調子で挨拶をしてくるエレナを見て、俺は昨夜見た夢が本当にただの夢だったんじゃないかと思う。



「ハ、ハルト兄ちゃん、大変だ!」


 だが、物凄い勢いで部屋に入って来たカイト君によって、その心配が杞憂だったと知る。


 初めて会った時とは打って変わり、満面の笑みを浮かべたカイト君は、興奮冷めやらぬ様子で叫ぶ。


「パパとママが帰ってきたんだ! エレナが言う通り、朝一で他の漁師たちと一緒に帰ってきたんだ!」

「そうなんだ。よかったね」

「うん! それに、とびっきりデカいカイナッツナを獲ってきたんだ。たった今、港で水揚げしてるから兄ちゃんたちも見に来てくれよな!」


 そう言って乱暴に扉を閉めると、複数の足音が外へと駆けて行く音が聞こえてくる。

 どうやら一刻も早く両親に会うために、姉弟揃って港へと駆けて行ったようだ。



「……全く、騒がしい子供じゃのう」


 嵐のように去っていったカイト君に呆れたように笑いながら、エレナはのっそりとベッドから降りる。


「それじゃあワシ等も、そのカイナッツナとやらを見に行かぬか?」

「うん、そうだね」


 二つ返事で了承した俺は、ベッドから飛び起きて身支度をする。


 といっても、エレナの魔法のお蔭で普段から衣類の清潔さは完璧に保たれているので、髭剃りでサッと髭を剃り、櫛で髪の毛を軽く直す程度だ。



 その間に自分の髪の毛を綺麗に結っているエレナに、俺はそっと声をかける。


「その……エレナ、お疲れ様」

「なんのことじゃ? ワシは何もしておらんよ」

「それでもだよ。何となくエレナに感謝したかったんだ」

「フッ、ヘンな奴じゃのう」


 呆れたように笑うエレナだったが、その顔はまんざらでもない様子だった。


 それからはお互い特に会話を交わすことなく手早く身支度を整えると、人々の喧騒で賑わっている港へ向けて肩を並べて歩き出した。

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