第4話 賢者様からのお誘い
「ふむ、そういえば自己紹介がまだじゃったの」
叫び声を上げて驚く俺を見て、女性は少女の時と比べて豊かに育った豊満な胸に手を当てて、ニコリと優雅に微笑む。
「ワシの名は、エレンディーナ・マギカ・アルジェントじゃ。親しい者からはエレナと呼ばれておるからそう呼んでくれ。それと、敬称も畏まる必要もないぞ」
「わかった。よろしくエレナ。俺の名前は蘇芳春斗、どうぞ春斗と呼んでくれ」
「うむ、ハルトじゃな。ワシの方こそよろしくなのじゃ」
そう言って笑顔で差し出された右手を、俺も笑顔で握り返した。
一先ず自己紹介を終えた俺は、淹れたお茶を飲みながらずっと気になったことをエレナに質問する。
「ところでエレナ……俺の気が確かなら、君は最初、少女の姿をしていたよね?」
「うむ、空腹によって魔力切れを起こしての。仕方なく燃費のいい子供の姿になっておったのじゃ」
「えっ……と、ちょっと待って」
いきなり訳のわからないことを言い出すエレナに、俺は頭痛を堪えるように頭を押さえながら問いかける。
「魔力切れとか……本気で言っているの?」
「本気も本気じゃ。どれ、ちょっと待っておれ」
そう言ってエレナが宙で何かの印を結ぶと、彼女の体がいきなり発生した煙に包まれ、一瞬後には少女の体へと変わる。
「ほら、どうじゃ。これで少しは信じる気になったか?」
「……実は種や仕掛けがあるとかないよね?」
「全く、疑り深い奴じゃの……ほれ」
そう言って少女の姿になったエレナは、俺に向かって印を結ぶ。
次の瞬間、俺の体が煙に包まれる。
視界が閉ざされたのは一瞬で、煙はすぐさま晴れたが、俺の体に劇的な変化が訪れる。
目に映る何もかもが大きくなったと思ったら、俺の体が赤子になっていたのだ。
「だぁ……だぁだぁ」
声を上げようとするが舌が上手く回らないし、何だか視界もぼやけてよく見えない。
筋力も急激に衰えた影響か身を起こすのも辛く、俺は地面に体を投げ出してエレナに向かって必死に手を伸ばす。
「フフフ、かわゆいのぅ」
必死に抗議をする俺を、大人の姿に戻ったエレナは軽々と抱き上げる。
ぷにぷにと頬を指で突きながら、エレナは俺の耳元にで甘い声で囁く。
「ハルトが望むなら、このまま人生やり直させてやるが、どうじゃ?」
「…………」
その問いかけに、俺は必死になって首を横に振る。
「フフッ、冗談じゃよ」
薄く笑いながらエレナは俺を地面に下ろすと、再び印を結んで俺の体を元に戻してくれる。
「…………こ、怖かった」
危うく異世界転生ものの主人公になるところだったが、記憶を持ったまま赤子になることがあんなにも怖いとは思わなかった。
せっかく始めた店を早々に潰してしまうほど散々な俺の人生ではあるが、流石にアレだけの経験をした後で、一からやり直したいとは思えなかった。
「大丈夫か?」
呆然としながら自分の体に戻ったことを確認している俺に、エレナが手を差し伸べてくる。
「これで流石にワシのことを信用する気になったか?」
「あっ、うん……本当に魔法なんてあるんだね」
「だから最初からそう言っておるじゃろうが」
エレナは呆れたように笑うと、立ち上がった俺を椅子に座らせて自分は正面に座る。
向かい合ったエレナは優雅にお茶を一口飲んだ後、大きくなった所為で露わになっている胸の谷間を強調するように前屈みになって話す。
「それで、困っておることがあるのじゃろ? 飯の礼にワシでよければ相談に乗ってやるぞ」
「えっ? どうしてそれを……」
「フッ、簡単なことじゃ。ハルト……お主、泣いておるではないか」
「えっ? そんな馬鹿な……」
エレナの指摘に驚きながら目元を触ってみると、確かに彼女の言う通り涙が流れていた。
「でも、どうして……」
「なに、さっき赤ん坊になったから、感情のタガが一時的に外れておるのじゃよ。ワシの経験上、大人に戻ってすぐに泣く者は、今にも押し潰されそうな危険な状態じゃ。悪いことは言わぬから、とっとと吐いて楽になった方がよいぞ」
「わ、わかった」
