①
今起こっていることはまさに非常事態だった。完全孤立だ。
建物の外には感染者、建物の中にいても家族と連絡が取れない……。
今、この建物にいる研究員たちが出来ることはマニュアル通りに行動し、軍隊を待つことだけだった。
関東と連絡を取ろうとパソコンを触り始めた真理子だったが、関東との連絡手段は絶たれていた。関東で何が起きているのか、関西で何が起き始めたのか、分からないままだった。
『非常事態発生、非常事態発生。暴動が激しくなった模様、建物内に感染者とみられる人物が数名侵入。職員はただちに地下へ避難。繰り返す……』
部室内は騒がしくなった。悲鳴をあげる者、涙を流す者、呆然と立ち尽くす者。何がどうなっているのか理解できず、辺りを見回す。そこに一人行動を始めている人物がいた。林田だ。
「みんな、地下へ避難だ。下に降りたら、各自通路を進んでくれ。十字路まで辿り着いたら、ロッカーがある。開けて各自の名前が記入されたバッグを取り出し、装着するんだ」
林田だけは冷静だった。自分の机を移動させ、マットを外し、地下へと続く扉を露出させた。
「一人ずつゆっくり下りて行くんだ……」
研究員に声を掛けながら、一人ずつ確実に降ろしていく。
その時、扉が激しく音を立てた。何度も何度も、何かがぶつかるような音だ。真理子は恐る恐る扉に近づき、そっとカーテンを捲る。そこには今までに見たことのない異形の物体が確実に存在していた。
「な、なにこれ……」
真理子は小さな悲鳴を上げる。それをよく見ると人間だった。目の前には変わり果てた人間が、いや、かつては人間だったものがそこにいた。
「マリちゃんっ!危ないから下がるんだ!」
西条によって扉から引きはがされた真理子は、今見たものが脳裏にこびり付いていた。
「さ、西条さん……今のって……」
「……彼は感染者だ。恐らく、俺たちが分析した新種の病原体の被害者だ……」
「か、体見ました……?赤くて緑で……腐ってて……あれって人間なんですか!?」
混乱しているのか、目の焦点が合わない。西条はそっと体を抱き寄せ、「大丈夫だ……マリちゃんだけは絶対に守るから……」と静かにささやく。
研究員たちが次々に地下へと降りて行く。残り数人だと言うところで、安全だと思われた結界、すなわち扉が感染者によって破壊された。
部室内に響き渡る真理子の悲鳴。早く来るんだ!という林田の声。マリちゃん、手を離すな!と言う西条の声。全てがスローモーションで真理子の耳に入る。真理子の視界は暗転し、体の力が抜けた。遠くで何かの声がする。人間じゃない……いや……人間か……?そして真理子の意識はそこで失われた。
「ちゃん……マリちゃん……」
優しい声が聞こえる。静かに目を開けた真理子は正面を見る。目に入ったのは雅子の顔だった。
「おばちゃん……ここ……あ、感染者が部屋に来てそれでっ!」
「マリちゃん、落ち着いて。ここは大丈夫だから。マリちゃん、ケガはない?どこか痛いとことか、体がしんどいとかは?赤い発疹とかも無い?」
雅子は母親のように、真理子を心配した。真理子は大丈夫だと答える。
「おばちゃん、今って私たちどこにいてるの……?」
「解析部門のラボよ。私のラボにもね、感染者が入ってきたの。ちょうど地下に避難する準備をしていた時だった。前の扉が破られて、感染者が数人入ってきた。それにパニックになった同僚は、扉から出ようとして後ろの扉を開けた。その瞬間に襲われたの……。私はその隙を見てあなたがいた部室へと逃げようとした。けれど、一歩遅かった。感染者は扉を破壊してあなたがいた部室へと入っていった。そんな時マリちゃんの声が聞こえて……。あなたを引っ張り出し、ここへ逃げてきたの」
「おばちゃん、私を助けてくれたんだね……。ありがとう……」
真理子は雅子に抱きついた。それはまるで子供のようで、普段からあどけない真理子はより一層、幼く見えた。
ばたん……一瞬の静寂ののち、突然扉を叩くような音がした。
感染者がここに来たのか……もう終わりなのか……。
二人は人生の終わりを覚悟した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます