第15話 美味しさへの一工夫

 エレナのお蔭で予定よりかなり早く戻ることができたので、俺がモルボーアの肉の調理方法を指南するついでに、それを昼食とすることにした。



「さて、それじゃあ調理を始めましょうか」


 舞台をテッドさんの家に移し、彼の家にある厨房に立った俺は、自前のエプロンを身に付けて生徒役に徹しているテッドさん、そして早くも空腹を訴えてきている子供の姿に戻ったエレナに説明を始める。


「肉を柔らかくする方法はいくつかあります」

「ということは、方法は一つじゃないんですね?」

「ええ、その中でも先ずは基本中の基本、筋切りを教えますね」


 そうして俺はモルボーアの肉ブロックをまな板の上に置くと、昨晩チーズフォンデュを作った時と同じように赤身と脂身の間に切り込みを入れ、フォークを使って肉に穴を開けていく。


 肉が新鮮だからか、昨晩より幾分か軽い手応えに期待を膨らませながら、俺はまんべんなく肉に穴を開け、さらに一口大のサイズにカットしていく。


「さて、普通の肉ならこれで十分柔らかくなるのですが、モルボーアはまだ硬いのでここでさらに一工夫加えます」

「一体何をするのですか?」

「それはですね……これを使うんです」


 そう言って俺は、トゲトゲしたひょうたんのような形の果実、トレの村の名産品であるリコを取り出す。


 ずっしりと重い実を見たテッドさんは、指でコツコツと叩きながら質問する。


「これは……リコですよね?」

「はい、リコです。今回はこの下の部分に詰まっている果汁と実の一部を使います」


 そう言いながら俺は、青果店の店主の手際を思い出しながら上部に刃を立て、ぐるりと一周させて種を剥き出しにして取り出すと、逆さまにして嵩のある皿に果汁を取り出す。


「後はこの果汁の中に筋切りした肉を入れ、リコの果実をすりおろしたものを塗って少し長めに……三十分ほど浸けておきます」

「それだけで肉が柔らかくなるのですか?」

「なります。リコでなくとも玉ねぎや牛乳などでも代用できますが、せっかくだからこの村の名産品であるリコにしました。これで臭みもある程度取れますしね」

「はぁ……」


 こんな簡単な方法で肉が柔らかくなるとは思っていないのか、テッドさんは眉を顰めながらリコの果汁に浸かったモルボーアの肉を見る。



 これはプロテアーゼと呼ばれるタンパク質分解酵素を多く含む食材と一緒に調理することで、肉を柔らかくする調理法で、このタンパク質分解酵素を多く含む食品はパイナップル、パパイヤ、キウイフルーツなどが有名だ。


 よく、酢豚の中に何でパイナップルが入っているんだ? と思うだろうが、これも果肉に含まれるプロメラインと呼ばれるプロテアーゼを使って肉を柔らかくするのが目的だったりする。


 果たしてリコにどれだけのプロテアーゼが含まれているかは不明だが、実は果汁をたくさん飲むと舌がピリピリする感覚があったから、プロテアーゼが含まれているのは間違いないだろう。


「後はこの肉を焼くのですが、次はこの肉に合うソースを作ります」

「ソースですか?」

「はい、そこでまた取り出すのがこれ……リコです」


 俺はリコの果肉を再びすりおろすと、そこにレモン汁、塩コショウと酢を入れてよくかき混ぜる。


 かき混ぜながらちょっと味見をして、理想の味が出来上がったのを確認して大きく頷く。


「はい、これがリコを使ったポン酢です」

「ポン酢?」

「ええ、柑橘系の果汁に酢を加えて味を整えたソースのことです。これにちょっとアレンジを加えまして、リコの甘味と酸味、塩コショウでアクセントを足してみました」


 日本ではポン酢醤油のことをポン酢と呼ぶことが多いが、元々はオランダ語で柑橘類の果汁を意味する「ポンス」が転訛てんかし、さらに酢の漢字を充てた言葉だったりする。


 今回、俺が作ったリコのポン酢は、普段食べているポン酢とは少し趣は違うが、タン塩にレモンをかけて食べるように、肉との相性はバッチリのはずだ。


「ちなみにこのソース、割と何にかけても美味しいですから、テッドさんもぜひとも覚えて下さいね」

「わ、わかりました」


 俺がリコのポン酢に必要な分量をテッドさんに伝えると、几帳面な彼はしっかりとメモを取り「後で作っておきます」と笑顔を見せてくれた。


 こうしてまず一品目『モルボーアの焼き肉、リコのポン酢を添えて』の準備を終えた俺は、肉を浸けている間に次の一品に移ることにする。




「さて、これは大人向けの料理ですから、次は子供にも大人気な一品を作りたいと思います」

「……それはワシへの当てつけかや?」

「ち、違うから!」


 子供の姿とは言え、三白眼で睨まれると背筋に冷たいものが走るのを自覚した俺は、慌ててエレナに向かって取り繕う。


「これもちゃんとした肉を柔らかくする料理の定番だから」

「わかった。ではハルトの腕前、見せてもらおう」

「お、お手柔らかに……」


 俺は「ハハハ……」と乾いた笑い声を上げながら包丁を二本取り出すと、モルボーアの肉を細かく刻んでいく。



「…………」


 無心のままタタタ……とリズムカルに二本の包丁を激しく動かしながら、肉をどんどん細かくしていく。


「お、おい、ハルトよ……」


 まるで親の仇を討つように執拗に包丁を動かし続ける俺を見て、エレナが不安そうに声を上げる。


「も、もしかしてワシがへそを曲げたことに怒って、そんな激しいことをしているのか?」

「えっ? いやいや、違うから……」


 悲しそうな顔になり上目遣いでこちらを見てくるエレナを見て、俺は堪らず苦笑しながら何をしているのかを説明する。


「これはね、ひき肉を作っているんだ」

「ひき肉じゃと?」

「そうそう、本当は専用の機械を使って作ると楽なんだけど、それがないからこうして手で作っているんだ。別にエレナに怒っていることはないから安心していいよ」

「そ、そうか……」


 手を止めないまま俺が笑顔を見せると、エレナはホッ、と肩を撫でおろす。



 それでも尚も肉を叩き続ける俺を見て、興味が尽きない様子のエレナが遠慮がちに口を開く。


「のう、ハルトよ。それで、これから作るのは何なのじゃ? ワシには何ができるのか皆目見当もつかんぞ」

「うん、これはね。さっきも言ったけど子供に大人気メニューでね」


 俺は尚も包丁を忙しなく動かしながらも、もったいぶるようにその名を告げる。


「ハンブルクステーキ……通称、ハンバーグだよ」

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