第8話 癖の強い味

 テッドさんの家に入ると、ログハウス特有の濃厚な木の香りと、強烈な獣が迎え入れてくれた。


 それもそのはず、入ってすぐの玄関マットかと思われたものは実は鹿か何かの毛皮で、他にも金持ちの家にあるような首から上の剝製や、狩りで使うであろう弓と矢が壁に立て掛けられていた。


「ほえぇ……」


 狩人の部屋という初めて見る室内を物珍し気に見渡していると、部屋の奥からモルボーアと思われる肉の塊をもって現れたテッドさんが、照れたようにはにかみながら話しかけてくる。


「すみません、散らかっていて。最近ちょっと立て込んでいまして……」

「あっ、いえ……もしかしてその目の下のくまは?」

「ハハハ……お恥ずかしい。実は心配ごとがありまして、殆ど寝ていないんです」

「そうですか……そんな大変な時に突然お邪魔して申し訳ないです……」


 社交辞令的にテッドさんに謝罪の言葉を口にする俺だったが、目は既に彼が持つ一抱えもある赤黒い塊に注がれている。


「もしかして、それが……」

「はい、モルボーアの肉です。今日はシンプルに塩を振りかけて焼きたいと思います」

「素材の味を味わうのなら、最適の調理法ですね」

「というより料理できない僕にとって、これが最も失敗しない調理法なだけですけどね」


 肩を竦めて苦笑してみせたテッドさんは、壁際にあるレンガ造りの暖炉まで歩いていく。



 クリスマスに赤い人が侵入して来そうな暖炉には、よく見れば一狩り行くゲームではお馴染みとなっている、クルクルと回せるタイプの肉を焼く装置が備え付けられていた。


 まさか、と思っていると、テッドさんは慣れた手つきで肉の塊を装置に取り付ける。


 薪を組み、灰の中から種火を取り出して素早く火を点けたテッドさんは、塩を振りかけて揉み込んだ肉の塊をクルクルと回しながら焼いていく。



 料理が得意ではないというテッドさんの言葉通り、彼は肉を焼くときにひたすらクルクルと回すだけで特に火の通りや火加減を気にした様子もなく、ただひたすら無心に肉を焼いていく。


 決して手際が良いとはいえないが、ここで何か余計なことを言うのも野暮なのでおとなしく待っていると、やがて肉の焼ける香ばしい匂いが室内を満たしていく。


 肉を焼く匂いにしてはやや獣臭い感じはするが、世界のジビエ料理にはこれよりさらに強烈な臭いを放つ料理も多く、特にとある国で食べたラクダと比べれば随分とマシだと思った。



 その独特の臭いに、女性であるエレナはどう思っているかと思ったが、


「…………じゅるり」


 全く気になっていないのか、彼女は口の端から垂れそうになった涎を慌てて手で拭っていた。


 ……本当に、食べることが好きなんだな。


 人によっては忌避する獣の臭いに臆することなく、それどころか前のめりになっているエレナを見て、俺は目の前で徐々に色づいていくモルボーアへの期待を膨らませていく。




 ――それから二十分ほどして、


「ふぅ……できました」


 表面を真っ黒になるまで焼き上げたテッドさんが、流れてきた汗を拭いながら肉を肉焼き機から外し、テーブルの上に置かれた白い皿の上に乗せる。


 そうして出てきた肉は真っ黒になっていたが、


「表面は焦げていますが、食べるのは中だけですから」


 そう言いながらテッドさんがナイフを入れると、そこにはウェルダンに焼かれた美味しそうな断面が現れる。


 表面の焦げた部分をトリミングし、それぞれの皿に肉を切り分けたテッドさんは、先ずは待ちきれないとそわそわと目を輝かせているエレナの前に料理を差し出す。


「さあ、どうぞ。モルボーアの肉です」

「うむ、いただきますなのじゃ!」


 手にしたフォークを勢いよく肉へと突き刺したエレナは、ナイフで切り分けることなくそのまま豪快に齧り付く。


 筋があって固いのか、まるで漫画のようにぐい~っと伸ばしながら豪快に噛み切ったエレナは、頬に付いた肉片を手で口の中に押し込みながら満面の笑みを浮かべる。


「うむ、この強い癖こそ、まさしくモルボーアじゃな! ほれ、ハルトも早く食してみるがいい。これはいい肉じゃ!」

「あっ、うん……それじゃあ」


 流石に分別ある大人として肉の塊に直接齧り付くのは憚れるので、俺はナイフを手にして先ずは切り分けることにする。


「むっ……」


 ナイフを入れて最初に思ったのは、予想より肉が固いということだ。

 それはつまり、モルボーアはかなり筋肉質で脂身が少ないということだ。


 肉の美味さは脂身あってこそ、と思っている人は多いと思うが、肉のうま味成分の殆どは赤身に含まれるアミノ酸なので、脂身の多い少ないは肉の美味さにはあまり関係ないと俺は思っている。


「むっ……このっ……ほっ!」


 ただ、それにしても随分と筋が多く、また脂身は少ないようで切るのにかなり苦労したが、ようやく理想のサイズに肉を作った俺は、満を持してモルボーアの肉を頬張る。


「ふむ……」


 口に肉を入れた瞬間、まるで家畜がついさっきまで寝ていた干し草の中に、頭から放り込まれたかのような強烈な獣の臭いが口いっぱいに広がる。


 といっても、ジビエ料理に親しみのある人間からすればそれは十分許容範囲内の臭みで、むしろエレナではないが、綺麗に処理された肉よりも、これぐらい野性味溢れる肉の方が好みという人も決して少なくないだろう。


 それに、事前によく揉み込まれた塩の作用か、しっかりと閉じ込められた塩気のある肉汁が噛み締める度に滲み出る様は、慣れてくると病みつきなるほどの癖のある旨味があった。


 ただ、この肉を食べた後の口臭はかなりのものになると思われるので、デートの前やデート時に食べるのは避けた方がいいだろう。



「どう……ですか?」


 俺が噛み締めるようにモルボーアの肉を食べる様をまじまじと見ていたテッドさんが、探るように尋ねてくる。


「人によって賛否両論ある肉ですが、お口に合いましたでしょうか?」

「ええ、独特の臭みは好みが分かれるでしょうが、俺は好きですよ」


 一応、プロの料理人として食レポをする時は噓や偽りを言わないと決めているので、俺は素直にモルボーアの感想を言う。


「ただ、筋が多くて硬いのが気になりますね。歯が悪いお年寄りや、一部の女性は食べるのに苦労しそうですね」

「そうなんです。まさしくそれで悩んでいまして……」

「えっ?」


 思わぬ展開に目を見開く俺に、テッドさんは残っているモルボーアの肉をさらに切り分け、おかわりを欲しそうに目をキラキラさせているエレナに差し出しながら話を切り出す。


「実は僕……今度、結婚するんです」

「おおっ、それはおめでとうございます……と言いたいのですが、それが悩みなんですか?」

「はい、実はですね……」


 誰かに話したくてしょうがなかったのか、特に話を聞いていないのにテッドさんは自身の悩みを話し出した。

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