⑪
「どういうことですか!?」
真理子は思わず声を上げた。
「ラルドって聞いたことあるか?」
真理子は首を横に振る。聞いたことのない病原体だった。
「この間、俺は主任の後をつけたんだ。気づいてただろ?」
「はい。だから私はとっさに嘘を……」
「後をつけたら、パソコンやモニターがたくさん並ぶ部屋に着いたんだ。そしたら、高田と中原さんがいた……」
「え……おばちゃんが!?どうして……」
「分からない……けど、俺たちが血液型と病原体があることを突き止めただろ?それを、あいつは報告してた。“突き止められてしまいました”って」
「と言うことは、病原体が含まれていることを知っていた……?それにおばちゃんも関与してるってこと?」
西条はあの時聞いたことを全て真理子に話した。“ラルド”や“ベクター”という言葉、雅子たちの会話、全てを。
「“ラルド”って言うのは何か分かりませんが、“ベクター”ってことはもしかして……」
「ああ。“ベクター”とはつまり“
“ベクター”、それは病原体を、ある宿主からほかの宿主へ運ぶことで感染症を媒介する生物のこと。媒介は物理的なものと生物学的な媒介の二つに分けられる。物理学的媒介では、その体内で病原体は増殖せず、媒介者は接触や吸血により別の宿主へ病原体を移動させるだけである。一方、生物学的媒介は体内で病原体が増殖したり、生活環の一部を営んだ後、他の宿主へ運ばれること。
「それに、二回目の分析の時、覚えてるか?」
「キャリアの……」
「そうだ。つまり、この施設のどこかに最低でも三人の人間が隔離か、監禁かをされているはずなんだ。AB型の人間、O型の人間、そしてキャリアの人間だ。O型の人間にはⅩがある。つまり、感染者だ」
「この施設に感染者……」
「ま……安藤さん、俺と一緒にこの施設の実態を暴かないか?誰が何のためにこんなことを起こしたのか、そしてこれに関わっているのは誰で、真の犯人は誰なのか。それを一緒に突き止めないか……?」
真理子は考えた。自分に施設の秘密を暴くことなんてできるのか。もし上手く行かなかったら……。恐る恐る西条の顔を見る。真っすぐに自分を見る彼と目が合った。
「分かりました。やります。この施設は一体何で、ここで何が行われているのか、実態を暴きましょう……」
「ありがとう。正直、一人でやるにはきついと思ってたんだ。女性のフロアには行けないし、ここの人間は信用できないし」
真理子は微笑んだ。自分も西条が一緒なら安心だ。そう思った。その夜。真理子は久しぶりにぐっすり眠った。ここに来て初めて、安心した気持ちになった気がした。
翌朝、ゼウスの知らせで目を覚ました真理子。服を着替え、洗面室へ向かう。顔を洗い、最低限のメイクを施す。朝からハイテンションな羽衣はいない。それが少しだけ寂しい。しかし、そうも言ってられない。私には解析しなければならないものがある。それにこの施設の実態を暴かないと。
これからどうしていこうか……そう考えていた時、食事の放送が流れた。真理子は一人、食堂へと向かっていった。
「安藤さ~ん!」
声の主を探すと、羽衣だった。真理子は笑顔になり羽衣に駆け寄る。
「おはよう、倉木さん。よく眠れた?」
「それが、部屋の人と合わなくてさ……。こんなことになるなら、異動したいなんて言わなきゃ良かったよ……」
落ち込む羽衣を見て、真理子は少し切なくなる。真理子は空いている席を見つけ、羽衣と座った。そして食事の間、羽衣の話をずっと聞いていた。
「あ~喋った~。安藤さんのおかげでちょっと楽になったよ……。部屋の人たち、あんまり喋らないタイプみたいでさ。何て言うか……暗いんだよね」
「私も、今は部屋に帰ると誰とも話さないよ。一人だからさ。でも、こうやってここで倉木さんと話せて良かった。この後の仕事、お互い頑張ろうね」
二人はそれからも食事を続け、昨日のこと、これからのことを話していた。もちろん西条とのことは秘密だ。そして食事を終えた職員は、それぞれが自室に戻り始めた。この後はまたいつも通りに仕事がある。それぞれに与えられた役割をこなす。それがここでの安全が提供される条件だ。
「おはようございます……」
つかの間の休憩を終えた真理子は、解析班の扉を開けた。
