真理子に問われ、林田はそう答えた。彼が力なさげに答えた気持ちを痛いほど理解できる。真理子が所属する研究部門の仲間も何人かいなかった。全員が助かったわけではなかったのだ。

「西条さん……エレベーター、ありがとうございました。助かりました……」

「え……?エレベーターって……何のこと……?」

 真理子は西条の態度に驚く。あのエレベーターを操作したのは西条ではないと言うことなのか。そうだとすれば、一体誰が……。

「西条さんではないんですか?……私がエレベーターのロックを外せなくて諦めた時、エレベーターが開いたんです。そして、すでに七階のボタンが押されてました。監視カメラの映像を確認したら、パソコンを持っている西条さんの姿が見えて……。てっきり西条さんかと……」

「ごめん……、俺じゃないんだ。けど、君が無事で良かったよ。誰か分からないけど、ここまで無事に君を連れてきてくれた人に感謝するよ」

 西条は再び真理子と会えた喜びを噛み締めていた。そこへ、雅子が近づいてくる。

「中原さん、ご無事で良かったです。彼女を、安藤さんをここへ連れてきてくれて感謝します」

「いいえ、私がここへ連れてきてもらったのよ。マリちゃんに……。一度は私が助けた。でもその後からはずっと、私とセキュリティ部門の相田さんを守って助けてくれたの。私の方が感謝しないと……」

 喜びを分かち合えたのは束の間だった。

 建物の外から聞こえてくる大きな爆発音。その音に驚き、一同は悲鳴を上げた。林田たち数人が窓に近づく。

「爆発だ……」

「地上が火の海だ……」

 建物の外では感染者たちを焼き殺すかのように、道路を火が走る。火はまるで意思を持った生き物のように、道路を進み、感染者たちに襲い掛かる。

「まるで地獄だな……」

 林田が呟く。それに同意するかのように静かに頷く仲間たち。

「そう言えば、どうして七階に……?合流地点は屋上だったはずじゃ……」

 真理子が尋ねる。すると林田に代わり宗田が口を開いた。

「それが、私にも分からないんだ……。我々も装具を身に着けた後、エレベーターに乗り込んだ。そしてボタンを押していないのに、七階が光っていてね。それで、仕方なくここに……。十字路に着いたとき、ほかの部門のメンバーも集まってきたんだが、そのうちの一人が感染していてね、仲間たちは次々に感染したよ……」

 だからさっき、十字路には装具を着けた感染者がいたんだ……と真理子は納得した。

 その時彼女は、宗田の会話の中に何かを見つけたのか、パソコンのメモ画面を開いた。

〈“関東が発生源?”“飛沫・接触・空気感染のどれかまたはそれ以外?”“ウイルス・細菌の両方の特徴”“感染者は音に反応する”〉

「マリちゃん、何してるの?」

 西条たちが集まってくる。「今までの発生状況と、感染者たちの状態を記録してるんです。もしかしたら、何かのヒントになるかもしれないと思って」と答えた。

 文字を打ち込んでいくにつれ、真理子の頭の中はある違和感でいっぱいになっていた。

「発生源は関東……でもそんな報告なかった……。ニュースにもなってない。各研究施設も、あのCDCにも報告はない……日本だけ?でも何で……」

 真理子は自分の記憶を辿った。

 今回の事態を初めて聞いたのは今朝。おばちゃんから聞いた。でもそんなニュースはどこでもやってなかった。関東と連絡も取れないって言ってた。病原体のサンプルを分析したのも今日……これは課長から。関東と連絡が取れないはずなのに、どうやってサンプルを手に入れたのだろうか……。関東の人が送ってきたってこと……?分析の結果、未知の病原体が検出された。先にこの病原体に気付いたのは西条さん。それに初めて感染者を見て“感染者だ”って声をあげたのも西条さん……。どうしてを見て感染者だって分かったんだろう……。それに瞬く間に感染は広がって今はこの施設内にも……。

「もしかして、この事態が起きたのって……人為的?」

 真理子はもしかしたら、何者かが意図的にこの事態を引き起こしたのではと思い始めた。今までの会話の中で、自分が違和感を感じる場面がいくつもあったからだ。けれど、今のこの状況の中で事態を引き起こした犯人を捜すのは無謀すぎる。時機を見ないと……と真理子は心の中で思った。

「きゃああああ」

 どこからか悲鳴がする。声の主を探すと、ものすごい形相で自分の手のひらを見ながら体を震わす薫だった。

「あ……相田さん……それ……」

 瞬く間に体が真っ赤に染められていく。その正体は水疱だった。

「こ、これ……私、感染したの……?体が……」

 薫は膝から崩れ落ちた。彼女の傍から人が離れて行く。助けを求めるかのように手を伸ばす薫。真理子は薫の体を見て言葉を失った。症状の進行スピードがとてつもなく速い……それに今までに見たことのない症状だった。

「あ、相田さん……今、一番辛いのはどこ……?」

「……体が痛い……関節が外されてるみたいな痛み。それに熱もあるみたいで、体がすごく熱いの……」

 薫の体の水疱はあっという間に膿疱へと変化した。そして膿疱がパンパンに膨れ上がり破れた。破れた部位から緑の膿が流れ出す。その何とも言えない不快さに思わず体が引ける。

「な、にこれ……みど……りのえき……たい……」

「相田さんっ!苦しいの?呼吸が出来ないの!?」

 彼女は自分の喉を抑え、ひっかき、苦しみもがいた。

 真理子が声を掛けるも反応がない。体の力が抜けているのが見て分かった。胸のあたりを見る。上下の運動がない。呼吸が止まったことを示していた。

「感染者ってことですよね……相田さん。でもほかの感染者たちはまだ動いてます。それに……」

「どちらにせよ、相田さんは亡くなったんだよ……マリちゃん……」

 西条が真理子を落ち着かせようとするが、真理子は何かを考えていた。

「解析部門で会ったとき、普通に見えた。そのあとに顔が赤いかなと思ったけど、それは大声を出したからだと思ってた。本人も体調不良はなくて、大声を出したから体が熱いって……。でも、もしそれが感染の徴候だったとすれば、感染してから発症まで一時間ほどしか経ってない……そんなに早く発症する感染症って、一体何……?あの病原体は……?接触感染かもしれない……ううん、空気感染かも……」

「マリちゃん、とりあえずここから出よう。相田さんは良く分からない病原体に感染したんだ。もし空気感染だったら、我々も危険だ。ひとまず……」

 どこからか低い唸り声が聞こえてきた。その声は部屋の中からだった。

「あ、相田さんが…………」

 牧野が言った。……?亡くなったはずの人間が生き返るなんて、まさか本当にゾンビってこと……?

「う……そ……。そんな……まさか……」

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