第2章 海の悪魔鍋の地獄鍋

第22話 デザートは別腹……じゃありません

 雲一つない蒼穹の下、黄金色に輝く小麦畑を突っ切る土を固めただけの道を、干し草を満載した荷馬車がカラコロと軽快な音を立てながら進む。


 吹き抜ける風は心地良く、山と積まれた干し草のクッションが地面の凹凸を相殺してくれることもあり、荷馬車に揺られるだけの身分としては、今にも睡魔に屈してしまいそうであった。


 うつらうつら、とゆっくりと船を漕ぐ俺の名前は蘇芳春斗すおうはると、元々は日本で小さな料理店をやっていたが、ひょんなことから銀の賢者と呼ばれるエレンディーナ・マギカ・アルジェントと出会い、彼女が住む異世界へとやって来た。


 その目的は、ウイルスのない世界で思う存分に食べ歩きを満喫すること。


 旅の一切の心配はエレナが請け負ってくれるとのことなので、代わりに俺は彼女が満足するような料理を振る舞うと約束している。



 そんな少し変わった契約関係の俺たちの旅の次の目的は、港町フロッセでの新鮮な魚介を使った漁師めしを堪能すること。


 今はフロッセに向かうという荷馬車に相乗りさせてもらってのんびりと長閑な田舎道を進んでいるのだが……正直なところ、少々暇を弄んでいる。

 さらに朝食を食べ終えて満腹感を抱いていることもあり、この弛緩した空気が眠気に拍車をかけていた。


 ああ、ヤバイ……せっかくだからこのまま寝てしまおうかな?


 そんなことを考えていると、


「ふああぁぁぁ……」


 俺の隣で同じように横になっている銀髪の美少女が、盛大に欠伸をしながら溢れてきた涙を拭う。


「……お腹空いたのぅ」

「そうだね…………って、えっ?」


 自然と零れ落ちたまさかの一言に、驚いた俺は飛び起きて、むにゃむにゃと半分眠りながら腹を擦っているエレナを見やる。


「お腹空いたって、ついさっき朝食を食べたばかりじゃん」


 今日の朝食は、モルボーアの肉をたっぷり使ったミルクシチューに、トレの村で買ってきた子供の顔くらいのサイズがあるライ麦パン、そしてデザートとしてリコを一人一個と、大食漢のエレナでも満足できるようにと、中々にヘヴィーな食事量であった。


 しかもエレナはシチューを何杯もおかわりし、鍋に残った僅かなシチューもライ麦パンを器用に使って一滴も残さずに食べ切ってくれた。



 お蔭で洗い物も楽になって非常にありがたかったのだが、あれからおよそ二時間……いくら何でも腹が減るのは早過ぎじゃないだろうか?


「もしかして朝食……足りなかった?」

「ん? そんなことないぞ。ただな……」

「ただ?」

「朝食後、ハルトが何やら美味そうなもの作っておるのを見てたらこう……わかるじゃろ?」

「ああ、なるほど……」


 赤い顔をして必死に自分の気持ちを訴えてくるエレナを見て、俺は彼女に何が起きたのかを理解する。



 エレナの状況を一言で言い表すと『デザートとは別腹』というやつだ。


 多くの人が経験あると思うが、満腹になったと思ったのに、目の前にケーキや果物を出されると、不思議と食べられてしまうあれだ。



 朝食後、俺は移動中にエレナが腹を空かせたことを考えて、歩きながら摘める軽食を作った。


 別に隠れて料理をしていたわけではないので、当然ながらエレナはそれを見ており、彼女が調理されたものを見て食べたいと願ったことで、体がそれに応えるために胃を活発に動かして食べた物を通常より早く消化したのだ。


 つまり、デザートは別腹と言うが、実際は単に胃が活発に動いてデザートが入る隙間を作っただけで、別腹でも何でもなくしっかりとお腹に蓄積されているので、ダイエット中の人は気を付けたいところだ。



 しかし、多くの女性の悩みであるダイエットとは無縁そうなエレナは「ぐぅ~」と空腹を訴えてくる腹を押さえながら、上目遣いで懇願する。


「のう、ハルトよ。お主が作っていたおいしそうなアレ……食べさせてもらえんか?」

「フフッ、いいよ」

「本当か!?」


 子供姿のエレナにそんなキラキラとした目で懇願されたら断るわけにもいかず、俺は苦笑しながらおやつに食べようと作っておいたものを取り出す。


 それは三角形の形をした小さな揚げ菓子だった。


 これはインドで食べたサモサをアレンジしたもので、昨夜のうちに薄力粉、油、塩を練って生地を作っておき、中身に本来詰めるカレーの代わりに、リコの果実を果汁と一緒に煮詰めたものを入れて、油できつね色になるまで揚げたフルーツサモサだ。


「ムフフ……これじゃこれじゃ、作っている時から食べとうて仕方なかったのじゃ」


 鼻息を荒くさせながら、エレナはフルーツサモサへと手を伸ばして大きな口を開けて一気に頬張る。


 サクサクと小気味いい音を立てながら咀嚼するエレナの顔が、一噛みするごとに喜色に染まっていく。



 幸せそうに双眸を細めたエレナが顔を上下させてフルーツサモサを嚥下すると、満面の笑みを浮かべて感想を話す。


「実に美味いぞ。リコの実を煮たことで酸味が抑えられ、甘味が際立っておるな。それを包む少し塩気のあるサクサクの生地との相性も抜群で、永遠に食ってられるぞ」

「ハハッ、お気に召していただけたようで何よりで」

「うむ、至高のひと時じゃ」


 エレナは満足気に頷きながらあっという間に一個目のフルーツサモサを食べ切ると、すぐさま二つ目のフルーツサモサへと手を伸ばす。



 このまま全部エレナに食べさせてもいいのだが、せっかくだからと俺は立ち上がって藁の中を進み、俺たちを荷馬車に乗せてくれた中年男性へと話しかける。


「あの……よかったらこれ食べませんか?」

「おっ、いいんか?」

「ええ、俺たちを乗せてくれたせめてものお礼です」

「そんなの気にせんでええのに……まっ、くれるって言うなら遠慮なくもらうよ」


 中年男性は、仕事人らしいゴツゴツした指でフルーツサモサを掴んで一口で頬張る。


 そうしてゆっくりと咀嚼しながら、エレナと同じように幸せそうに双眸を細める。


「…………こりゃあいい、疲れた体に染み渡るな~」


 名残惜しそうに指まで舐めながら、中年男性は「ありがとな~」と俺に礼を言った後、ゆっくりとした動作で前方を指差す。


 何事だろうと思ってそちらを見ると、ゆったりと登っていた坂道が終わり、峠を越えそうだった。


「あの丘を越えたら、もう間もなく町が見えてくるぞ」

「本当ですか?」

「ああ、そしたら後はひたすら下るだけだ。街まではもうあと一時間ってところだな」


 そう言った中年男性は二カッ、とやや黄ばんだ歯を見せて笑う。


「旅の方、遠いところへようこそ。港町、フロッセ街へ」

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