魔女の回想

 私は海が好きだ。


 何処へでも連れて行ってくれるし、どんなことでも受け止めてくれる。


 その海に敬意を払って生活している人間も好きだった。


 だから、ふと恋しくなって、人のいる海の街に訪れてしまう。



 でも、私は魔女で、人の心が音となって聞こえてしまう。

 だから、人のいる場所は、少し苦しい。


 馴染めない、うるさい、怖い。



 あの時もそうだった。



 あの海の街の西端で、薬屋を始めた頃、買い物に出かけたら、領主の結婚パレードに遭遇してしまった。

 みんな幸せそうにお祝いの言葉を投げていく人だかりの中、音の海に溺れそうになって、吐きそうになりながら、輪を抜け出した。


 誰かを祝うことさえ出来ない自分に嫌気が差したけど、人だかりの音は想像以上にうるさくて、そんなことも考えられないくらい、どこに歩いているのか、足の感覚もなかった。


 でもそんな時に、ふと聞こえたのだ。

 今まで聞いた中でとびきり綺麗な音が。



 白い壁の家の奥から聞こえる四つの音は、それぞれ少しづつ違っているのに、一度に聞いても、全然うるさくなかった。

 ガラスや鈴のように軽やかできらきらしていて、木のように暖かい。


 その音を聞いていると、吐き気も、頭痛も何もかも無くなっていった。

 魔女は、その時、初めてこの街で生きることを赦された気がした。


 それから魔女は、買い物の帰りに、白い壁の家に寄ることが密かな憩いの時間になっていた。少しだけ足を止めて、壁にもたれかかって、一番小さいパンを齧りながら、顔は見ないようにこっそりと、音の主たちに思いを馳せる。


 

 夏の気配を感じてしまったあの日もそうしようとしていた。

 そして出会った。


「中でもコハクの音が綺麗だったのよね。」

 魔女は、自分の存在を赦してくれる音が、聞けなくなることが嫌だったのだ。


 あの綺麗な音が聞こえていれば、何処へでも行ける気がした。


 鈴の音が聞こえなくなっても、コハクがいれば、人の音が少し辛くなくなった。


 むしろ、コハクがいないと、人の音がもっと辛くなっていた。



 自分を連れて行けと頼んできたのは、あの子なのに。

 いつの間にか、私ばっかりが…



 そこまで考えた時、ちょうど、真夜が辿っていた、黒い魔法の線が、ある扉の前で途切れた。


「途切れ途切れだけど、あの子の音がするわ。」


 人間の真似をしようと頑張ったが、私はやっぱり、自分勝手な魔法使いだ。


「すっごく苦しそう。」


 考えたくないことは考えないし、欲しいものは飽きるまで離さない。


 自分のものは誰にも渡さないし、仇なすものには容赦しない。


 真夜は扉に触れて、魔法で溶かしながら、つぶやいた。

「絶対に許さない」

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