第9話 完結された肉
テッドさんの悩みとは、トレの村に伝わるあるしきたりが原因だという。
この村に観光客としてやって来た貴族の女性と仲睦まじくなり、交際期間を経て彼女と結婚することになったテッドさんだが、村のしきたりの一つに、他所から女性を結婚相手として迎え入れる時は、花嫁とその家族に、新郎が料理を振る舞うというしきたりがあるのだという。
「実は、結婚が決まった後に、彼女にモルボーアの肉を振る舞ったことがあるのですが……」
「不評だったんですね?」
「はい、彼女は僕の仕事を理解してくれ、結婚後はこの家で一緒に暮らしてくれると約束してくれたのですが……モルボーアの肉を食べた後の彼女の顔が忘れられないんです」
何一つ不自由のない生活を捨ててまでテッドさんと結婚する道を選んでくれた彼女と、彼女を嫁に出すことを許してくれた彼女の両親に喜んでもらいたい。
だけどそれ以上に、自分の誇りである狩人という仕事の成果である、モルボーアの肉を気に入ってもらいたい。
その一心で、テッドさんはこの村の殆どの人が諦めているモルボーアの肉を、万人受けするような優しい味にする方法はないかと、狩りに行くのを止めてまで調理方法を模索していたという。
「ですが、どうやってもモルボーアの臭みを消すことができず、さらに煮ても焼いても、肉が柔らかくならないんです」
「なるほど……」
テッドさんの悩みを聞いた俺は、彼の情熱に感心しながら尋ねる。
「ちなみですが、その失敗した料理を食べさせてもらえませんか?」
「えっ? それは構いませんが、きっと後悔しますよ?」
「それは食べてから考えますよ」
「はぁ……」
俺の言葉に、テッドさんは不思議そうに眉を顰めながらも、部屋の奥から調理したと思われるやはり黒焦げになった肉の塊を持って来る。
「これが臭みを消すために、大量の香辛料を使って焼いたものです」
「どれどれ……」
俺が手を伸ばすより先に、エレナが横から割って入ってきて肉に鼻を近づけてスンスン、と匂いを嗅ぐ。
「ほうほう、中々に刺激的な臭いじゃ。ついでに辛そうじゃ」
よせばいいのに好奇心を抑え切れないのか、エレナはナイフで肉の塊を切ると、大きな口を開けて頬張る。
次の瞬間、
「――っ!? ヒーッ! な、なんじゃこれは……ペッペッ!」
「ああ、もう……ほら、エレナ。戻すならその皿の上は避けて」
俺が空になった皿をエレナに差し出すと、彼女は皿の上に肉を吐き出して、苦しそうに香辛料で色が薄い緑色に変わっている舌をベーッ、と出す。
「か、辛い……いくら何でも辛過ぎるのじゃ。それにとっても苦いのじゃ!」
「なるほど……」
俺はエレナに水を差し出してやりながら、黒い塊の一部を切って口の中に放る。
すると、エレナの言う通り脳まで突き抜けるような刺激的な辛みと、豆腐を作る時に使うにがりを直に飲み込んでしまった時のような苦みを感じ、俺は堪らず顔をしかめる。
「ば、馬鹿者! ワシの反応からどうなるかわかっていただろう。ほれ、早く出すのじゃ!」
エレナが慌てて自分が肉を吐き出した皿を差し出してくるが、俺は彼女を手で制しながら、ゆっくりと辛みと苦味を確かめるように噛み締めて嚥下する。
「ああ、なんてことを……ハルト、お主正気か?」
「心配しなくても、こと料理に関しては、俺は何処までも真面目で正気だよ」
しっかりと味見したことで、この肉がどのように調理されたのかは大体わかった。
どうやらテッドさんは、モルボーアの味に負けない強い味付けをして、本来の癖を消してしまおうとしたようだ。
だが、それでは単純に味付けが濃くなり過ぎるので、適量なら味を際立たせてくれるはずの香辛料が主張し過ぎて、全ての味を台無しにしてしまっていた。
それと、どうやら味付けを焼きながら行ったようで、いくつかの香辛料が火の通し過ぎでほぼ、炭化してしまったようで、これでは風味どころの話ではなく体にとって害悪にしかならない。
料理の得意でない人が考える料理には、しばしばこういった味の足し算が過剰で味を壊してしまうことがあるが、テッドさんの調理もその典型といえた。
他にもいくつか試したと思われるが、この結果を見る限りどれも同じような結果になったと思われる。
だが、ここまで料理ができないとなると、そもそもの疑問が思い浮かぶ。
「テッドさん、村の料理が得意な人に、調理法のアドバイスをもらうとかしなかったのですか?」
その質問に、テッドさんは自嘲気味に笑いながら肩で大きく嘆息する。
「勿論しました。ただ、この村にはそもそもモルボーアの肉を美味しくしよう、という考えがないんです」
テッドさんによると、村には大きく分けて二つの勢力があるという。
それはモルボーアの肉を好んで食べる者と、強い癖を嫌って食べない者。
モルボーアの肉を好む者は、現状で満足しているので改良を望まず、嫌いな者は他に食べるものがあるので、わざわざ改良してまでモルボーアの肉を食べようとしない。
それに、観光客もモルボーアの肉の癖を楽しみにしている者が殆どで、上手くとも不味くともその癖が堪能できれば問題ない。
他にいくらでも代わりがあるが故に、幸か不幸かモルボーアの肉は、一切手を加えられることなく村の名物として君臨してきた。
既に完結しているモルボーアの肉に誰も手を加えようとは考えていないので、いくらテッドさんが悩んでも、手を差し伸べようという人は現れなかったという。
「みんな口を揃えてこう言うんです。モルボーアの肉がダメなら、他のものを食べればいいだろうって」
「なるほど……」
がっくりと肩を落として悩みを話したテッドさんを見て、俺は彼がどれだけ孤軍奮闘してきたかを推し量る。
料理が得意ではないテッドさんが必死に頭を巡らせ、極限まで睡眠時間を削って一筋の光明を探したが、足掻いた手足は何も掴むことができなかった。
一体、どれだけ打ちのめされてきたのかはわからないが、項垂れるテッドさんに俺は静かに尋ねる。
「ここまで失敗続きのようですが、テッドさんはまだ諦めるつもりはないんですか?」
「と、当然です! 僕は彼女を……ソフィアを愛しているんです! 彼女にはこの村で笑って過ごしてもらいたいですし、彼女の両親にも私の仕事の素晴らしさを……ただ、いたずらに獣の命を奪っているわけじゃない! 自然の恵みをいただくということの尊さを知ってもらいたいんです!」
そこまで一気にまくし立てたところで、テッドさんは肩で大きく息を吐きながら流れてきた汗を拭う。
「す、すみません。いきなりこんな話をされても困りますよね」
「いえ、大丈夫です。お蔭で決心が固まりました」
「えっ……」
一体何のこと? と首を傾げるテッドさんに笑顔で返しながら、俺は口直しに最初に出てきた硬いモルボーアの肉を、首を前後に動かしてようやく嚥下した様子のエレナに話しかける。
「エレナ、良いよね?」
「…………う、うむ、もちろんじゃ。お主はその為にこの世界に来たのじゃろう?」
「うん、エレナならきっとそう言ってくれると思ってたよ」
銀の賢者様からの許しを得た俺は、まだ事態が飲み込めていないテッドさんに、改めて自己紹介をする。
「テッドさん、俺は異世界から来たシェフで春斗といいます。よければ俺にあなたのお手伝いをさせてもらえませんか?」
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