第23話 スパイスパラダイス

 中年男性の言う通り、きっかり一時間ほどで目的地であるフロッセへと辿り着いた。


 改めて男性に礼を言って荷馬車から降りた俺は、体に着いた藁を払いながら目の前に広がる光景を見やる。



 トレの村が大樹、リブラの樹を中心として木造建築を主とした村づくりをしていたが、フロッセの街は海が近い所為か木造建築は殆どなく、眼下に見える建物は全て石造りだった。


 まるでギリシャのサントリーニ島を思わせるような真っ白な建物群は、青い海と見事なコントラストを描き、まるで真夏の透き通るような青空と、天を貫く入道雲のようだった。


 彼方に見える港には多くの船が停泊してあり、今も一隻の大きな帆船が港に入って来るのが見えた。


 正に活気溢れる港町という明るい雰囲気に、俺のテンションは早くもかなり高くなっている。



 涼やかに通り抜ける海風を全身に浴び、その心地良さに少し冷静さを取り戻した俺は、とてとてと緩やかな足取りで隣にやって来たエレナへと話しかける。


「すごくいい雰囲気の街だね」

「そうじゃな、以前は立ち寄っただけで滞在はしておらぬのじゃが、街の活気は当時と変わらぬな」

「そうなんだ。じゃあ、今日はゆっくりと観光しようか?」

「うむ、参ろうぞ」


 俺たちは互いに顔を見合わせて頷き合うと、今も黒山の人だかりができている港へ向けて歩きはじめた。




 港へと辿り着くと、予想をはるかに上回る人の活気で溢れていた。


 船から次々と積荷の上げ下ろしをしている埠頭から少し離れると、そこかしこに様々な露店が開かれていた。


「さあさあ、異国の香辛料がたくさんあるよ。安くしておくから、見ていって損はないよ!」

「綺麗な宝石には興味ないかい? これさえあれば、どんな不機嫌な奥さんとも仲直りできるし、気になるあの子も振り返ってくれるようになるよ!」

「今日捕れた新鮮な魚だよ! どれも美味くて安いよ!」


 売っている商品も多岐にわたっているが、商人の装いも異国情緒溢れており、見ているだけでとても興味深かった。



 そんな中、俺の足は港に着いた時から鼻孔をくすぐられ、辛抱堪らなかった香辛料の店へと向かっていた。


 大きな声で客寄せをしている褐色の店主に近付いた俺は、店の中を指差しながら彼に尋ねる。


「少し見せてもらっていいですか?」

「おっ、どうぞどうぞ。どれも故郷から持って来た自慢の一品だよ」

「なるほど……」


 俺はコクコクと頷きながら、整然と並べられた香辛料が入った麻袋を眺めていく。

 色とりどりの香辛料は、俺の世界でもよく見るものが多く、シナモン、クミン、コリアンダーにカルダモンといったスパイスを見ていると、この世界にもカレーがあるのだろうかと思ってくる。


「どうだい、何か気になる物はあるかい?」

「そうですね……」


 店前に山と並べられた一通りの商品を眺めた俺は、次に奥にある少々値が貼りそうな量が少ない商品を見ていく。


「あっ……」


 奥の棚に並べられた初めて見る香辛料を見つけた俺は、その商品について店主に尋ねる。


「そこにある変わった色の香辛料は何て言うのですか?」

「ああ、これかい?」


 俺の質問に、店主は小さな瓶に入った水色の粒コショウのような商品を手に取る。


「こいつは海の恵みの結晶と呼ばれるマリーゼだ。小粒だが、インパクト絶大の香辛料だ」

「へぇ……」

「よかったら一つ、味見してみるかい?」

「えっ、いいんですか?」

「構わないよ。後でたっぷり買ってくれればいいからさ」


 店主はさらりと恐ろしいことを言いながら、海に似た色をしたマリーゼを差し出してくる。


「それじゃあ、遠慮なく」


 一体幾らほど払えばいいのかと思ったが、それより初めて食べる香辛料への興味の方が勝った俺は、マリーゼを一つ摘んで口に放り込む。


「んぎぎっ!?」


 次の瞬間、激しい塩気と脳まで貫くような凄まじい苦味を感じ、俺は堪らずしかめ面をする。


「どうだ。凄いだろう?」


 俺の反応を予想していたのか、店主は木製のカップを差し出してくる。

 慌ててカップを受け取って中身を飲むと、レモンの爽やかな酸味が広がって口の中の苦味をさらってくれる。


 一気にレモンの入った水を飲み干した俺は、カップを店主に返しながら感想を告げる。


「た、確かに凄いですね」


 海の恵みというからある程度の塩気は覚悟していたが、それを上回る苦味まで感じるとは思わなかった。

 塩気と苦味、二つの要素を持つ香辛料には驚きだが、果たしてこれを上手く扱えるかと言われると、正直自信がない。


 一人で考えてもいい答えは出そうにないので、俺は素直に店主に聞くことにする。


「ちなみにですが、これはどうやって使うのですか?」

「ああ、こいつは基本的に水に入れて加熱して使うんだ。すると、苦味が消えて、程よい塩気だけが残るんだ。こいつで作ったスープはなかなかのものだぜ」

「えぇ……それってつまり、生で食べるものじゃないってことですよね?」

「そういうこった」


 店主はしてやったりという顔をすると、豪快に「ハハハ」と笑い声を上げる。


「はぁ~、やってくれましたね」


 店主のイタズラにまんまとしてやられたというところだが、別にそこまで悪い気はしない。

 人懐っこい人が多い市場ではこういったジョークは日常茶飯事だし、金を払わずに貴重な経験が得られたと思えば、むしろ儲けものである。



 俺は全く気にしていないのか、それでも店主は少しバツが悪そうな顔をしながらある提案をする。


「兄さん、悪かったな。お詫びと言ってはなんだが、多少は値段の面倒を見るから、好きなのを選んでくれ」

「わかりました。それじゃあ遠慮なく……」


 俺はおとがいに手を当てて汎用性が高い香辛料……ニンニク、ショウガ、唐辛子といった定番商品を必要な数だけ買いながら、他に面白いものはないかと探す。



 すると、


「おっ……」


 俺は店の奥にひっそりと置かれた赤く細長い品を見て、店主に確認するように尋ねる。


「あれも売り物ですか?」

「あれかい? ああ、勿論だ。ただ、あれは残念ながら人気がなくてね」

「そうなんですか?」

「ああ、私の国ではよく使われるんだけどね。やはり用途が限られるのと、値段が張るからね……本当はこの国の人にも喜んでもらいたくて持って来たんだけどね」

「なるほど……」


 自分の国からお気に入りの商品を持って来たのに、それを受け入れられないのは悲しいものだ。


 少し寂しそうに笑う店主を見て、俺はちらとエレナの顔を見て伺いを立てる。


 エレナは片眉だけ器用に吊り上げて「好きにせい」というように苦笑してみせるので、俺は店の奥を指差しながら店主に話しかける。


「それじゃあ、その香辛料売ってもらえますか?」

「えっ? そ、それは構わないけど……本当にいいのかい?」

「ええ、勿論です。それにですね……」


 俺は必要な代金をエレナから受け取りながら店主に笑いかける。


「この香辛料を使えば、この街にピッタリの料理を作れるんですよ」


 その言葉に、店主は面食らったような顔をするので、俺はその料理について店主に説明しておいた。

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