第2話 恋心は止める術がない
宿泊研修から毎日、俺は雛乃先生のことを思った。
雛乃先生は、今年度から赴任してきた教師で、年齢もまだ20代前半らしい。それほど歳が離れていないことに、俺は勝手な希望を抱き、嬉しくなっていた。
不幸なことに、俺のクラスの授業を雛乃先生は担当しておらず、校内で遭遇する他に、職員室に特攻するしか彼女に会う手段はなかった。
ただ、不幸中の幸いに、雛乃先生はすれ違う度に俺に微笑みをくれた。
その笑顔にまた、俺は恋をしてしまう。
しかし、日に日に募る俺の恋心とは裏腹に、よくない噂が徐々に学校中に広まり始めた。
その噂とは、雛乃先生が二年団の生物教師、飯塚とデキてる、というものだ。
誰の目にも明らかな美女のスキャンダルに学校中の全男子生徒が意気消沈していった。
なぜ、そんな噂が出回るようになったかというと、雛乃先生が飯塚と共にいることが多く目撃されていることと、彼女が頻繁に生物準備室を訪れていることからだった。
飯塚のことは他学年の教師だからよくは知らなかったが、理科系の教師らは職員室にいることよりも、特別教室に隣接する準備室にいることの方が多いと聞く。
周りの噂する生徒たちが言うには、飯塚も若い教師で女生徒たちからそれなりの人気を博しているらしい。雛乃先生には劣るが、見合わない男でもないみたいだ。
流れ始めた噂は、教師たちの間でも取り沙汰され、学校の偉い人が追及したところ、噂についての事実関係を二人とも否定したらしい。
だからと言って、俺はそうですかと、黙って見過ごす気にはなれなかった。
うちのクラスの帰りのホームルームが終わってすぐ、雛乃先生が担任しているクラスの前で、俺は彼女が出てくるのを待った。
「雛乃先生!」
「あら、雄斗くんどうしたの?」
久しぶりに声を掛けたというのに、ちゃんと名前を忘れないでいてくれたことに俺は感動を覚える。
「あの、少しお話があって……」
ニヤけそうになるのを抑えて俺は雛乃先生の目を見つめた。
「そっかぁ。じゃあ、十分ほど待ってくれるかしら。立ち話じゃなくて、落ち着いたところでお話したいでしょ?」
俺の真剣な視線を感じ取ってくれたのか、雛乃先生は優しく微笑み、しっかりと時間をとろうとしてくれた。
「はい。待ってます」
雛乃先生は職員室に駆け足で向かい、俺は職員室を望むことのできる渡り廊下で彼女を待った。
「お待たせ」
雛乃先生は少し頬を赤くし、乱れた長い髪を耳に掛けるという、グッとくる女性の仕草ベストスリーに必ず入ってるモテ技を容赦なく仕掛けてくる。
素直に可愛いです。
「いえ、全然待ってないです!」
「ふふ、何それ。初デートじゃないんだから」
狙ってボケたわけじゃないが、雛乃先生に優しくツッコミを入れられる。
「あはは。そうですね」
笑い返してから、自分が緊張で上手に笑えていないことに気付いた。
変に目上の人に気を遣った愛想笑いだと思われていたらどうしよう。
「じゃあ、行きましょうか。あまり使われていないけど、国語の資料室があるみたいなの。そこならゆっくりお話しできると思うわ」
特別教室棟の2階の隅にその部屋はあった。
他の教室にある表札がこの教室にはなかったが、入ってみると確かに国語で使いそうな本や資料が古い棚に並んでいた。
部屋の大きさは普通の教室の半分程度で、所々虫食いになっているソファが対面して並んでいた。
「どうぞ、座って」
雛乃先生は手を伸ばしてソファに腰掛けるよう促した。
「ありがとうございます」
ここに来て気付いたことが二つある。
俺って意外と大胆な行動に出る奴なんだということと、雛乃先生と密室で二人きりという状況であるといこと。
勝手に気持ちが昂ってゆく。
「で、雄斗くん話ってどんなことかしら?」
雛乃さんの言葉で俺は、自分が何の目的で彼女に声を掛けたのかを思い出した。
夢心地で頭が昇天しかけていたが、現実に引き戻される。
「すいません、お忙しいのに、時間を取ってもらって。単刀直入に言います」
もう少し雛乃先生と二人きりの空間を純粋に楽しみたかったが、この疑問を先生にぶつけなければ、俺は気が済まなかった。
噂は嘘なんだと、本人の口から聞きたかった。
しかし、それはあくまで俺の願望であって、これから雛乃先生が口にする言葉が俺と先生の距離を遠く突き放す可能性は充分にある。
「飯塚先生とデキてるっていう噂はホントなんですか?」
俺は雛乃先生の目を見つめて尋ねた。
「雄斗くん……」
雛乃先生は溜め息混じりに、今まで見たことのない、捨てられた子犬を憐れんでいるようにも、愛しく思っているようにも受け取れる表情をした。
「もう。もっと重要な人生相談とか、高校生活で悩みがあるとか、かと思ってたのに。私をからかってるの?」
「いえ、そんなつもりではなくて。これは俺にとっては超重要なことなんです」
少し顔を顰めた雛乃先生に物怖じすることなく、俺は声を大きくし、訴える。
「雄斗くんと二人きりだから言うけれど。誰が流した噂なのか知らないけれど、その噂に私、いいえ、飯塚先生も迷惑してたの。それがつい先日解決したばかりなの。正直、私はそんなデマが流されたことに怒ってた。もうこの話は終わったことなの。だから、雄斗くんもそんなこと考える暇があったら、お勉強しなさい」
ぷんぷんという効果音が聞こえるように錯覚するほど、雛乃先生は可愛らしく頬を膨らませた。
おまけに、頭をコツンとされた。
まさかのご褒美である。
「じゃあ、飯塚先生のことは好きじゃないんですね!?」
「そうなるわね」
よっし!
