第26話 姉弟ゲンカ

 今日の荷揚げは全て終了したのか、茜色に染まるフロッセの街の港は、昼間の喧騒が嘘みたいのように静まり返っていた。


 …………綺麗だな。


 水平線に沈む夕日を眺めながら閑散とした埠頭を歩き、未だに海の先を眺めている男の子へと近付く。



 とうに俺たちが視認できるはずの距離まで近付いているのに、まるで歯牙にもかけない様子の男の子に、俺は警戒心を抱かせないようになるべく陽気に話しかける。


「やあ、こんにちは……いや、もうこんばんは、かな?」

「…………」


 殊更明るい声で話しかけてみたが、少年は表情一つ変えず、俺の方を見向きもしない。


 予想はしていたが、全くのノーリアクションというのも少し悲しい気持ちになる。


 俺はエレナと顔を見合わせて小さく頷くと、男の子の視界を遮らないように隣に並んでもう一度話しかける。


「昼間からずっと海を眺めているよね。何か探しているの?」

「…………」

「もうそろそろ陽が沈むけど、お父さんかお母さんが心配したりしないのかな?」

「…………心配なんかしないよ」


 おっ、ようやく反応があった。


 小さな声で呟かれた声に反応して顔を向けると、男の子は頬を膨らませて不貞腐れた顔をしていた。


 どうやらこの男の子は、両親と何かトラブルがあったようだ。



 話の糸口を見つけた俺は、男の子の隣に腰を落として同じ目線で海を眺めながら話す。


「そんなことないよ。ご両親は君のことを絶対に心配してるよ」

「心配なんかしないよ。だって……」

「だって?」


 震えるような声に反応して男の子の方を見ると、彼の目からボロボロと大粒の涙が零れていた。


「だってパパもママも、昨日に帰って来るって言ってたのに、帰って来ないんだ!」

「えっ……」

「きっとカイナッツナにやられちゃったんだ。皆は大丈夫だって言うけど、本当はもう死んじゃったんだ。ううっ……うわあああああああああああああああああああぁぁぁん!!」


 溜まっていた感情を爆発させた男の子は、堰を切ったように大声を上げて泣き出す。



 男のがいきなり泣き出してしまうとは思わなかった俺は、慌てて宥めようとする。


「あわわ……ご、ごめんよ。泣かすつもりはなかったんだ」

「わあああああああああああああああああああぁぁぁん……パパ……ママァ…………」


 泣き止んでもらおうと必死に宥めるが、男の子は全くこっちに言うことなど聞いてくれない。


 ここまで取り乱すとは思っていなかった俺は、振り返ってエレナに助けを求める。


「エレナ……どうしよう」

「ワ、ワシに振るでない。子供は……子供は苦手なのじゃ」


 エレナも今は子供になっているじゃないか。という俺の期待も空しく、彼女はいやいやとかぶりを振って俺たちから距離を取る。



 このままでは、子供を泣かした不審者として誰かに通報されかねないのでは? そう思っていると、


「こらあああああああああああああああああああああぁぁぁ!」


 何処からか、可愛らしい叫び声が聞こえてくる。

 声の方に目を向けると、男の子によく似た顔立ちの女の子がこちらに走って来るのが見えた。



 勢いよくやって来た女の子は、素早く俺と男の子間に割って立つと、こちらを睨みながら怒鳴る。


「ちょっと、カイトに……なに私の弟を泣かしてるのよ!」

「えっ、弟!? ということは?」

「私はマリナ。そこで泣いているカイトの姉よ!」


 見たところ十代半ばと思われるマリナと名乗った少女は、埠頭に駆け抜ける強い風によってたなびく赤いスカートを押さえようともせず、仁王立ちして俺をビシリ、と指差しながら捲し立てる。


「さあ、悪人共。カイトに一体何をしたの? ことと場合によっては、ただじゃおかないわよ」

「い、いや、実はだね?」


 どう見てもこの少女にどうにかされるとは思わないが、それでもこちら側が悪いことは確かなので、俺は怒り心頭といった様子の少女に、これまでの経緯を説明していった。




「そう……だったんですね」


 意外にも俺の話をすんなり聞いてくれたマリナちゃんは、まだ泣き止む様子のないカイト君の頭をわしゃわしゃと撫でる。


「すみません、カイトのことを気遣って下さったのに、悪人扱いしてしまって」

「いやいや、それよりよく俺の言うことを信じてくれたね」

「それは……」


 マリナちゃんは俺の隣に立つエレナをちらと見る。


「私と同世代の子供を連れて旅をしているあなたが、カイトに悪さをするはずがないと思いましたから」

「そう……なんだ」


 マリナちゃんに子供呼ばわりされたエレナが眉を顰めたのが見て取れた俺は、慌てて少女の視界から銀の賢者を隠しながら愛想笑いを浮かべる。


「当然のことをしたまでだよ。困っている子供がいたら、誰だって声をかけるだろ? ハハッ、ハハハ……」

「そうですか」


 ちょっと無理があったかと思ったが、マリナちゃんは素っ気ない態度で頷くと、ようやく泣き止んだカイト君の手を取る。


「それじゃあ、後は私がカイトを引き取りますから……ほら、カイト。帰るわよ」


 そう言ってマリナちゃんがカイト君を連れ出そうとするが、


「やだ!」


 カイト君はマリナちゃんの手を振り払うと、犬歯を剥き出しにして威嚇をする。


「帰りたくない!」

「ど、どうしてよ」

「だって姉ちゃんが作るごはん、おいしくないんだもん!」

「なっ……しょ、しょうがないでしょ! だってパパとママがいないんだから……」

「だからここでパパとママ帰って来るのを待つんだ。姉ちゃんが作るマズいご飯を食べるくらいなら、ここで死んだ方がマシだ!」

「あ、あんたね……」


 いーっ! と嫌悪感を露わにするカイト君に、マリナちゃんは怒りを堪えるようにふるふると震え出す。


 だが、カイト君の言うことは事実なのか、マリナちゃんは顔を伏せて悔しそうに歯噛みする。


「…………」

「…………」


 そのまま姉弟は、埠頭の上で無言のまま睨み続ける。




「…………ハルトよ」

「わかってるよ」


 睨み合ったまま動かない二人を見て、エレナが呆れたような声を上げるので、俺は頷いて応える。


 二人の気が済むまで待っていてもいいのだが、陽が落ちた後の真っ暗な埠頭は危ないし、さっきから随分と気温が下がって来ている。

 このまま放っておいて揃って風邪でもひかれたら、知り合ってしまった以上、目覚めが悪いと思った。


 ここは大人として、俺が一肌脱ごうと思った。

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