閑話休題その1 圧力鍋

第21話 魔法は地味じゃなきゃダメですか? はい、ダメでした。

 俺の名前は蘇芳春斗すおうはると、元々は日本で小さな料理店をやっていたが、ひょんなことから銀の賢者と呼ばれるエレンディーナ・マギカ・アルジェントと出会い、彼女が住む異世界へとやって来た。


 その目的は、ウイルスのない世界で思う存分に食べ歩きを満喫すること。


 旅の一切の心配はエレナが請け負ってくれるとのことなので、代わりに俺は彼女が満足するような料理を振る舞うと約束している。


 そんな少し変わった契約関係の俺たちの旅は、至って順調だった。


 そう、俺が余計な一言を口にするまでは……




 ことの始まりは長閑な河原を歩いている時、昨日まで滞在していたトレの村で貰ったモルボーアという癖のある肉を、柔らかくする調理方法について話していた時だ。


「ほほぅ、肉を柔らかくするのにそんな方法があるのか。いやはや、ハルトの知識の豊富さは、さながら魔法のようじゃな」


 なんて銀髪の美女に褒められたものだから、俺はつい調子に乗って以前から気になっていたことを口にしてしまったのだ。


「そういえばエレナが使う魔法って、なんだか地味だよね」

「…………」


 その瞬間、エレナの顔から一切の表情が消える。


 あっ、ヤバイ……地雷踏んだかも。


 余計な一言を言ってしまったと後悔していると、エレナは突如として川岸に向かって歩いていく。


「あ、あの……エレナさん?」


 俺の問いかけを無視して、エレナは右手を掲げて平らな岩を二つ、魔法で動かして並べたかと思うとその片方に腰を下ろす。


「…………」


 続いて、無言のまま空いているもう一つの岩を指差す。

 いいから座れ。ということだろう。


「……はい」


 俺は覚悟を決めて小さく頷くと、エレナが座る岩より一段低い岩へと腰を下ろす。

 必然的にエレナを見上げる形となった俺は、恐る恐る彼女に尋ねる。


「あの、俺、余計なことを言いました……よね?」

「うむ、そうじゃな」


 エレナは鷹揚に頷くと、本題を切り出す。


「ワシの魔法が地味じゃということじゃが、ハルトは魔法とはどんなものだと思っているのじゃ?」

「そ、そうだね、俺の中で魔法っていったら……」


 小さい頃から慣れ親しんだゲームやアニメ、小説や映画でも魔法使いが使う魔法は前段階としての詠唱、声高々に宣言する魔法名、そして派手なエフェクトと音と相場が決まっていた。


「なるほどのぅ……」


 俺の意見を聞いたエレナは、呆れたように嘆息して肩を竦める。


「もし、そんな魔法の使い方をする奴がいたら、そいつは三流以下じゃな」

「…………そうなの?」

「当たり前じゃ! 呑気に魔法の詠唱を唱え、魔法名を発したところで、それが真っ直ぐ飛ぶ性能の魔法で、攻撃の瞬間に派手に光る魔法じゃったらどうする?」

「……射線からズレるね」

「そうじゃ、つまりはそういうことじゃ」


 エレナはピン、と指を立てて順序立てして説明する。


「有能な魔法とは、大前提として誰にも気付かれないことが重要なのじゃ。いつ、何処で、誰が使ったかも悟られずに対象に影響を及ぼすものじゃ。それができてこその一流じゃ」

「なるほど……」


 確かに考えてみれば、エレナの言うことは尤もだ。


 どんな強力な魔法でも、いつ、どんな魔法が来るかがわかってしまえば、対処するのは難しくないのだろう。


 ドラマチックな展開が求められるフィクションでは、派手な演出やエフェクトなどが求められるのだろうが、実戦ではそういった過剰な演出は邪魔以外の何者ではないというわけだ。


「理解したか?」

「つまり何が起きているのか悟られないエレナの魔法は、めちゃくちゃ凄いってことだね」

「そういうことじゃ」


 地味だけど……と思ったが流石に口に出すような愚は犯さない。

 生徒役である俺の解答に満足したのか、エレナは満足そうに何度も頷く。


「さて、ワシの偉大さを理解したところで……今日は特別じゃ。ハルトにワシの凄さを見せてやろう」

「はぁ……」


 何だか嫌な予感しかしないが、エレナの次の言葉を待つ。


「ハルトよ。今からさっき話してくれたモルボーアを柔らかくする方法を試すぞ」

「えっ、そうは言ってもあれはあの調理器具がないとめちゃくちゃ時間が……」


 そこで俺はハッ、とあることに気付く。


「もしかして……」

「そのもしかしてじゃ、その調理器具の役目、ワシが魔法でやってやろうではないか」


 自信満々のエレナに「ささ、早く準備するのじゃ」と言われては反論することもできないので、俺は荷物を下ろしてごはんの準備を始める。




 今から俺が作るのは、モルボーアの肉を使った煮豚だ。


 知っている人も多いだろうが、煮豚は豚ブロックに味付けをしてトロトロになるまで手間暇かけて煮込む料理で、プロの料理人が作れば、歯を使わなくても噛み切れるほどの柔らかさになる肉料理だ。


 だが、そこまでの領域の煮豚を作るにはとても時間がかかり、最低でも二時間、場合によってはもっともっと時間がかかる料理だ。

 そんな手間暇かかる工程を僅か数十分にまで短縮できる魔法の調理器具がある。


 その名は圧力鍋、最近では一般家庭でも広く使われるようになった調理器具だ。


 その仕組みは、空気や液体が逃げないように密封した容器を加熱し、大気圧以上の圧力を加えて封入した液体の沸点を高めることで、通常より高い温度と圧力の下で食材を短時間で調理することを可能した調理器具だ。byウィキペディア。


