第11話 美味けりゃいいってものじゃない
一世一代のイベントである結婚式が三日後に迫っているにも拘らず、テッドさんはモルボーアの肉を改善するのに必死になり過ぎるあまり、他の結婚式の準備を何一つしていないという。
料理を振る舞うだけでなく、会場の準備や飾り付け、ましてや結婚の誓いを立てるための司祭の依頼すらしていないというのだから驚いた。
とにかく時間がないことに気付いた俺は、テッドさんに一先ずモルボーアの調理は明日以降に行うと約束して、今日は他の準備に取り掛かってもらうことにした。
幸いにもテッドさんの惨状を見兼ねた親切で世話好きなおば様たちが必要最低限の手配はしてくれていたので、結婚式ができないという最悪の事態は避けられそうだった。
そんなわけで俺たちが今日できることはなくなったので、その足で宿であるツリーハウスにやって来たのだった。
「それでハルトよ。テッドの悩みを解決する方策は何か思いついているのか?」
「まあね。この手の食材の調理法ならそれなりに知識はあるから、味付けについては問題ないと思うよ」
「そうか。そういえばハルトの世界から様々な調味料を持ち込んでいたのじゃな」
俺の世界にある調味料を使えば、テッドさんの問題は解決したも同然と思っているのか、エレナは安心したように何度も頷くと、残りのチーズフォンデュを平らげようとする。
そんな安心しきった様子のエレナに水を差して悪いと思うが、誤解は早いうちに解いておくべきだろうと、彼女に真実を告げる。
「先に言っておくけど、今回は俺の世界の調味料は使わないよ」
「な、何故じゃ!?」
俺の発言が余程衝撃だったのか、エレナはフォークを取り落としそうになりながら愕然とした表情を浮かべる。
「ハルトの世界の優秀な調味料を使えば、モルボーアの肉を劇的に美味しくすることなど容易いのではないのか?」
「いやいや、そんなわけないよ。それこそ魔法じゃないんだからさ」
俺は苦笑してかぶりを振りながら、自前の調味料を使わない理由を話す。
「今回の目的は、テッドさんがお嫁さんと家族の方に、モルボーアの肉を美味しく食べたもらうことだけど、それだけじゃダメなんだよ」
「……どういうことじゃ?」
「考えてみてよ。俺が化学調味料とかを駆使してモルボーアを劇的に美味しくしたとして、後日、テッドさんの奥さんがもう一度あれを食べたいって言ったらどうなる?」
「……なるほどのう」
その一言で、俺の言わんとするところに気付いたエレナが小さく息を吐く。
今回、最も重要視するところは、美味しく調理されたモルボーアの肉を、テッドさん一人でも再現できるような形で準備しなければならないということだ。
「まあ、でも味付けに関してはきっと問題ないから、後はどうやって肉を柔らかくするかを考えなきゃな……」
「ん? これではダメなのか?」
エレナはフォークを勢いよくモルボーアの肉に突き刺し、チーズをたっぷりと絡めて口の中に放ると、しっかりよく噛んでから顎を引いて飲み込む。
「ワシとしては、これでも十分柔らかいと思うのじゃが……一体何をやったのじゃ?」
「ああ、別にたいしたことはしてないよ。普通に筋切りしただけだから」
筋切りとは、肉に火を入れる前に赤身と脂の境目にある筋に切り込みを入れておくことで、赤身と脂の部分で収縮率が違うことから起きる反り返りを防ぐ行為だ。
それ以外にも包丁の背で肉全体をトントンと軽く叩き、ついでにフォークで穴を開けておくと肉全体が柔らかく仕上がるだけでなく、ソースやタレなどの味がしみ込みやすくなるので、筋切りはやっておいて損はない行為だ。
「ほほぅ、それだけでこんなにも柔らかくなるのか。流石はハルトじゃな」
「ハハハ、別に俺が凄いわけじゃないよ。先人たちの努力の賜物だよ」
それにこの世界の料理人たちも筋切りぐらいは知っているだろうから、流石にこの程度で褒められても困ってしまう。
しかもエレナのような美人にそんな風に手放しに称賛されると……なんていうか非常にこそばゆい。
俺は照れを隠すように適当な野菜にチーズを絡めて口の中に放ると、ゆっくりと咀嚼して気を落ち着けてから話す。
「……まぁ、筋切り以外にも肉を柔らかくする方法はそれなりに知っているから、明日は色々と試してみようと思うよ」
「そのためにも先ずは新鮮な肉を手に入れなければ、じゃな」
「うん、そのために今日は早く寝ないとね」
「うむ、そうじゃな」
俺の話を聞いたエレナは、残りのチーズフォンデュをさっさと片付けてしまおうとペースを上げて食べ始める。
実は明日の早朝から、テッドさんと一緒にモルボーアを狩りに行く約束をしていたりする。
陽が昇る前に出発しなければならないので、晩御飯を食べて後片付けをしたら早々に寝るつもりだ。
そうと決まれば、俺も早いところごはんを食べてしまおう。
肉と野菜を一通り食べ終えた俺たちは、最後に残しておいたパンで鍋に着いた残りのチーズをキレイに平らげ、エレナと一緒に後片付けをした後、歯磨きをして彼女の魔法で体をキレイにしてベッドに入った。
ちなみにサラッと言ったが、魔法で体をキレイにするという初めての経験は凄かった。
ほんの一瞬で、風呂に入るより隅々まで綺麗にしてもらえるのだから、これに慣れてしまったら体を洗うことが億劫になってしまいそうだった。
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