第12話 賢者様は有名人
――翌日、普段から市場へ仕入れに行っていたので、夜明けと同時に問題なく起きられた俺は、まだ半分眠った状態のエレナの手を引きながらテッドさんの家へと向かった。
テッドさんの家の近くまで行くと、そこには既に狩りの準備を終えた彼が待っているのが見えた。
「あっ、ハルトさん。おはようございます」
「おはようございます、テッドさん。今日はよろしくお願いします」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。それで、その……」
テッドさんは俺の背後の人物に気付くと、不思議そうに首を傾げる。
「そちらの女性は一体誰ですか?」
そうしてテッドさんが指差す先には、大人の姿のままのエレナがいた。
一応先に言っておくと、エレナが大人の姿のままなのは別に寝惚けて、少女の姿に戻るのを忘れているのではなく、モルボーアを捕まえるのに魔法を使うので、大人の姿のままの方が色々と都合がいいという理由からだ。
かといって、それをそのままテッドさんに伝えていいものかどうか逡巡していると、
「……あれ? そんな…………まさか!?」
エレナの顔を見たテッドさんの顔がみるみる驚愕の表情へと変わっていく。
えっ、何? エレナの顔に何か付いてる? そんなことを思っていると、
「あなたはまさか、銀の賢者、エレンディーナ様ですか!?」
テッドさんがあっさりとエレナの正体に気付く。
「えっ? でもまさか……そんなどうして」
「ああ、もう……じゃからこの姿で出るのは嫌だったのじゃ」
まるで推しのアイドルにでも出会ったかのように、口を押えて驚きの表情を浮かべるテッドさんを見て、エレナが心底疲れたように嘆息する。
「おい、テッドとやら」
「は、はい、何でしょう。エレンディーナ様……」
「ワシは銀の賢者と呼ばれるエレンディーナではない。ここにいるハルトと共に旅をする乙女、エレナちゃんじゃ」
「えっ? で、でも……」
「二度は言わぬぞ。いいな?」
「は、はい、わかりました」
エレナの鋭い眼光に睨まれたテッドさんは、カクカクと壊れた操り人形のように高速で頷く。
それを見た俺は、怒り心頭といった様子でふんぞり返っているエレナに近付き、彼女の耳元でひっそり囁く。
「エレナって本当に有名人だったんだね?」
「だからそう言ったではないか。下手に救世の旅なぞに付き合ったお蔭で、何処に行くにもこのざまじゃ」
「へぇ、救世の旅……」
「言っておくが、時間の無駄じゃから話さぬぞ?」
何だかファンタジーな単語の登場に思わず身を乗り出す俺に、エレナは嫌そうな顔をして手を伸ばして押し返してくる。
「そんなことより今はモルボーアじゃろ。わざわざこの姿で来たからには、陽が昇る前に決着をつけるぞ」
「わかったよ。それじゃあテッドさん、行きましょうか?」
「は、はい、こちらです」
まだエレナがここにいることが信じられないのか、夢心地のような顔をしたテッドさんは、途中で何度も振り返ってエレナの顔を見ながら村の外へ向けて歩き出した。
俺たちが入って来た入口とは逆側に向かうと、徐々に木の密度が高くなり、大きな森が見えてくる。
まるで木々が縦に重なって見えるほどの深い森の前には、高い木の柵で囲まれた大きな門があり、テッドさんはその前で止まる。
「ちょっとここで待っててくださいね」
そう言って門へと近付いたテッドさんは、大きな閂によって鍵をかけられている門を慣れた手つきでゆっくりと開けると、顔だけ外に出して周囲の様子を伺う。
そうして何かを確認したテッドさんは、俺たちの元へと戻って来てしかと頷く。
「お待たせしました。ここからモルボーアのいる森の中に入って行きますが、危険ですので僕の傍から離れないで下さいね」
「危険……というとまさかモンスターですか? も、もしかしてですが、モルボーアって魔物だったりするのですか?」
「いえいえ、そんなことありませんよ。それに、魔物が出てくる心配もないです」
俺の不安を、テッドさんは笑顔を零しながらかぶりを振る。
「過去には魔物もいましたが、今はもういないようです。エレンディーナ様とそのお仲間が魔王を倒して下さいましたから。ただ、それでも森の中にはモルボーアだけでなく、熊や狼、血を吸う虫や、蜂の群れなど気を付けなければいけない場所がいくつもあるんです」
「へぇ……」
森の中における注意点を話すテッドさんだったが、俺の意識は既に別のもの……エレナが仲間と共に魔王を倒したという話に夢中になっていた。
子供の頃に冒険とか英雄譚に憧れたもの者の一人として、俺は興味津々といった様子でエレナの方を見る。
「嫌じゃ!」
だが、何も言っていないのに、エレナは不機嫌そうに頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。
どうやら是が非でも過去の冒険の話をしたくないようだ。
どうしてエレナが過去の話をするのをそこまで嫌うのかはわからないが、彼女の機嫌を損ねるのは得策ではないので、俺は仕方なく諦めることにする。
ただ、いつの日か、エレナが話してもいいと思える日が来たら、その時は彼女の冒険譚を存分に聞きたいと思う。
その日が来ることを密かに願いながら、俺はモルボーアを捕まえるために大人の姿になったエレナに、今後の予定について尋ねる。
「それでエレナ、モルボーアを捕まえるのに魔法を使うって言ってたけど、どうするの?」
「うむ、任せておけ」
エレナは鷹揚に頷くと、両手を広げて手を上げると、そのまま自分の両耳に添えて周囲の音を何一つ漏らさないようにと、聞く態勢を取る。
「…………」
一体何が始まるのかと思うが、銀の賢者と呼ばれるエレナが「任せろ」というのだから信じて待つしかない。
俺はテッドさんと目配せして、エレナの邪魔にならないように少し距離を置いて彼女を見守ることにする。
そうして待つことおよそ一分、
「そこじゃ!」
目を大きく見開いたエレナが、勢いよく突き出した右手を天高く掲げる。
瞬間、何処から何かが弾けるような音が聞こえたような気がするが、一体何が「そこ」なのかと思っていると、
「終わったぞ」
エレナが一仕事終えたかのように、流れてきた汗を拭いながら満足そうに頷いた。
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