真夜はどうしたいの?
「わあ、部屋が荒れてるね」
真夜は、一人残されたダイニングで、コンコンコンコンと鳴らされるノックを無視していたが、魔法で鍵を開けたシャルムがそんなことを言いながら家に入ってきた。
「まよ、コハクいない?」
「いないわ」
「そっか、飲みにくる頃かと思ったんだけど、飲み屋は閉まってたし、教会にも来てなくてなぁ…」
「やっぱりあんたが連れ回してたんじゃない」
真夜の睨みも意に介さない様子のシャルムは、残念そうに呟いた。
「最後の夜は、一緒に飲みに行こうかと思ったのに、当てが外れたかな」
「あんたも出てくの?」
「まあね、異端狩りがきたら、司祭なんて絶対鉢合わせるでしょ」
「『無人の司祭』のままじゃ、怪しまれるものね」
そーゆうこと、と肩をすくめるシャルムは「それで?」と真夜に問いかけた。
「まよは一人で行くの?」
「ええ、もうすぐ」
少しも終わらない荷物の選別をしながら、シャルムの顔を見ずに答える。
シャルムはあたりを見回して、手伝う弟子がいない惨状に苦笑した。
「お別れに失敗したようだね」
「でも、あの子はもう一人で生きていけるのよ」
シャルムが、ガラクタだらけの山を一つ一つつまみながら、冷やかすように見ていくので、手を叩いて止める。
「一人で生きていける人が、二人で暮らしちゃだめなのかい?」
叩かれた手を振りながら、シャルムは首を傾げた。
「私は人間じゃない。魔法使いと人間は同じ時間を生きられないのよ」
分かるでしょ?と、目で問いかけると、シャルムは困ったように微笑んだ。
「じゃあ、三つだけ聞かせてくれない?」
人差し指を立てたシャルムは、「一つ目」と勝手に始めてしまった。
「コハクがいつか、朝帰りの相手の方を選ぶのが怖くて、先に離れようとした?」
「…そんな女の子知らないし、知っててもそんなことないわ。」
真夜の硬い声に、シャルムは「ふうん、じゃあわかった。」とスルーして立ち上がり、指をもう一つ増やして、真夜の前にちらつかせた。
「じゃあ二つ目。魔法使いにならなければ、コハクは幸せに暮らせるって、本気で思ってる?」
「魔法使いになったら、きっと私たちみたいにたくさん辛い思いをするわ」
先ほどよりも硬くなった真夜の答えを聞いたあと、手を戻したシャルムは、笑顔のまま語りかけた。
「まよは思い違いをしているかもしれないけど」
少し温度の下がった声に真夜が振り返ると、シャルムはダイニングに座っていた。落書きをなぞりながら、いつもより低い声で言葉を続けた。
「俺は、魔法使いになんかなりたくなかったけど、人間だった頃の方が幸せだったわけでも無かった。」
真夜は知ってるだろ?と彼が問う瞳の奥は、いつかのように少しだけ、棘を孕んでいた。
「真夜は人間に幻想を抱きすぎ」
「そんなのわかってる、でもこの街の人たちは…」
真夜の言葉に被せるように、シャルムがうんうんと頷いて続ける。
「割と良い人だよな。でも、コハクはどの生き方でも、きっと、どこかで何回も苦労する。」
シャルムの言葉は否定的で、いつもより乱暴なのに、頑なな真夜に言い聞かすように柔らかく響いた。
「だって、『それが人生さ』。」
「それ、師匠の口癖…」
「バイオレットもよく言ってるよ。腐れ縁だからうつったんだって」
真夜の肩の強張りが、すこし柔らかくなったのをみて、シャルムの口調もいつも通りの軽いものに戻った。
「彼が何処でどんな苦労をするのか、それを考えるのは真夜の責任じゃ無い。真夜が一人で生きていける術も教えたし、あの子はもう、自分の責任で選べるはずだよ。」
シャルムは真夜の横に再び座り、三本の指を掲げた。
「だから、三つ目…真夜はさ、本当はどうしたい?」
一向に小さくならない選別中の荷物の山、その大半を占めるのは、毎年もらっていたコハクからのプレゼントだ。真夜はその一つ一つに目をやりながら、少し間を置いて、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私は不真面目だから、魔法をコントロールするのは苦手なの」
「知ってる」
「しかも、もう何年も使ってない魔法なんてうまくできなかったのよ」
真夜は、山の中から手鞠を引っ張り出して、手のひらで少し転がしてから、言葉を続けた。
「だから、服は綺麗にならないし、酔い潰れてソファで寝ちゃうし、滅多に出さない荷物はどこに何があるかもわかんない」
シャルムは「世話女房がいるっていってもここまでとは…」と呆れながらも、真夜の言葉を静かに聞いた。
「あと、美味しいご飯が食べられないの。特にシチューだけは何回聞いても『普通に作っただけ』って隠し味を教えてくれないの。」
「ためそれは困った。そんなの我慢するのは魔法使いじゃないね。とりあえず、荷造りは手伝ってもらいなよ。」
でも…と言いそうになる真夜の口を、コハクの絵本を押しつけて塞ぎ、シャルムは困り顔で、続けた。
「それにね、あの子、いつもの飲み屋にも、ここにも居ないなんて、よく無い予感がするんだよなぁ。」
「どういうこと?」
「ちなみに、さっきから、コハクを探しに飛ばしている魔法が反応しない。」
その魔法は、コハクが小さい時、お使いの旅に使っていたから知っている。対象が意識のある時しか反応しない魔法だ。
その言葉に、真夜は血の気がひいた。
意識が遠くなりそうなところを、深呼吸して落ち着ける。そしてきっと顔をあげて、シャルムへ詰め寄った。
「だから危ないって言ったのに…あんたも、生意気に説教する前に教えなさいよ馬鹿!」
「うわ、すごい顔」
シャルムのギョッとした顔もお構いなしに、真夜は必要な防寒着を魔法で呼び寄せながら、ドタバタと階段を駆け降りた。そのままの勢いで、ほとんど体当たりするように、扉に手をかけながら、二階に向かって叫んだ。
「荷物はあんたの隠れ家に全部運んでおいてよね!」
「魔法使い遣いが荒いなぁ」
飛び出した真夜を見送ったシャルムは、魔法で次々と荷物を転送させた後、最後に残ったオークのテーブルをなぞった。
「ありがとう。」
そして指を振ると、真夜の寝室から飛んできた紙がふわりと落ちて、落書きと綺麗に重なった。
「俺も、こっちの真夜の顔の方が良いと思うんだ」
悩んだり、笑ったり、怖い顔で怒ったり。
そんな顔は随分遠くの短い期間に見たっきりで、シャルムも真夜自身も忘れてしまっていた。
絵の作者が、永く表情のなかった魔女を、これからも振り回し続けてくれることを願いながら、シャルムはテーブルと共に、闇夜に消えた。
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