「おはようございます、安藤さん」
「おはよう、安藤さん」
相良の前に立っている西条と目が合う。西条は相良には分からないように、小さく頷いた。“今日から、始めよう”そう言う合図だ。
「まず、始めに言っておくことがあります。ここへ来てください。……昨日、ビンが割れ、一人は隔離。残り三人は異動となりました。今ここでの仕事を行えるのは、君たち二人だけです。ケガや二次感染、危険のないように注意して分析を行ってください。また、昨日の消毒により使えなくなった機械類ですが、今日また、新たに全てを揃えています。薬品類も一応は補充してありますが、検体等は用意がありません。必要なものがあれば随時、言ってください。では、業務を開始してください」
真理子たちは元通りになった部屋を見て回った。光学顕微鏡、電子顕微鏡、試薬類、各器具類、全てが揃えられていた。また、新たに加わった顕微鏡もあった。それは、走査型透過電子顕微鏡だった。
走査型透過電子顕微鏡とは、Transmission
「分析に必要なものは全て揃えられています。主任、ありがとうございます」
「いや、私ではなく隊長だ。これらがなければ解析班の仕事は務まらないだろうって、揃えてくれたんだ。お昼にでもお礼を言っておくように」
「分かりました。あ、主任。早速ですが、分析をするには検体が必要です。それがなければ、今までの分析を続けることが出来ません」
「……分かった。何がいるんだ?」
西条は相良の顔をじっとみて、こう言った。「血液検体が三本、そうですね……一番初めに分析した血液、AB型とO型です。あ、O型に関しては病原体が含まれていました。それと昨日の検体を全てです。用意していただけますか?」と。相良は、一瞬目が泳いだ。西条の目から視線を逸らしたのだ。相良は「よし、分かった……少し時間がいるからそれまでは、他のことをしていてくれ」と部屋を出ていく。
「やっぱり、時間は掛かるが用意できると言うことは……」
「いるんですね、この施設にその三人が……」
真理子たちは確信を得た。そして彼が戻ってくるまでの間、無事だった検体を調べ始めた。
「これ病原体の培養をしておいたものです。消毒液が撒かれる前に終えていたので無事でした。これです……」
真理子に促され、西条は早速、走査型電子顕微鏡を起動させた。真理子から対象物を受け取り、観察する。そこに映し出されたのは今までよりも鮮明に映し出された病原体・Ⅹだった。少しずつⅩの全貌が見えてくる。それは真理子たちが見たことのある病原体だった。
「これ、間違いなくウイルスですね」
「そうだな……おそらくポックスウイルス科のものだ。この煉瓦型にエンベロープ、そして今までの分析結果を踏まえると……」
「煉瓦型でエンベロープを持っている……アルコールに対して不活性がある……そしてあの症状……」
真理子は真っ青な顔をして西条を見る。もし自分の予想が合っていれば……。血の気が引いていく。全身の血液が抜かれていくような感覚で、吐き気までもが出てきた。
「いや、まさか……」
「でも、可能性としては……」
二人は恐ろしくてその名を口に出せないのか、敢えて出さないのか、阿吽の呼吸だった。
「でも、もしそうだとして緑にはならないですよね……?この形は間違いなくウイルスです。でも、ウイルスで緑って……」
「言っただろ?これはもしかしたら意図的に人工的に作られたものなんじゃないかって。これはウイルス、でも俺が見つけたのは細菌だった。だとすれば、君も知ってるはずだ。皮膚病変や膿が緑になる細菌を……」
「……緑膿菌……ですか。……でも、ウイルスと細菌ですよ?合わせられるわけが……」
「いや、出来るのかもしれない……もしこれが俺たちの予想通りのウイルスだとしたら、そいつはDNAを持ってるだろ?緑膿菌もDNAを持ってる……つまり……」
「ウイルスのDNAに細菌である緑膿菌のDNAの一部を組み込んだ。その一部分というのが、患部が緑になるという緑膿菌の……」
二人は自分たちがとんでもなく恐ろしいことを考えていることに気づき、小さく身震いした。もし自分たちの考えが当たっていれば……。
「じゃあ、治療薬もワクチンも作れませんよ……緑膿菌は比較的、薬剤に対して耐性があったはず。それにもし、多剤耐性緑膿菌だったら……」