 といっても、意外に使い方はデリケートで、何も知らずに時短になると思って適当に使うと爆発して大惨事に巻き込まれる恐れがあるので、使う時は必ずレシピや取扱説明書をよく読み、長時間目を離さずに使う必要がある。


 そんな圧力鍋の役目を、エレナは魔法で行うというのだ。


 果たして俺の説明だけでどれだけエレナが圧力鍋について理解できたのは疑問だが、彼女がやりたいというのなら任せてみようと思った。



 モルボーアのブロック肉にフォークを使ってブスブスと穴を開けた後、油を引いた鍋で全部の面を焼き色が付くまで焼き、水、醤油、酒、みりん、スライスしたショウガを鍋の中に入れ、蓋をして火にかけたところでエレナに声をかける。


「じゃあエレナ、加圧をお願いできる?」

「うむ、任せるのじゃ」


 大仰に頷いたエレナは、右手を鍋へ向けて掲げる。


「…………」


 だが、相変わらずそれ以上の変化はなく、ただ、火にかけられた鍋がグツグツ煮えているだけだった。


「…………」


 相変わらず地味だと思うが、ここで何か余計なこと言うと、またへそを曲げられそうなので黙って推移を見守ろうと思う。



 だが、


「…………あれ?」


 そこで俺はある異変に気付く。


 気のせいか、何だか自分の体が引っ張られているような気がするのだ。


 いや、気のせいではない。ズズズ、と地面を擦るようにして俺の体が鍋に向かって吸い込まれているのだ。


「あ、あの……エレナさん?」


 何だか急に怖くなった俺は、地面に爪を立てて踏ん張りながらエレナに質問する。


「何だか体が鍋に引っ張られているんだけど……」

「ああ、それはそうじゃろ……」


 そう言ってこちらを見たエレナは、実に口角をニンマリと吊り上げ、底意地の悪い顔で笑う。


「何故なら加圧するために、重力を操っておるからのぅ」

「ま、まさか……」


 エレナの奴……魔法が地味だと言った意趣返しに、かつて俺を赤ん坊に変えた時のような目に再び遭わせようというのか?


「くっ……させるか」


 エレナの意図を察した俺は立ち上がって踵を返すと、脱兎の如く駆け出す。

 重力魔法で引っ張られるというのなら、魔法の影響が及ばない場所まで逃げるだけだ。


「なっ!? 逃がすか!」


 逃げ出した俺の背後から、既に悪意を隠す気のないエレナの鋭い声が聞こえる。


「んがぁっ!?」


 次の瞬間、俺の足に何かが絡みついたかと思うとそのまま地面に引き倒す。


 驚いて目を向けると、俺の足に地面から突き出た木の根が絡みついていた。


 意趣返しのためだけにここまでやるのか? そう思っていると、俺に左手を向けているエレナがニヤリと悪い笑みを見せる。


「ククク……このワシから逃げられると思うなよ」

「エ、エレナ……それ、完全に悪役の台詞」

「う、うるさい! ハルトはワシの魔法にもっと敬意を……素直に褒めるべきじゃ!」

「やっぱりそれが原因かよ!」


 足に絡みついた木の根に引っ張られながら、俺は必死に頭を巡らせてこの状況を切り抜ける方法を考える。


「こうなったら……」


 このまま黙ってやられるつもりはないと、俺は大口を開けて笑っているエレナに向かって手を伸ばし、そのまま彼女の体に思いっきり抱き付く。


「はにゃにゃ!?」

「このまま吸い込まれるというのなら、せめてエレナも道連れにしてやる!」

「クッ、ハルト……卑怯じゃぞ」

「どっちがだよ!」


 俺たちは互いにもみくちゃになりながら、暫く地面を転がる。



 このまま重力魔法がかけられているという鍋まで突っ込むかと思われたが、その前にエレナが魔法を解除したのか、程なくして引き寄せる力が治まる。


「はぁ……はぁ……」

「はぁ……はぁ……」


 俺とエレナは、互いに抱き合ったまま荒い息を吐き続ける。

 地面を盛大に転がった所為で、俺もエレナも体中泥だらけだ。


 大の大人が二人、揃ってこんな泥だらけになって何やってるんだろうと思ったが、全ては俺の空気を読まない一言が原因なのは間違いなかった。


 なので、俺はエレナの背中をポンポン、と叩きながら思ったことを口にする。


「その、エレナ……ごめん。俺、本当に魔法について何も知らないんだよ。だから、本当はエレナのことを傷つけたり、馬鹿にしたりするつもりはこれっぽっちもなかったんだ」

「…………わかっておる。ワシの方も悪ノリが過ぎた。すまないのじゃ」


 そうして互いに謝罪して顔を見合わせた俺たちは、あまりにみっともない姿になっていることに気付き、呆れたように笑い合った。



 その後、出来上がった煮豚は加圧が均等に行き渡らなかったのか、それなりに柔らかい部分と、硬い部分とバラつきがあり、やはり細かい制御が利かないという魔法では圧力鍋のように上手く調理できないことがわかった。



 俺としては完全に失敗作だと思ったのだが、


「ハルト、見てみろ。この部分、すっごいプルプルで蕩けそうじゃ。それに中まで味が染みていてとても美味いぞ。やっぱりハルトの料理は最高じゃな!」


 顔に泥を付けたエレナが満面の笑みを浮かべておいしいと言ってくれたので、これはこれで良かったと思った。



 ただ、魔法を使っての料理も、魔法に関して口を挟むのも懲り懲りだと思った。


 それと、今度はじっくりと時間をかけて煮込んだ煮豚をエレナに食べさせよう。そんなことを思いながらやや硬い煮豚を、時間をかけて咀嚼していった。

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