俺は心の中でガッツポーズをした。
「でも、雄斗くんがこうやって私のことを気にしてくれるなんて、私嬉しいわ」
雛乃先生は女性らしく閉じて斜めにしていた脚を、片方上げ膝に乗っけ、頬杖をついた。
その美脚の一連の動作に俺の目は釘付けになる。
正直に言おう。
めちゃくちゃエロい。
「いえ、すみません。終わったことを蒸し返すみたいなことして」
「いいのよ。そうやって心配して声かけてくれたの、雄斗くんだけだもの。みんな茶化すような言い方ばかりだし」
雛乃先生の色んな表情が見ることができて俺も嬉しい。
なけなしの勇気を振り絞って良かったと思った。
それだけでも充分なのに雛乃先生は畳みかけるように言う。
「私、雄斗くんのこと大好きよ」
「え!?」
思ってもみなかった、あまりにも直接的過ぎる好意を表す表現に俺は、喰い気味に驚嘆の声を上げてしまう。
「わぁ、びっくりした。雄斗くん、大きな声出しすぎよ」
雛乃先生が苦笑いする。
「そりゃあ好きな人にそんなこと言われるなんて……って、あ」
俺は自分が口にしようとした言葉が、まだ隠し持っているべき言葉であったことに、間抜けにも途中で気付いた。
「いや、なんでもないです」
小さい声で否定するも既に遅い。
「ふふふ。そういう自分の気持ちに正直な子好きよ」
そう言って雛乃先生は立ち上がり、俺の座っている横へ腰を下ろした。
「雄斗くんってかわいいよね。頭撫でてもいい?」
まさかの展開に、心臓の鼓動は極端にバクバクと大きくなる。
「は、はい」
初めて言葉を交わした宿泊研修の夜よりも接近したこの状況。
雛乃先生の顔を間近で見ることができるのに、俺は彫刻で彫られた銅像のように身体を動かすことができなくなっていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
その言葉通り頭を撫でられるだけだと思っていたが、なんと雛乃先生は俺の背中から腕を回し、抱き寄せてから、頭を撫で始めた。
やばい。
これはまずいぞ。
斜めに傾いた俺の身体は微かな雛乃先生の温もりを感じ、頭部は女性特有の柔い感触に包まれていた。
俺は緊張と興奮のあまり、正気を保とうという思いが生じたのか、室内の景色に集中してしまう。
部屋の鍵は閉まってるし、校内共通で廊下側の窓は中からも外からも向こう側が見えない仕様だ。反対側の窓は棚に隠れて見えない。
完璧に密室だ。
風の吹かない密室のせいか、身体が火照ってゆく。
いけない想像をしてしまう。
あぁ、いっそ、このまま……。
「私、弟がいたの」
雛乃先生は独り言のように呟き出した。
「3年前に死んじゃったんだけどね」
寂し気な雛乃先生の声に、相槌を打つことが躊躇われた。
「その子と雄斗くんが似ているの」
俺は雛乃先生のが漏らした言葉に、少し胸が痛む。
「私、その子のこと好きだった。弟も私のこと好きみたいっだたけど」
あぁ、そうか。
雛乃先生が俺に笑い掛けてくれたり、優しく接してくれる理由がなんとなく分かった。
彼女は亡き弟の姿を俺に重ねていたんだ。
それが今まで感じていた、雛乃先生が俺に向ける特別な視線。
しかし、雛乃先生の言葉のおかげで、それが俺の思い違いではなく、本物だったということに確信を持てた。
亡くなった雛乃先生の弟には申し訳ないけれど、彼女の特別であれることを嬉しく思った。
俺は寄りかかっていた姿勢を正し、雛乃先生の肩を掴み、顔と顔を向き合わせる。
「雛乃先生」
「なぁに?」
「俺、先生のこと大好きです。俺は絶対に、先生のそばから離れませんから」
努めて真剣な声色で俺は告白をした。
雛乃先生は少し微笑んで答える。
「ありがとう。私も、雄斗くんを離さないわ」
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