そう発したのは雅子だった。

 彼女はあまりに驚いているのか言葉を失い、顔が真っ青だった。真理子は雅子に近寄り、そっと背中をさする。

「みんなで屋上へ逃げませんか……?屋上なら空からでも見つけやすいですよね?みんなで行きましょう……」

 真理子はそう声を掛けた。林田、宗田が荷物を持ち陣頭指揮を執る。

「そうだな。いつまでもここにいることは出来ない。こんなこと言ったら罰が当たるかも知れないけど……相田さんが奴らみたいになる前にここから避難しよう……」

 宗田はそう言った。彼の元に西条も近づいてくる。

「ええ。そうですね……あ、俺も荷物持ちますよ。じゃあ、俺が先頭を歩くんで、皆さん落ち着いてついてきてください」

 西条が先頭を歩き始める。残った仲間が後をついていく。真理子も西条の後をついていくが、どこか腑に落ちない様子で部屋の中を見回していた。扉を出ようとしたとき、聞いたことのない悲鳴が後ろから聞こえた。

 慌てて振り向くと、宗田だった。彼の背中にはまるで虫のように張り付く薫のだった。

「課長っ!誰か手を……手を貸してくださいっ!」

「マリちゃん、逃げるんだ……私のことは良いから早く逃げなさい。ほら、振り向かないで早く、西条君のところへ……。彼なら君を守ってくれるはずだ。ここは私が何とかする……だから君は生き残らないと……」

「課長…

申し訳ありません

……。マリちゃん、すまないっ!」

 西条は宗田に一言謝ると、真理子を抱えた。少しでも早く屋上へ行かないと……。西条の頭の中は彼女を守ることだけでいっぱいだった。腕の中で暴れる真理子を押さえながら屋上へと続く階段を上っていく。

 先に到着していた仲間に真理子を渡し、屋上の扉を閉め、鍵を掛ける。

「何で!?何で課長を見殺しにしたの!?」

 彼女は泣きながら訴えた。しかし、西条は口を堅く結び何も言わなかった。西条はただ、屋上から身を乗り出し地上の様子を伺っている。空を見ても救助はない。地上には焼けた感染者の遺体と、黒焦げの建物。目の前には黒煙。町中に充満する何かが焼ける匂い……自分たちが知っている町は一瞬にして地獄と化していた。

 何度声を掛けても、真理子の言葉など耳にも入っていないかのように振る舞う西条を見て、真理子は心底落胆した。

「もう終わりだよ……こんなことになって、病原体の分析も出来なくて……私の人生、もう終わったんだよ……」

 その場に崩れる真理子。そっと近づく西条に気付いたが顔を見る気にもなれなかった。申し訳なさそうに彼女の様子を伺う西条。しかし彼女は無視していた。

「悪かった……本当に申し訳ない。でも、分かってほしい……あの時は、ああするしかなかった。君は助かった。だからそんなこと言うな……。分析だって装置さえあればまたできるさ」

 西条は真理子にそう言って、小さなジュラルミンケースを手渡した。

「……なんですか、これ……」

 真理子は不貞腐れたように口を開いた。西条は「開けるんだ」と促すだけだった。確認したが、ケースに鍵は掛かってない……静かに開ける。中にはクッション性の高いスポンジが敷かれ、手のひらに乗るくらいの小瓶が大事そうにしまってあった。

「これ……」

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