第2話 異世界

 僕に槍を突きつけながら、兵士は、立って自分の前を歩けと命令する。

 僕は従わなければ殺されるのだろうと感じ、急いで立ち上がって兵士の指差す方向に進む。

 兵士の言葉は僕の今まで使ってきた日本語とは全くもって違ったものだったが、何を言っているのかは感覚で理解できた。

 僕は逆に自分の日本語はこの世界の人に通じるのだろうかと試してみたくなるが、自分の口から発せられる語彙の中にすでに日本語はなく、ここの異世界語とでも言うべき言語でしか話せなくなっていた。

 僕は家の裏の方へと連れて行かれ、そこにあった小さな小屋から地下に続く階段を下る。まるで子供部屋のように小さく、幼稚なぬいぐるみや積み木などの玩具の置かれた、鉄格子つきの部屋に僕は入れられた。

 赤ん坊の遊び場のように柔らかいマットの敷かれた床がところどころ黄ばみ、部屋全体から異臭が漂う。これがいわゆる座敷牢なのだろうと僕は思い、ここで誰かが生活し、そして使われなくなった経緯を想像して背筋の凍るような感覚を覚える。

 この部屋のあらゆ物には埃が積もり、永く使われていないように見えるのに、妙な生活感というか、誰かの存在感のようなものがはっきりとある。


 兵士は僕を牢に入れて扉を施錠し、階段を上がってどこかに行ってしまう。

 こんな場所に僕を一人にしないでと叫びたくなったが、なぜか弱々しい音が口から出るのみだった。一生閉じ込められるのではないかという不安が頭をよぎる。


 昔、ここに棲んでいた誰かも、同じ気持ちだったかもしれない。


 一人になり、何度も何度も背中の方に気配を感じて、後ろを振り返っては誰もいないのを確認して安堵し、それを繰り返し、強烈な汗と尿のような異臭に鼻がなれて来た頃に、階上から足音が聞こえ、急いで格子に張り付いて一瞬でも早く人の姿を見たいと目を見開いて待っていると、モノクルにオールバックの銀髪の、痩せ細った長身の紳士が階段から現れた。

 紳士はまるで身分の高い客に挨拶するように慇懃な態度でお辞儀をし、僕に話しかけた。


「どうしてここへ?」


 僕はそれは分からないから、首を横に振ってその旨を示す。

 紳士はその様子を見ながらもう一度同じ問いを繰り返すので、僕は口ではっきりと、


「いつの間にかここにいた。」


 と答えた。

 紳士は髪と同じ艶のある銀色の、長い顎髭を捩りつつ、目に掛かりそうなほど太く長い眉をハの字に傾けて愛嬌のある困り顔をするが、すぐにすべきことを判断したのか、僕を見つめ、部屋から出て付いてくるように指示した。

 僕はこの場に一瞬たりとも残りたくないという気持ちだったので紳士が鍵を開けると反射的に部屋を飛び出し、にこりとも笑わない紳士から硬い拳を脇腹に貰った。

 紳士は僕の方を振り向きもせずに階段を上り、僕も痛む脇腹を押さえながら、悪臭から逃げるように階段を登った。

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