「そうなんだよ……ウイルスには抗ウイルス薬、細菌には抗生物質を使う。全く違うんだ。防ぐことも治療することも出来ない」
二人が落胆していると、扉が開き相良が戻ってきた。
「二人ともどうしたんだ?言われていた検体、何とか手に入れた」
袋に入った容器を手渡してくる相良。それを西条が受け取った。
「主任、これ……どこで手に入れました?これだけの検体、簡単に手に入れられるんですよね。と言うことは、この施設内にいるんじゃないですか?感染者が……いえ、“ベクター”が。そしてこの病原体はウイルスと細菌を掛け合わせて作られた、人工ウイルスですよね?あなたたちは“ラルド”って呼んでる。違いますか?」
「い、いや……」
「答えられないんですか?俺たちは突き止めました。言いましたよね?必ず突き止めるって。その結果を報告してるんです。この病原体Ⅹはラルドウイルスと呼ばれていて、意図的に作られた人工ウイルスだ。そして、それに感染した人間をベクターと呼ぶ。そうですよね!?」
相良は目を逸らし、答えられずにいた。
「何も言えない……ということは当たってるってことですね。ったく、何でこんな……これ、基になってるウイルスは天然痘だ……。何でここに天然痘が?今のこの地球上に天然痘があるのはCDCとロシアの研究機関、それもBSL4の施設だけですよ?一九八〇年五月八日にWHOが天然痘の根絶を宣言した、それ以降は発生することはなく、厳重に保管されている。それなのにどうしてここに天然痘があるんですか!?」
「……私に言われても困る。この事態を招いたのは私じゃない……第一、ウイルスだ細菌だって言われても、私に科学の知識はない。分かるわけないだろ!?」
開き直った相良を見て、西条は怒りに駆られた。思わず、掴みかかり彼の頬を殴りそうになった。その瞬間、扉が開き高田が入ってくる。
「そこまでだ、西条。その手を放せ。私が説明しよう……。君もついてきなさい」
高田に言われ、二人は後をついていった。案内されたのは地下八階にあるコントロールルームだった。そこは一度、西条が相良の後を追いかけ侵入した場所だった。
たくさんのパソコンにモニター、奥には二席だけ用意された椅子と机。
「あ……これ……!」
真理子が見たもの、それは地上での様子だった。町は崩壊し、人が住めるような状態ではなく、あちこちに感染者の姿が映っている地獄のような街の姿。
「今の地上だ。ウイルスは自然拡大し、ここまで広がった。今は、関西のありとあらゆるところに感染者がいる。まさか、こんなに早くラルドを突き止められるとは思ってなかったよ……。君たちは本当に優秀なんだな」
「そんなこと関係ねえ。俺が聞いてるのは、これが人工ウイルスで天然痘と緑膿菌を掛けわせたものなのか、何でここに天然痘があるのかを聞いてんだよ!これはお前たちが言ってるラルドってやつなのか!?」
「君の質問に一言で答えるとすれば、イエスだ。君たちはそこまで突き止めたのか……。君の言う通り、これは天然痘と緑膿菌を掛け合わせた人工ウイルス・ラルドウイルスだ」
「……ラルドウイルス?あの、それって……」
「私の口からは言えない。これは機密事項だからね。ただ、もうすぐお帰りになる、あの方なら話してくれるかもしれないよ…?」
「あの方って……?」
「中原雅子……だろ?」
高田は「さすがだ」と手を叩いた。そして、コントロールルームの扉が開き、雅子が入ってきた。真理子は思わず駆け寄って雅子に抱きつく。
「おばちゃん!!」
「マリちゃん……」
「一体どういうこと?これ……」
「中原様、この二人がラルドとベクターについて突き止めました……」
雅子は二人を交互に見て「そう……やっぱり早いわね……」と微笑んだ。
「二人はどこまで知ってるの?」
高田が説明しようと口を開いたとき、西条がそれを遮るように話し始めた。これは人工ウイルスで、天然痘ウイルスと緑膿菌を掛け合わせたものだと言うことを。
「天然痘ウイルスは、ソマリア人の青年を最後に自然感染の患者は報告されていない。それに、今の地球上で天然痘は存在しないと言われている。あるのは、BSL4の研究施設二か所だけだ。それなのになぜ、ここに天然痘ウイルスがあるんだ……」
「それはね……、天然痘ウイルスをくれた人がいるからよ、西条くん。あなたたちが知らないことも、この世界にはたくさんあるの。あなたたち二人は、そのうちのただ一つを突き止めただけ」
雅子はそう言うと、自分の席に座り、二人を外へ出すよう命じた。それに高田たちが従う。
「くそっ……。絶対に突き止めてやる。何が何でも、全部……」
部屋に戻ってからの西条は様子がおかしかった。さっきまでの彼とは違い、気迫があり、少し恐ろしく感じた。
「西条さん……」
真理子の呼びかけにも反応せず、ただひたすらに検体の分析をしていた。扉が開き、相良が入ってくる。
「何の用だよ……」
「私は解析班の主任なんで、ここにいるだけだ」
「主任か……。どうせ監視だろ?隊長にでも言われたんじゃないのか?“あいつらを見張れ”って」
図星だった。相良はため息をつきながら答えた。
「そうだ。隊長から頼まれたんだ。君たち二人を見張れって。それと、伝言を預かってる。『今日から君たち二人には他の職員との接触を禁じる。二人の安全のために、自室に戻ることは許さない。許可があるまでは班室にいること』と仰っていた」
「何が安全のためだ。隔離、いや監禁だろ。だいたいの想像はつく。俺たちが病原体を突き止めたことによって、他の職員に漏らされることを危惧してるんだろ」
「君たち二人は優秀すぎる。こんなに早くラルドウイルスを突き止めるとは思ってなかった。最後の計画を遂行するまで、君たち二人は監視させてもらう」
彼はそう言って丸椅子を取り出し、静かに座った。二人のことを本当に監視するようだ。
「どうせやることなくて暇なんだったら、あんたは検体でも取ってくる仕事をしてくれよ」
西条はそう捨て台詞を吐き、分析に戻った。
「マリちゃん、そこの……」
「西条さん、ここでは名前は禁止だと最初に言ったはずですが?」
「別に良いだろ。ここには二人しかいなくて、俺たちは知り合いだ。それに、あんたが俺たちに指図できる筋合いはない。特に、彼女に対しては……」
相良は何も言わず、口を閉じた。西条はわざとなのか、真理子を苗字ではなく、敢えて名前で呼んだ。ULIで仕事をしていた時のように。
「マリちゃん、続きやろうか。そこにあるα試薬を取ってくれないか?」
「あ、はい……どうぞ」
「ありがとう」
「さ、西条さん……それどうするんですか?」
「基になってるのは天然痘だろ?それに緑膿菌のDNAの一部を組み込んでる。だから、治療薬もワクチンも作れない。だったら、このウイルスの型がどの試薬で崩れるか確認するんだ。そして……」
「型を崩した試薬を元に治療薬やワクチンを作る……と言うことですね」
西条はいつものように微笑んだ。
「分かりました。私が西条さんの助手をします」
「頼むよ。優秀な助手は大歓迎だ」
二人は揃って座り、顕微鏡や試薬、器具を使用し分析を再開する。その様子を黙ってみている相良。別の部屋では、班室に取り付けられた監視カメラを通して雅子が部屋の様子を見ていた。
「マリちゃん、西条くん、あなたたちは最高の研究者ね……。あなたたちなら、この腐った計画を阻止してくれるかもしれない……」
雅子は手元のタブレットを操作し、ある画面を出した。そしてファイルを選択し、ロックを外す。【パンドラ計画】【プロメテウス計画】と二つのファイルが存在した。雅子はパンドラ計画と書かれたファイルを開く。
「人類減衰計画、通称パンドラ計画……。ほんとにバカげた計画ね……。よくこんなバカげた計画を立てたこと……」
ICチップと連動……ラルド……天然痘ウイルス……DNA……新人類……そんな言葉が羅列していた。
「この計画は止められなかった。せめてプロメテウスだけは阻止しないと……」
雅子はタブレットを見ながら、そう呟いた。
一方、ある場所では大掛かりな会議が開かれていた。その場所は“日本国東西議事堂”だった。
『総理、計画は実行されたようですな……』
「君の方もだろ……?戸狩くん……」
大きく丸いテーブルの前方には、巨大なホログラムがあった。そこに映っているのは、関東統合政権の大統領・
『確かに、うちも同じですね。ですが、そちらは大道寺総理の命令で動いているスパイがいると耳にしましたが……スパイがいて情報は容易に手に入れられるはずなのに、計画の阻止は失敗……これは笑うしかないですね……』
