解析班の部屋へと戻ってきた相良。彼の顔は憔悴しきっていた。それに気付いたのか西条が声を掛ける。

「主任、どうかしたんですか?」

「え……あ、いや。何でもない。それより、新たに分析するものがある。何も聞かず、これを分析してくれ」

 彼はそう言って都築が採取した検体を台の上に並べた。

「血液に皮膚片……これって……」

「ある患者の検体とだけ言っておく。それ以外のことは言えない」

「またそれですか……」

 西条が彼に何かを聞こうと近づいたが、真理子は服を掴み、阻止する。

「やりますよ、分析……」

 西条たちは最新の注意を払って、容器のふたを開けスポイトやシリンジを使い、専用の器具の中へと検体を移動させる。

「……この検体は誰のです?感染しているようですが……」

 顕微鏡から目を逸らし、西条が相良に尋ねる。

「機密事項だ」

 素っ気なく答える。ため息をつき、再び顕微鏡を覗いた西条。何かの異変に気付いたのか、真理子を呼ぶ。促されるまま顕微鏡を覗く真理子。

「これって……」

「ああ。恐らく、この検体を提供した人物はなんだと思う。だが……」

 西条の話を遮るかのように、静かな部屋に大きな音が響く。音の発生源は弓削だ。西条たちの話に気を取られていた彼が検体が入っているガラス瓶を床に落としたのだった。腕に血液を浴びている。驚いた顔で弓削を見る真理子たち。

「あ……ち……血が……っ!う、腕に……これ……っ!」

 パニックを起こし、言葉もままならない彼は小刻みに震えていた。ただ一人、西条だけは冷静だった。彼は手元にあったアルコールを弓削の腕にかけた。そして流し台へと連れて行き、消毒薬で腕を洗う。弓削は真っ青な顔をして立ち尽くし、何をするにも西条にされるがままだった。

「それって……血液だよな……」

「Ⅹがある血液……でしょ……?」

 五十村と羽衣が言った。それを聞いた弓削は余計に真っ青になる。口を魚のようにぱくぱく動かし、過呼吸を起こしかけていた。

「弓削、落ち着くんだ。……主任、医務室に彼を連れて行ってください。恐らく一瞬だったので発症はしないだろうが、念のために隔離したほうが良い。それと、この部屋を消毒しないと……」

「分かった。彼は私が連れて行く。君たちはこの部屋の消毒をしてくれ。ゼウスに言えば大丈夫だ」

 相良が彼を連れて出た。それを確認した西条は、ゼウスに呼びかける。

「ゼウス、この部屋を綺麗に消毒してくれ。感染の恐れがある」

〈承知しました。消毒を致します。皆さまは、一度部屋の外へ出てください〉

 三回の電子音と共に大量の消毒剤が降り注ぐ。しばらくして西条が扉を開けた。机の上にあったありとあらゆるものが消毒剤に塗れている。

「検体もアウトか……」

 西条が消毒剤により固まってしまった検体の一つである血液を見下ろす。真理子は部屋の中を片付け始めた。それに従い、羽衣たちも片づけをし始める。

「俺たちもシャワーを浴びたほうがいいな」

一通り綺麗になったところで西条が呟いた。ふと隣を見ると、五十村が俯いている。

「どうかしましたか?」

「え、いや……ちょっと怖くなってな……。今までこんな仕事に就いたことなんてないのに、ここへ配属されて。案外、俺にも出来るのかもと思ったけど……。弓削があんなことになって、正直怖くなった」

 扉が開いた。入ってきたのは相良だった。

「彼は医務室に運んだあと、一通りの検査と診察を行った。結果が出るまでは、隔離室に入ってもらうことになった。それと、今回のことは隊長に報告することになってる。もうすぐ、ここへ隊長がくるから少し待つように」

 彼はそう言って扉の前に立った。しばらくすると、高田が部屋へと入ってくる。

「今回の件、相良から聞いた。研究や分析に危険はつきものだ……と言いたいところだが、正直言うと、この施設内で事故が起きたのには驚いた。それも経験者がいる班でだ。そこで、君たちに選択肢をやろう。よく考えて答えてくれ。選択肢は三つだ。一つ、このまま解析班に所属し分析を続ける。二つ、班の異動を願い出て、解析班から外れる。三つ、この施設から出る。さあ、どれがいい?」

 高田は三つの選択肢を提示した。いち早く答えたのは、五十村だった。

「俺は、この班からの異動を願い出ます。研究職とか俺には向いてないし、正直言うと怖いです」

「わ、私も班の異動をしたい……です……」

 そう言ったのは羽衣だった。真理子は驚き羽衣の顔を見る。「ごめん、でも私には無理だよ。向いてない」と顔を背ける。

「藤田はどうしたいんだ?」

「私も……異動します。倉木さんたちと同じく、私にこの仕事は無理です。何の知識もないし、ついていけない……」

「承知した。安藤と西条はこのまま残るのか?」

 少しの沈黙の後、西条が言った。

「もちろんです。俺はこのまま残ります。何が何でもこの事態を突き止めなければいけませんから」

「私も残ります」

 全員の意思を聞いた後、高田から今後の説明があった。

「今日は解析班の仕事は中止となる。明日以降については後程説明する。今日は各自、部屋に戻りなさい」

 彼は相良を連れて、部屋を出た。静かになった部屋に、ただ不穏な空気が流れている。誰も一言も話さず、ただそこに立っていた。その沈黙を破ったのは真理子だった。

「少しの間だったけど、あなたと一緒にこの仕事が出来て良かった」

「真理子……」

「安藤だってば……。羽衣、次はどの班に配属されるかは分からないけど、食事の時は話しよう?それくらいしか、あなたと話せる時間ないからさ」

 羽衣は力強く頷いた。そしてそれぞれが自室へと戻っていく。

 夕食を終え、部屋で休んでいた時、扉が開いた。入ってきたのは、瀬名と三浦だ。

「倉木さん、藤田さんは前へ」

 名前を呼ばれ、二人が前に出る。

「隊長から聞きました。特例につき、班の異動を命じます。倉木さんは、解析班から調達班へ。藤田さんは解析班から調査班への異動となりました。荷物をまとめてください。今から、部屋の移動を行います。また、バンドの色も変わりますので、切らせていただきます」

 二人は腕を前に出す。三浦はハサミを手に、バンドを切った。そして新しい色、黄色と紫のバンドがそれぞれに渡される。それを腕に着けると、荷物をまとめ部屋を出て行った。二人が振り返ることはなかった。

「広くなったな……。一人で使うには広すぎるよ……」

 真理子は二人がいなくなり、広くなった部屋を歩き始める。

 一人寂しく感じたのか、真理子は部屋を出た。向かった先は食堂だ。

「安藤さん!」

 誰かに呼ばれ、辺りを見回した。西条が奥の席に座っている。

「西条さん……」

「どうした?元気ないな……」

「部屋、一人になったから少し寂しくて……。急に広くなったから。二人は調達班と調査班に異動になったんです……」

「そうか……。俺んとこも異動の知らせが来たよ。五十村さんは制圧班に異動だってさ。今は俺も部屋で一人だ。まあ、こっちはむさ苦しくなくて快適だけどな」

 そう明るく振る舞う西条の顔も、どこかほんの少しだけ寂しそうに見えた。

「あ、ここからは小声で……。あのⅩだけどな、前に意図的に作られたものなんじゃないかって言ったの覚えてるか?」

「ええ、覚えてます」

「まだ可能性の段階だったんだ。けど、それが確信に変わるかもしれない……」

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