第二章 感染者発生

 未知なる新種の病原体“X”を検出してから、三時間が経過した。

 ULI職員は総理の放送を受け、各自が避難の準備を整えている。

 研究所の外で何が起きているのか今、この時はまだ誰も知らなかった。

「それぞれ準備は整ったか?大型の荷物はこっちでまとめて、名前を書くから持ってきてくれ……」

 宗田がそう言ったとき、どこからともなく轟音が聞こえてきた。まるで地面が唸り声を上げているかのように、振動が伝わってくる。

「この音は……!?」

「どこから聞こえてるんだ!?」

 あたりを見回す研究員たち。「……飛行機……」真理子が呟いた。

 その声が聞こえたのか、林田が窓に近づきそっとカーテンを開けた。人ひとりが覗けるくらいの隙間から見えたそれは、飛行機だった。ULIの建物をすっぽりと取り込んでしまいそうなくらいの、大きな飛行機だ。

 機体の腹側にある扉が開いたかと思えば、何やら液体がこぼれている。大きなノズルがすっと降りてきて、その液体を霧状に変化させ町中に噴霧した。

 辺りは一瞬にして霧に囲まれてしまい、一メートル先も見えない状態だ。

 霧はULIの窓ガラスにまで到達し、意思を持った昆虫のように張り付く。

「みんな、窓から離れるんだ!」

 何かの異変に気付いたのか、西条が大声をあげた。

「部長、感染者です!窓の外に感染者がいます!」

「感染者!?どこだ!?」

「え……感染者が……」

 宗田はあっけに取られていた。

 西条は林田を連れて窓へと近づく。その後を追うように真理子も近づいたが、「君は来るんじゃない!」と止められてしまった。

「感染者はどこにいるんだ……?」

「あのビルの下です。ここから一時の方向……」

 西条は指で表し、林田の視線を感染者へと向ける。

「あ……」

 彼は声にならない声をあげた。何かに驚き、言葉が出ないようだ。

「み、みんな……マニュアル通りに行動しよう……恐らく避難誘導が来るのはもっと時間が掛かる。だから、それまでマニュアル通りに動くんだ……」

 林田はそう言って、【ULI緊急時対応マニュアル】を机から取り出し、目次を開く。

「どこだ……どれなんだ……今のこの状況に対応するページは一体……」

『職員に告ぐ、これは訓練ではない。現在、町中で暴動が発生。職員は身の安全のため、軍隊が到着するまでマニュアルにある“異常事態発生時の対応・一〇一”に書かれている行動を取るように……繰り返す……』

「暴動……?暴動で避難なんてするか……?」

「恐らく、感染者のことを指しているんでしょう……」

「一体、どうなってるんだ……家族は大丈夫なのか……」

 そんな声が部屋のあちらこちらから聞こえてくる。

「あ、あった!これだ……“異常事態発生時は二人一組で行動することを原則とする。また、施設内地下に保管・常備してある避難装具・対バイオテロ装具を身に着け、緊急時非常食を各自持参。軍隊を待て。また、政府がバイオテロ非常事態宣言を発令した際は、マニュアル三八〇頁に則り行動するように。”と書いてある……。これはバイオテロ……なのか……?」

 背筋がぞっとした。未だかつてバイオテロなんて事態は経験したことがない。今の日本はバイオテロとは無縁だと思っていた。“政府がバイオテロ非常事態宣言を発令した際は……”この言葉が研究員の頭の中をかき回す。

「家族に連絡をしないと……」

「俺もだ……妻と子供が……」

「わ、私も……」

 西条と真理子もインターネットメガネを装着し起動させた。

 昔のような携帯電話やスマートフォンは廃止され、企業で使用する以外の連絡手段はこのインターネットメガネに変わった。装着し起動させると、自動で腕に着けているICチップと連動する。すると個人の画面が開く。あとの操作はすべて視覚だ。目で操作できるのだった。もちろん、ICチップと連動させているため手動でも使用可能という優れものだ。

「繋がらない……インターネットメガネが使えない……」

「あ、俺もだ……」

 インターネットメガネの画面には“Unusable使用不可”と文字が出ていた。

「ICチップと連動しているインターネットメガネが使用できないって……政府が何か制御しているんですかね……」

 誰かが呟いた。声のするほうを見ると、牧野だった。「牧野、それってどういうことだ?」林田が尋ねる。

「あ、私の父はインターネットメガネを統制している企業に勤めていまして。一度だけ、愚痴をこぼしていたことがあるんです。“政府だけがインターネットメガネを制御できるようにプログラムしろだなんて無茶だ”って。ご存知の通り、インターネットメガネはICチップと連動できる国民の便利なツールの一つです。それを政府が管理できるようになるってことは……」

「政府が俺たちを管理しているってことか……」

「はい。それと、もし以前に父がこぼした愚痴が今回と関係あるとすれば、今起きているこの事態は、政府が計画したものかも……」

「計画か……陰謀か……」

 

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