「戸狩大統領、言葉を慎んだほうが良いのでは?あなたもいつ感染することか……。うちには切り札がありますからね。そっちには無いでしょうから……残念ですね」
関東の大統領と関西の総理大臣、双方の攻防はどちらも一歩も引かなかった。
「では、会議を開きましょうか……。そちらからどうぞ、大統領」
大道寺は右手のひらを上に、戸狩に先に話すように促した。
『……関東はほぼ全滅。生存者数は先週に比べ激減。新しく生存者が見つかったという報告もない。研究施設にて治療薬、ワクチンは未製造およびラルドウイルスの特定には至っていない。以上……』
「関西の生存者は、九〇〇人。感染者の封じ込め、生存者の救出は上手く行ってます。研究施設にて、ラルドウイルスの特定に成功したものが二名。ワクチン及び治療薬は目前かと。以上です」
大道寺は少し誇らしげに前を見る。映像の中で戸狩が悔しそうに彼を見る。
「では、定例報告は終わりましょうか。では、来週また……」
ホログラムは閉じられ、映像は終わった。
「総理……ウイルスの特定に成功したって、一体だれが?」
「これは機密だから詳しくは言えないが……ある研究所に所属していた、男性と女性だそうだ。先ほど、新田から報告を受けた」
「新田さんが言うなら、間違いないですね……。ではやはり、新人類に選ばれるのは……」
大道寺は自分の顎を触り、口をつぐんだ。これ以上は話せない。顔がそう語っている。
この自分たちがいる関西で、そんな会議が行われているとも知らず、真理子と西条はひたすらに分析を続けていた。分析を再開して、もう何時間経っただろうか……。外部と接触することなく、昼食ですらこの部屋。相良が運んできたものを黙って食べるだけ。
「これもダメか……」
「西条さん、天然痘のワクチンって種痘ですよね」
「そうだ。それがどうかしたか?」
「このラルドウイルスが、天然痘と緑膿菌を掛け合わせて作られたものなら、それぞれに効果のある薬を掛け合わせる……なんてことは無理ですか?」
「種痘は今ここには無いし、天然痘の治療と言っても対症療法しかない……」
「そうですか……あ、だったら……」
真理子と西条はいろいろな方法を試しながら、何とか薬を創ろうとしていた。それでも、治療薬はなかなか作ることが出来ない。ふと真理子が何かを思い出した。
「西条さん……私、今思い出したんですけど。二回目の分析をしたとき、キャリアの血液がありましたよね?それ、もしかしたら……」
「キャリアと言うことは病原体はあるが、発症しない……発症しないと言うことは耐性がある……その耐性がなにかを見つけられれば……」
二人は顔を見合わせ、血液の分析に取り掛かった。血液を走査型電子顕微鏡で観察する。赤血球、白血球、血小板、ラルドウイルス、それ以外に見えるものはなかった。真理子は、「西条さん……ウイルスだけ取り除いて染色してみませんか?もしかしたら、何か分かるかも……」と、提案した。
「よし、こうなったら思いついたものは全部やってみよう……時間だけはたっぷりあるからな」
西条は器用に器具を使い、ウイルスだけを取り除いていく。数分後、取り除いたウイルスに特殊な染色液を使用し、ウイルスを染めていく。しかし、どれも綺麗には染まらず、ラルドウイルスのみを鮮明に観察することは出来なかった。
「何でだ……これで染まりそうなものなのに。人工ウイルスだから、一筋縄ではいかないってことかっ!」
西条は珍しく、苛立っていた。こんな彼を見るのは初めてかもしれない。真理子は必死に案を出す。
「西条さん、これでやってみてください!」
「これは?」
「薬品棚にあるのを見つけたんです。メチレンブルーと酢酸オルセイン、ビクトリア青染色液、普通のウイルスでないなら、普通の染色から外れてみませんか?」
西条は染色液のビンを真理子から受け取ると、「なるほど。常識から外れてみよう。マリちゃんも染色手伝ってくれ」と言った。二人はウイルスを取り出しては染色する。何度も何度もその繰り返しだった。そして、一つ一つ観察を進めていく。
「あ、これなら鮮明にウイルスが見えますよ!」
「本当か!?どうなってる!?」
「これは……結構複雑な形だな……。普通の天然痘でもないし、普通の緑膿菌でもない……さすが、人工的に作られただけあるな……」
「当たり前ですけど、こんなの初めて見ました……。何か、恐ろしいですね……」
西条たちが観察をしたラルドウイルスは、今までにみたことのない形をしていた。煉瓦型にも関わらず、緑膿菌のように一つが長細い細菌の形にも見える。初めに真理子たちが言ったウイルスのような細菌のようなは的中していた。
「ウイルスの周りに僅かにある点状のものって何でしょうか……。エンベロープではないみたいですけど……」
「そうだな……。エンベロープではないし……もしかしたらこれが、キャリアの元になってるのかも。これ、拡大してみよう」
顕微鏡の横に設置してある画面いっぱいに、ウイルスが映し出される。
「これ、一つの細胞のように見えますね……。細かい点が集まってるんだ……」
「よし、これを集めて、シャーレ内で感染させるぞ。その時に、どう反応するかだ」
二人は実験してみることにした。採取した点状のものを意図的に感染させる。その時、それがどう反応するかを見てこれからのことを決めて行く。そういう手順だった。
その頃、他の班では異変が起き始めていた。最初の異変は医療班だった。
「隊長!聞こえますか!?都築です!隊長っ!」
コントロールルームに続きの悲壮な声が響いた。高田は急いでインカムを着け、彼と直接会話を始めた。
『どうした!?何があったんだ!?』
「分かりません……尾崎さんが……真っ赤で……」
『君たちはそこを動くな!すぐに応援をやる!』
高田は彼との通信を切り、制圧班と保護班の班室へ連絡をした。
『制圧班、保護班、聞こえるか!?』
「こちら海野、聞こえます」
「熊田です。聞こえてますよ隊長。どうしました?」
『医療班で感染者発生の恐れ。直ちに急行してくれ。私が放送を掛ける。放送を掛けたあと、君たちに連絡する。突入するのはそれからだ』
「分かりました。到着後、迅速検査行います」
『頼む。それと……感染者は恐らく尾崎だ……』
高田の言葉に返事をする余裕もなく、二人は唖然と立ち尽くした。まさか、ここで感染者が出るなんて……。一体どうして……。
「す、すみません……」
加藤が青い顔をしながら、海野の元へ歩いてきた。
「すみません……多分、俺のせいです……。俺が、現場で迅速検査をした際に、検査が下手で見落として……それで……」
「あなたのせいだとは言ってない。この事態の原因は何か分かってないし、私たちだってもしかしたら、すでに感染してるのかも。それが発症してないだけってことも考えられるでしょう?とりあえず、あなたも用意して。すぐに向かうわよ」
海野はそう言うと準備を進めていった。
施設内に放送がかかる。高田の声だ。
『高田だ。今、業務を進めているものは直ちに手を止めるんだ。各自、自室に急行し待機せよ。調達班に関しては、食堂から一歩も出るな。扉を閉めてロックを掛けろ。全員急げ!』
「……おい、何があったんだ?」
「待って、どうなってるの?」
「これ、訓練とかじゃないよな!?」
高田の放送が途切れた後、たちまち施設内は騒がしくなった。廊下を走り、各々が自室へと戻っていく。エレベーターは人で溢れた。定員オーバーを知らせるブザーが鳴る。誰もが我先にと箱に押し寄った。
解析班にいる相良は、先ほどの放送で何か異変を察知し、高田に連絡していた。
「隊長、私です。一体何が……?」
『感染者だ。医療班で出た。尾崎は感染者かもしれない……』
「尾崎……ですか……?確か、三人の生存者の内、女性の検査・治療に携わった者です!そして女性は今……」
『……隔離室か……。感染はしているけど、発症していないとかいう……』
「そうです!それが原因だとすると、その時一緒にいた男性二名も危険です!」
『分かった。お前はそこで待機だ。また連絡する』
彼は最悪の場合を想定していた。この施設内に感染者が脱走したら……。頭を振り、その考えを吹き飛ばした。
「あの……何があったんですか?もしかして、感染者……」
「君たちは何も考えるな。何も余計なことはせず、黙ってここにいろ」