自分がそこまで追い詰められているとは思わなかったが、誰かに話を聞いてもらいたいという想いはあるのも事実だ。
「はぁ、実はね…………」
俺は大きく息を吐くと、今日で店が閉店となり、これからどうやって生きていこうか悩んでいる旨をエレナに話した。
「なるほどのぅ……」
俺から悩みを聞いたエレナは、カップに残ったお茶を飲み干しながら何度も頷く。
「それで、これからハルトはどうするつもりじゃ?」
「どうするって……精々、今ある貯金が尽きる前に何か適当なアルバイトを見つけて、ウイルスの流行が去るのを、細々と食い繋ぎながらもう一度店を開くチャンス待つよ」
「…………本気か?」
俺の決意を聞いたエレナは、形のいい眉を顰めて小難しい顔をする。
「今のお主の状況を見聞きした限り、その可能性はゼロに近い……というよりゼロじゃろ」
「ハッキリ言うね」
容赦のないエレナの一言に、俺は苦笑するしかなかった。
それだけしっかり断じられてしまうと、怒りすら湧いてこない。
「だけど俺は諦めるつもりはないよ。これまでも散々言われてきたけど、そんなことで簡単に諦められる夢だったら、最初から自分の店を持とうなんて思わない」
「夢……じゃと?」
「うん、俺は世界中を旅して味わった感動を、皆に知ってもらいたいんだ。そうして、一人でも多くの人を喜ばせたいんだ」
「そう……か」
俺の決意の言葉を聞いたエレナは、ゆっくりと目を閉じて何か考える素振りをする。
「…………」
考えに没頭するエレナを見て、俺はなんとも居心地の悪い気持ちになる。
少女の姿の時はそこまで気にしなかったが、これほどの美人をかつて見たことがあっただろうか? と思わずにはいられないほど、エレナは美しかった。
何気ない仕草ではらりと落ちる銀色の髪や、長いまつ毛が僅かに揺れるだけでも、心臓が口から飛び出すのではないかと思うほどドキドキした。
できれば少しでもこの時間が長く続いて欲しい。そんなことを思うが、無情にもエレナは目を開けて俺の顔を見る。
これでエレナとの楽しい逢瀬も終わりかな? そう思っていたが、彼女の口から出た言葉は意外なものだった。
「なあ、ハルト。お主さえよければ、ワシの世界に来ないか?」
「えっ?」
「この世界におっても、日々削られていくだけで何も得るものはないじゃろう。なら、いっそのことワシの世界に来て、そこで新たな世界に触れてみないか?」
「新たな……世界」
「そうじゃ、生憎とワシも美味いものに目がない質での。この世界で自由に行動できないのなら、ワシの世界に来て世界中の美味いものを一緒に食べ歩かないか?」
まさかの提案に、俺は目を思いっきり見開く。
エレナの世界……異世界に行く。そんなこと、考えたこともなかった。
口では再起するとは言ったが、果たしてそれが何年先になるのかは皆目見当もつかない。
そもそも何処も経営が苦しい中で、俺を雇ってくれるところが見つかるかどうかも疑問ではあったが、生きるためには働かなければならない。
社会人になって痛感するのは、好きなことをして生きるというのは存外に難しく、日々の暮らしを守るために多くを犠牲にしなければならないということだ。
奇跡的に店を開くところまでこぎ着けても、おそらく借金まみれですぐさま閉店、なんてことになることは大いにある。
だが、ここで身辺整理をして異世界に行くことができれば……少なくともジリ貧になることは防げる。
さらに今まで触れたことがない世界、食材、料理を知ることができれば、次に開く店への強力な武器になることは間違いなかった。
「んで、どうするのじゃ?」
俺の表情から既に解答はわかっていると思うが、エレナはニンマリと口角を上げて優雅に笑う。
「何、悪いようにはせん。この銀の賢者、ハルトの身の安全と旅の無事は保証してみせよう」
そう言って差し出されたエレナの手を、俺がどうするかなんて言うまでもなかった。
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