第3話 誰も知らない恋の行先

 私は美しい。

 美しい故に歪んでいる。

 

 私は美しい。

 しかし、蝶と言うよりは、私は蜘蛛だ。

 どちらかと言えば、雄斗くんの方が蝶だ。

 

 彼は私の巣に絡まってしまった蝶。

 そして、私はその蝶を今、まさに捕食しようとしている。



 既に高校入学から早ひと月が経った。

 

 この頃になると、クラスメイトととの仲も入学当初に比べれば比較的良好になってきた。

 放課後まで付き合うほどの友達はいないが、教室での居心地の悪さはなくなった。


「鹿島さぁ、まだ望月先生のこと好きなの?」

 ある日、クラスの男子が藪から棒に聞いてきた。

 彼はたしか、宿泊研修の時にも俺に雛乃先生のことを羨ましそうに聞いて来ていたと思う。

 その時は丁度、俺が雛乃先生に告白をした次の日で、終日放心状態だった。


「俺、望月先生に告白しようかなって思ってるんだけどさ」

 自分がどんな返答をしたのか分からないが、彼は続けて言った。

「それは、やめた方がいい」

 あんまり覚えてないが、その言葉にだけは強く反応してしまい、柄にもなくキツイ物言いをしてしまった。

 

 生徒と先生の恋愛なんてきっと上手くいかない。

 すかさずそんなフォローをしてみたものの、それは自分にも当てはまることで、言っておいて自分で虚しい気持ちになった。


 明日からゴールデンウイークになると言うのに、俺はあの日以来、雛乃先生と言葉を交わすことができていない。

 その時の感情に任せてした告白は、決して成功と呼べるものではなかった。かと言って、失敗でもない。


 俺は身の入らない授業を聞き流しながら、自分の下唇をゆっくり撫でる。

 あの日、先生は俺に口付けをして「またね」と言って部屋を出て行った。

 その時の唇の暖かく柔い感触を何十回もこうして思い出し続けた。


 傍から見れば女々しい奴だって言われるだろう。俺自身も、そう思ってる。あの日のような行動力こそが異常で、普段の俺は掴みたいものがそこにあっても、何かが邪魔をしてくるのでは? と、いらぬ想像をして、手を伸ばすことを躊躇うばかりの情けない男だ。


 しかし、ずっと待ち続けていても掴みたいものは掴めない。

 俺は勇気を出して、また雛乃先生を待ち伏せた。けれど、彼女が姿を現すことは一向になかった。


 たまらずに、雛乃先生のクラスの生徒に先生がどこにいるのか、尋ねた。

 一人に声を掛けたのだが、連鎖的に周りの生徒たちも話に口を挟んでくる。

 誰も確信を持って答える奴はいなかったが、そもそも情報として知り得ていないのだろうから仕方ない。


 生徒の一人が、飯塚と会ってるんじゃないかと、笑いながら言った。

 虫唾が走ったが、声を荒げたい気持ちを奥歯で噛み締めた。


 そいつの言葉を鵜呑みにしたわけではないが、俺は可能性を潰してゆく為にも、生物準備室を訪れた。

 放課後の特別教室棟は学校の中でもひと際人影が少ない。

 

 コンコン。

「はぁ~い」

 少し間抜けな野太い声が中から聞こえてくる。

「失礼します」

 扉を開けて、入室してから、一礼する。


 顔を上げると、そこには俺よりも十五は身長差がある白衣の教師が回転椅子に座っていた。

 飯塚郁人いいづかふみと。雛乃先生と噂された生物教師だ。


「初めまして、一年の鹿島と言います」

 遠目で見ることはあっても、こうして面と向かうのは初めてだ。


 受けた印象としては、話に聞くよりも真面目そうで大人びた感じ。チャラさはなく、銀フレームの眼鏡を掛けているせいか、むしろ誠実そうな男だ。


 俺が名乗ると、飯塚は一瞬目を見開いた。

「そうか、君があの鹿島くんか……」

 含みのある言葉に俺は顔をしかめる。


「あの、って何ですか?」

「いや、何でもないよ。それより、何か用事でもあるのかな? あ、でも一年生はまだ生物習ってないよね」

 やはり、何かやましいことでもあるのか、変に言葉数が多い。


「雛乃先生、知りませんか?」

 逆に俺は、端的に尋ねる。

「雛乃先生、ですか」

 反芻しながら、飯塚は目を泳がせる。

 

 教師なんだから、生徒の上に立つ者として堂々としてもらいたいと思ってしまう。


「ここには、しばらく顔を出してないですね。望月先生は」

 視線を合わせず、飯塚は呟くような声で言った。


「そうですか、ありがとうございます」

 これ以上、話しても情報は得られないと思い、俺は踵を返して退室しようと足を踏み出す。


「望月雛乃には気を付けた方がいい」

 しかし、飯塚が言い放った言葉に俺は足を止めた。


「それ、どういう意味ですか?」

 最初から俺のことを知っていた飯塚のことだ、俺に雛乃先生のことについて何か言いたいことがあるのだろう。


「君は彼女のことをどこまで知っている」

「どこまで、とは?」

 言葉を濁している時点で、俺が聞いて得をする話ではないだろう。


「彼女の本性とでも言うべきかな。君も知っているだろう。僕と彼女との間に変な噂が流されていたことを。だから、こうして彼女を探しているのに、ここにやって来た」


 本性、という言葉に俺の心が揺さぶられる。


 こいつが雛乃先生の何を知っている。雛乃先生は俺のモノだ。

 そんな彼氏気取りな強気な思いが生まれる。

 しかし、それはただの虚勢だ。

 雛乃先生のことが好きな気持ちは誰よりも強いと自信を持って言えるが、雛乃先生のこをよく知っているかどうか、問われたならば容易く頷くことはできないだろう。


「雛乃先生の本性は今はどうでもいいんです。先生の行方が知りたいんです」

「そうか。君は何も知らないんだね」

 飯塚は考え込むように唸った。


「もし、君が望月先生に少しでも気があるなら忠告してきたいことがあるんだ」

 俺は飯塚の表情がまるで、教師が生徒を心配しているような顔になっていて、少し複雑な気持ちになった。


「そう、ですか。じゃあ、聞いてもいいですか? その忠告」

 雛乃先生のことについて飯塚に何を言われようと、信じるか信じないかは自分で決めればいい。


「わかりました。では、一つだけ……」

 もったいぶるように飯塚は一呼吸ついてから、また口を開いた。

「彼女は、××××××××××××なんだ」


 飯塚の忠告は、俺の知らない雛乃先生の一面についてだった。

 彼女が飯塚と関わりを持っていた理由がなんとなく察することができたが、それを知ったところで、俺が彼女を遠ざける理由にはならない。


「忠告、ありがとうございます。もし、そうだったとしても俺の雛乃先生を好きな気持ちは変わりません」

 飯塚にこんなことを言う義理なんてないが、俺は胸を張って告げた。


「そうかい。教師としてだったら、君のその気持ちを止めるべきなのだろうけど、僕は一人の男として君に言いたい」

 今まで椅子に座っていた飯塚が立ち上がり、こちらに近づいてくる。


「どうか、彼女に人を愛するということの素晴らしさを教えてあげて欲しい」

 飯塚の真剣な眼差しに少し圧倒されつつ、俺は誠実に「はい」と簡潔に答えた。

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