高田は制圧班・保護班に連絡を出し、医療班の班室へと向かわせた。熊田がバンドをかざし、扉を開ける。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
叫び声だ。
部屋の奥から聞こえてくる。熊田は部屋の隅に座り込む、栗田、幸田を見つけ、保護班に検査をするよう指示を出した。
そして医療班のメンバー、渡辺を見つけるよう、制圧班全員に指示を出し、部屋を隈なく捜索する。熊田は部屋の奥にあるベッドに気づいた。カーテンを開けると、全身真っ赤な水膨れに覆われ、叫び声を上げている女性の姿が確認できた。叫び声を上げていたのは尾崎だった。
「都築!何してるんだ!すぐに離れろ!」
「だ、だめです……治療しないと。もうすぐ検体も取り終わるんです……そして、これを分析してもらわないと……」
「こんな時に何言ってるんだ!さっさと離れるんだ!」
都築が震える手で、尾崎の腕に針を刺す。彼女が暴れ、持っていた針を彼女の体にある水膨れに刺してしまった。その瞬間、その皮は破れ、中から緑の液体が流れ出る。
「熊田!あの二人は、感染してる……」
海野がそう言って容器を自分の目の前に持ってきた。彼女が手に持っているポリスピッツ容器は、全てが鮮やかな青色に変化していた。それは二人が感染していることを示している。
「都築と渡辺も検査してくれ……」
「……了解」
「隊長、俺です。医療班・栗田、幸田は感染しています。尾崎も間違いなく感染者です……」
海野は検体容器を軽く振る。
液体は瞬く間に青色に変化した。
「……全員、青色に……。感染してます。隊長、医療班は全滅だ……」
『分かった……。少し、待ってくれ……考えさせてくれ……』
高田は頭の中で最善策を考える。患者は隔離、しかしその場に連れて行けるのは相良と自分だけ、しかし医療班全員が感染者……いつ、全員が変異を起こすか分からない……どうする、考えろ……。
『熊田、海野、聞こえるか?』
「聞こえます……」
『今から、私が言う通りにするんだ』
「了解」
『まず、自分で動ける者を移動させる。一階まで全員を上げろ。相良と私が後のことを引き受ける。良いか、君たちはあくまでも一階まで連れてくるだけだ。尾崎はその場にいさせろ。他の者を見張りにつけるんだ』
「了解、隊長……」
「了解しました」
二人は彼の指示通り、尾崎を除いた四人を立たせ、それぞれが班員の脇を抱えた。そして、エレベーターに乗せた。その間、高田は相良に指示を出し、エレベーターホールで待つように命令した。エレベーターの表示がだんだんと近づいてくる。扉が開くと、感染した四人の姿が目に入る。体は赤くなり、呼吸もかなり苦しそうな状態にまで悪化していた。
「隊長、お二人で大丈夫ですか?俺も行きましょうか?」
「いや、あとはこっちでやる。君たちはすぐに医療班に戻ってくれ。そこでまた待機だ。あとで連絡する」
二人がエレベーターに乗り込むのを確認し、高田と相良は班員を抱え、歩き始めた。適性検査室を通り、検査棟へ向かう。そして、二人だけが知る扉を開け、専用エレベーターに乗り込み、地下八階にあるラボへと直行する。
「隊長……すみません……自分……感染して……」
「都築、話さなくていい。必ず助けてやるからな」
高田と相良に脇を抱えられた四人は、ぐったりしていた。地下八階、ラボの扉が開き、四人を隔離室へと入れる。ベッドに寝かせてやり、扉のロックを掛け、しっかりとロックされているか二人で確認した。
「隊長……尾崎を入れたら、隔離室は満杯ですよ……どうします?」
「何とかする……。彼女を隔離したら、私たちと制圧班、保護班は消毒だ。その後は施設内を一斉消毒する。そして、生存者の男性二名と所属班の二班も検査だ。覚悟しなければな……」
高田の指示通り、彼は尾崎を隔離し、施設内と職員を消毒した。そして、男性二名が所属する班員と共に医務室へと向かった。
「みんな、この綿棒で口内を擦り、唾液を含ませてくれ。それが終わったらこの容器に入れて、軽く振る。そして私に持ってきてくれ」
立ったままの班員たちは、相良に言われた通りの手順で迅速検査を行っていく。検査が終えた班員は、皆、相良の前に並んでいった。彼は班員の状態と検査結果をパソコンに打ち込んでいった。
