彼の声がやけに静かな部屋に響き渡る。

 研究員全員が体を林田へと向けた。それを確認したかのように、彼は静かに話し始めた。

「みんな、一旦はご苦労だった。それぞれが手分けして連絡したからこそ、早く終えられた。じゃあ、さっそくで悪いがそれぞれの結果を教えてくれないか?」

 林田の声にそれぞれが頷き、どこからともなく声が聞こえ始めた。

「私は基礎生物学研究所へ連絡をしました。そこで関東で採取した病原体の資料を送り、確認してもらいましたが……手がかりとなるものは無く、教授も見たことがないと仰ってました。現時点ではこの病原体の正体は分かりません。また、基礎生物学研究所の近辺では、類似の病原体は確認されていないとのことでした。以上です」

「僕は、国立遺伝学研究所に連絡をしました。木村さんの報告と同じく、このような病原体は見たことがないとのことで、もしかしたら新種の可能性も否めないとのことです。もしこれが新種の病原体だとすると、どのような症状を引き起こし、どのような経過を辿るか、人体や遺伝子的にどのような影響を及ぼすのかは想像もつかないと……。また、この近辺での類似の病原体は報告を受けていないと言ってました。以上です」

 林田は静かに頷き、次の報告をと目で訴えていた。

「俺はロシアの研究センターへ連絡をしました……」

 次々に報告をしていく研究員たち。けれどその報告のどれもが、というものだった。

「私は、国立細菌学研究所へ何度も連絡をしたのですが、一度も繋がらず、話を聞くことは出来ませんでした。この研究所は関東の独立した独自の研究機関で細菌やウイルスの培養及び、実験、分析を中心に行っている研究施設です。また、ちょうど関西と関東の境目に立地しており、もしかしたら今回の病原体との関連が少なからずあるのかも知れません。以上です」

 初めての病原体……関東と連絡が取れない地域がある……ウイルス……細菌……、真理子の頭の中はたくさんの単語が、渦を巻きながら駆け巡っていた。

「俺はCDCの特別研究室へ連絡をしました。関東で採取されたサンプルとうちで分析した物も含め、全ての結果をCDCへ送りました。確認してもらい、CDCにある既存の型と一致するものがあるか照合してもらいましたが、何一つ合うものはなく、BSL・Ⅳの物とも一致しませんでした。また、日本以外で類似の病原体が見つかったという報告が無いか尋ねましたが、俺が連絡するまではそのような病原体が日本で見つかったと言うことも知らなかったようです。もしかしたらこれは、新種の病原体の可能性があるのではないかと、俺の電話の相手も言っていました。今回の物はCDCでも分からないと。以上です」

 西条の報告を受け、一同がざわめく。まさか、あのCDCが知らないなんて……一体、今の日本はどうなっているんだと。

「私も西条さんと同じくCDCへ連絡をしました。私が連絡したのは総合研究室ですが、みなさんと同じく、そのような病原体は見たことが無いと言ってました。また、類似の病原体は発見されておらず、日本でそんなものが見つかったのかと驚かれていました。あの……もしかしてこれって本当に新種の病原体なのではないでしょうか……」

 真理子の報告に目を丸くさせる林田と宗田。「どういうことか説明してくれるかな?」と宗田が言った。

「私と西条さんが分析したサンプルですが、それぞれが関東の土壌、水、人体から採取したものでした。そして今回の未知の病原体が検出されました。仮にこの病原体を“Ⅹ”と呼びます。このⅩはウイルスとも細菌ともとれる形をしていました。ウイルスの特徴である極微小な構造体、たんぱく質の殻を持っていますが、細胞壁はありませんでした。しかし、構造は意外と単純で桿菌の特徴を持っており、鞭毛を確認しました。このようなことから、“ウイルスとも細菌とも取れる病原体だ”と判断しました。我々が知る限りでは、今のこの地球に細菌類とウイルス類が合体している病原体は確認できていません。となると、二〇六〇年の大規模な地球温暖化の影響で自然発生した新種の病原体か、もしくは誰かが意図的にこのⅩを作製したか……と言うことになります」

 真理子の考えに誰一人として反対する者はいなかった。それだけ、筋が通っていると言うことだ。

 その時、緊急放送がULIの施設全体に鳴り響いた。

『緊急放送……緊急放送……ただいまより、関西統一内閣・大道寺総理より緊急放送です』

「総理から!?」

「総理直々に、何の放送を……」

『関西統一内閣総理大臣・大道寺です。今のこの時間は業務、学業を直ちに停止し、私の話を聞いていただきたい。この度、関東で謎の感染症が発生した模様です。関東の医師、研究者が病原体を突き止めようと努力しているそうですが、未だ病原体の突き止めに成功しておらず、薬の投与もままならないとの報告を受けました。感染症は関東の東側で発生し、現在は西側へと感染を広げています。また、この薬に効果的な薬は無く、感染後の致死率はほぼ一〇〇%だと報告がありました。関西の皆さん、できるだけ南西方面へと避難を開始してください。また、政治家、医師、研究者の皆様におかれましては、各部屋のカーテン、ブラインドを下げ、鍵をしっかりと閉めていただきたい。そしてその場で待機するよう願います。ただちに軍隊を派遣いたします。繰り返します現在……』

 ついに感染者の報告が行われた。

 病原体を突き止めることも出来ず、効果的な薬もない。致死率はほぼ一〇〇%。つまり、このⅩに感染したら待っているのは死———。

「今、総理から放送があったように我々はここで待機だ。とりあえず、荷物をまとめるんだ。必要なものは必ず持ち出すんだぞ」

 林田の合図で動き出した研究員だったが、一人佇む女性がいる。真理子だ。彼女は林田に近づき、おもむろに口を開いた。

「部長……もし仮にこのⅩを作製した何者かがいて、それをばら撒いているとすれば……それは明らかなバイオテロです。何としてでもこのⅩの正体を突き止め、これ以上の被害が起きないように阻止しなければなりません」

「マリちゃん、君の気持は分かるが……総理から避難命令が出てるんだよ。総理直々にだ。我々はここで待機し、軍隊が到着したらおそらくどこかの収容所へ隔離される。それに、さっき言ったよね?“分析は許可する。ただし、危険だと判断したら直ちにやめるように”と。それが今だ。今、我々は危険な状態にある。分かるかね?」

「それは……分かっています。けど、ここから離れたらもう分析はできませんよね……だったら、軍隊が来るまでの間だけでも分析を続けさせてください!」

 頭を下げる真理子を見て、林田は顔をしかめていた。分析をさせてやりたいのは山々だ。しかし、部下を危険にさらすのだけは避けたい。おまけに真理子は優秀で好奇心旺盛な研究員だ。失うことだけは絶対に許されなかった。

「マリちゃん……申し訳ない。これだけは許可できない……すまない」

 二人のやり取りを、扉の向こうからそっと見ている人物がいた。しかしカーテンのせいなのか、顔がよく見えない。男なのか女なのか判断がつかない……。しかしその様子を不思議に思い、じっと見ている西条がいた。

「分かりました……部長の指示に従います……。けど、避難の指示が解けたらまた、研究に戻れますよね!?」

「ああ。きっと戻れる……。大丈夫だ……」

 林田は真理子の問いに答えた。そして真理子もやっと自分の荷物をまとめ始めたのだった。

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