⑥
「ゼウス、ありがとう。では、皆頂こう」
高田が声を掛けると、それぞれ箸を手に食事を始めた。真理子も箸を手に、食事をしようとしたとき、どこからか視線を感じた。顔を上げ辺りを見回すと、数列のテーブルを挟んだ先に西条が座っていた。彼の目は真理子を見ていた。指を口に当て、何かを言っている。口を見ろ……?真理子は西条の口元を見た。
(あ・と・で・き・て・く・れ)
後で来てくれ……?何のことかと思い、(ど・う・い・う・こ・と?)と聞き返す。
(ご・は・ん・お・わ・った・ら・き・て・く・れ)
真理子は分かったと頷いた。そして、真理子も西条も何もなかったかのように食事を再開する。
「ま、安藤さん、これすっごくおいしいね。藤田さんも、これ食べた?」
「ええ。とてもおいしいです。私が作るよりおいしいかも」
「……安藤さん?どうかした?」
「へ?あ、いや……何でもない。確かにこれすごいおいしいね」
真理子の様子に違和感を感じた佳奈。しかし、何事もないかのように振る舞う真理子を見て、自分も気にしないでおこうと思った。……今は。
食事を終えた人たちは次々に席を立ち、食器を片付けて行く。部屋を出る際に飲み物を持って出る人、知り合いを見つけて話をし始める人。羽衣と佳奈は「先に部屋に戻るね」と部屋を出て行った。目の前を見ると、西条は真理子と同じく食事を続けていた。手招きをするので、真理子は食器を持ち西条の元へ向かう。
「西条さん……」
「できるだけ前を見て、小声で話すんだ」
「分かりました……あ、何かお話が?」
「君に聞きたいことがあるんだ」
二人は食事をしながら、前を向き小声で会話し始める。
「ここに来てから、中原さんの姿を一度でも見たか?」
「いいえ……見てません。それがどうかしましたか?」
「もしかしたら、彼女は元からここの隊員だったのかもしれない。初めの隊員のあの態度。中原さんの言動、全て辻褄が合うんだ。それに、ここだけの話だが……今朝、ULIで彼女を見かけた。行動が怪しくて、少し後を付けたんだ。そしたら、電話してた。その時に“ゼウス”って言ってたんだ」
「ゼウスって……」
「ああ。あの人工知能だよ。初めは聞き間違いだと思ってだんだ。けど、ここにきて確信した。あの時の“ゼウス”はここの人工知能のことだ。まあ、人工知能にゼウスってのも笑えるけどな……」
「ゼウスってあの神話の……ですよね?」
「うん。ギリシャ神話のゼウスだ。ゼウスは……」
ゼウスとはギリシャ神話の主神で全知全能の存在である。天候や全宇宙を支配する天空神で、人類と神々の双方の秩序を守護・支配する神の王。全宇宙を破壊できるほどの強力な雷を武器とし、強大な力を持っている。西条はそう説明した。
「そんな神の名前を人工知能に……」
「それだけじゃない。ここの施設にある班の名前、あれも全てギリシャ神話の神だ。もしかしたら、ここは神が支配していると言いたいのかも……どちらにせよ、この施設は安泰ではないかもしれない。いつどこにいてもゼウスがいるんだ」
「え……」
「部屋の中のモニター、あれもゼウスだっただろ?それに、この食堂。廊下のモニター、エレベーター、ロッカールームにもだ。この施設の中、モニターがある場所には全てゼウスがいる」
真理子は絶句した。もしかして、ここを支配しているのは人間ではなく人工知能なのではないか……。そんなことが頭によぎった。
「とにかく、気を付けるんだ。何が起こるか分からない。俺は出来るだけこの施設について調べようと思ってる。君も何か手掛かりを見つけてくれ。それと、インターネットメガネ、あれは常に持ってるんだ。タイミングを見て連絡する。いいか?」
「はい。分かりました、西条さん。」
二人は食事を終え、それぞれの部屋へと戻った。真理子は今朝から今まで、違和感しかなかった。なぜこんな事態が起きたのか。それも今日に……。おまけに助けが来たかと思えば、こんなところへ集められた。ここでの生活は自由だと言いながらも、制限はいろいろある。名前は禁止、業務内容は他言してはならない。それに……親しくしすぎるな。
部屋に戻ってからも、ただひたすらにさっきの会話が頭の中をぐるぐる回っていた。ここでの生活、不安しかない。真理子は深いため息をついた。
「一体どういうこと……?」
「何がですか……?安藤さん……」
「へ?あ、藤田さん……。何でこんなことになったんだろうって……。家族と連絡も取れなくて、こんなところにいて。今までの生活がまるで夢みたいだなって……」
「確かにそうですよね。でも今までが平和すぎたんですよ。日本は平和ボケしてると昔から言われていたそうですから。地球温暖化が進んでいる、何か対策をと昔から言われてましたが、結局は対応しきれずにこんな世の中になった。天候も崩れ、生態系も変化し、新型のウイルスも出たことがあったと、曽祖父から聞きました。それに、昔の日本はもっと広くて四七個に分かれていたって学校でも習いました。学校も町も紙であふれていたそうですよ。勉強もテストでさえも紙だったって。曽祖父が亡くなる前に言ってました。“人がロボットを創り、ロボットが進化すると何もかもロボットに取られてしまうんだ。いつかは人間が創ったロボットが人間を殺す”って」
ロボットにとられる……か。今のこの施設をゼウスが支配しているとすれば、それは人間のせい。真理子はその言葉が忘れられなかった。
「まあ、そんなことあるわけないんですけどね。ロボットが人間を殺すだなんて、そんな映画みたいな話……。あ、このフロアの奥にシャワールームがありますよ。倉木さんもシャワーを浴びるって。安藤さんもどうぞ。私は終わりましたので……」
「シャワーか……。ありがとう。行ってきます」
真理子は着替えを持ち、シャワールームへと向かった。
温かい水がシャワーから出てくる。疲れ、悲しみ、不安、恐怖。それらの感情を全て流してしまいそうなほど温かい。真理子はお湯を頭にかけた。大丈夫……何があっても私は生き残る。絶対に……。シャワーを浴びながらそう心に決めた。
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