数十分後、全員の検査が終わった。結果は透明。非感染者だ。相良はほっとした。全滅だけは避けられた。一息つく間もなく、彼はすぐさま高田に報告した。
『そうか……。分かった……』
素っ気ない返事だったが、高田が誰よりもほっとしているのは彼が一番知っていた。班員たちを班室へと戻し、彼もまた高田の元へと向かう。
「隊長……これ全員分の検体と、状況を記したデータです」
「うん……ありがとう……」
「全滅は医療班だけでした。それがせめてもの救いかと……」
「そうだな……。私はとりあえず、中原様のところへ行って報告してくる。君も班室へと戻って、業務を再開してくれ」
雅子の元へ向かう高田を見送り、彼は解析班へと戻った。たった一時間ほどの出来事なのにも関わらず、急にどっと疲れが出た。
「あ、主任!何があったんですか?」
「どうせ話すわけがない。聞くだけ無駄だ……」
西条の言う通り、彼は一言も話さなかった。しかしそれは、“言わない”ではなく“言えない”だった。
モニターが並ぶ薄暗い部屋。
「いや、しかし……」
「私が言っているのに、従えないの?いいから、非感染者と感染者の検体を解析班に持って行って。彼らに全て分析してもらうの。そして、治療薬を作り出させるの」
「ですが中原様……」
「いい?こっちがいくら隠したところで、あの二人なら全て見つけ出すわよ?この事態を起こした真相も、私たちの計画も。だったら、今のうちにあの二人を懐に取り込んでおきなさい」
雅子の指示に渋々従った高田は、解析班に入ってきた。
「この検体を君たちに託す。こっちが非感染者、透明だ。そしてこれが感染者、青色だ。これを分析してもらいたい。見つけてもらいたいんだ……」
「……何を?これを分析して、一体何を見つけ出すんだ。それを教えてもらわないと、こっちだって動けないんだ」
「薬だ……。ラルドウイルスに対する治療薬を作ってもらいたい」
高田の口から思いもしなかった言葉が出てきた。
「薬を作って、感染者たちを治すのか?それとも、他のことに使う気なのか?俺たちが創った薬で、また何か非人道的行為でも起こされたら困るんですが」
「西条、口の利き方に……」
半ギレ状態の西条を止めるべく、相良が間に入った瞬間、高田は口を開いた。
「西条、君たち二人は優秀だ。とてもな。だからこそ、治療薬を作ってもらおうと、検体を持ってきた。ここの機械や試薬とやらも全て揃えた。ここまでしてるのに、なぜそんなに疑う?そんなに信用できないのか?」
「そのままだ。信用できないんだよ。この施設のこともあんたらのことも。俺はここにきて腑に落ちないことばかりだ。この施設自体が全て怪しいんだよ。一体何を企んでる?計画ってなんだ?」
「君の疑問、いつか全て答えよう。だから今は治療薬を作ってくれ。君が知りたい答えは、治療薬と引き換えだ。約束しよう……」
高田はそう言って、手を差し出した。「分かった。これは男の約束だ。裏切るなよ」と手を伸ばす西条。真理子と相良の目の前で、二人の手は固く結ばれた。
高田が出て行った部屋、相良の見張りの中、二人は検体を取り扱う前の準備をしていた。万が一のことを考え、部屋の隅に台や機械を移動させる。そして、それらを取り囲むように感染予防のための透明なカーテン、いわゆる防護ビニールカーテンを取り付けた。
「何をしてるんだ?それは?」
「今から感染者たちの検体を扱うんだ。安全や二次感染には充分注意するが、万が一のことを考えて対策を取った。俺たちも防具を身に着ける。あんたもこれつけて、自分の身くらい自分で守ってくれ」
西条は冷たい物言いだが、ちゃんと質問には答え、彼にも防具を付けるよう指示した。真理子は何だかおかしくなって小さく笑った。
「どうした?」
「だって西条さん、冷たいし素っ気ないし、でもちゃんと質問に答えて防具渡すんだもん。冷たいのか優しいのか分からなくって」
「い、いいからそんなこと。準備できたらまとめて分析するから、早く手動かして……」
西条は照れているのか、無言になり、てきぱきと動き始めた。そして、準備が整った解析班の部屋。
「じゃあ、始めるか……」
西条は真理子に声を掛けた。
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