約束の証
気がついたら、マリーの部屋だった。
「飲みすぎたのかな…マリー、運んでくれたのかい?ありがとう」
「どういたしまして。」
返ってきたのは太くて低い、明らかに男の声だった。
「は?」
「なかなか目覚めねえから、マリーが薬をミスってうっかりやっちまったのかと思ったぜ」
「薬を入れてたのは俺だよ、一滴ずつって言ってたのに全然効かなかったんだよ」
ぐらつく頭のせいで、思考も視界もぼやけたままだが、体の自由が効かない感覚に、なんとなく騙されたことだけはコハクにも分かった。
初めてこの部屋に来た時も、起きてびっくりしたけど、縛られてはなかったし、もっと可愛い子と一緒だったのにな。
見慣れた場所に似合わない状況を、残念に思いつつ、コハクは目を凝らし、一番小柄そうな人影に語りかける。
「マリー、どういうこと?」
「ごめんなさい」
人影は少し震えていた。
「夜いない私の代わりに、夜ふかしな娘の面倒を見てくれて感謝してる。でもね、私は、
その声は、震えていたが、次第に低く、強くコハクの耳に響いた。
「だからってなんで俺を…」
「少し前にね、私が帰った時、あの子と一緒にぐっすり寝ていたあなたが言ってたのよ。『真夜さんの魔法がまた見たい』って寝言でね」
「…そんなことで俺たちを疑ったのかい?」
自分の落ち度を呪いながらも、コハクは彼女を責めた。コハクの視線を受けてもマリーは怯むことなく睨みながら、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
そんな彼女の横から男が口を挟む。
「夢だろうが関係ねえ。薬に精通している、身元がわかんねぇってわけで、元々怪しかったんだよ、」
おまけに若くて美人ときた、と男はにやついた。
やけに耳につくその声は、いつかの身なりだけ良い粗雑な男だろうか。
「問題はいつ狩人に報告するかって話だった」
続きを引き受けた横の男は、影も声も馴染みがあった。彼の作るお酒は好きだったのに、とコハクは少し寂しく思った。
「やっかいな顧客が気に入ってるから、なかなか手が出せなかったけど……」
コハクは酒屋のマスターの止めた言葉の続きが分かった。
数日前、ナタリーの姪が亡くなった。
効くかどうかわからないと言って彼女に渡したのは、真夜と三日三晩寝ずに作った薬だったが、彼女の姉の嫁ぎ先の村まで、間に合いすらしなかった。
ナタリーはその後一回、自分の家族の薬を買いに来たが、祖母と両親の分は頼まず、そそくさと店を後にしていたのを覚えている。
だから急に街の雰囲気が変わり、真夜は出発を急いだのか。
コハクは、点が線になったところで、それにしても、男たちがどうしてこんなにも自信満々なのかが気になった。
「どっちにしろ彼女が魔女だったら、あんた達に捕まえられないでしょ」
「だからお前を人質にしたんだよ」
「いや、俺で人質になるかなぁ」
これ幸いと捨て置いて街を逃げ出してくれたら、捨てられない想いも何もかも、いっそ諦めがつくような気がした。
「ならないなら、お前を異端に差し出すだけだ」
「魔女が償わないなら、代わりに償ってもらう」
賞金がもらえれば良い奴と、誰かのせいにして溜飲を下げたい奴…それなら、自分を捕まえた時点で目的をほぼ達成しているのだろう。慣れてきた目が、少し躊躇いのあるマリーの顔を捉えたが、コハクを庇うより、家族の敵討ちを選んだくせに、そんな顔をしないで欲しい。
「こんなことなら、本当に死ねる睡眠薬も持って来ればよかったなぁ」
「え…」
コハクの独り言に、マリーが戸惑ったように身じろいだ。
「ああ、そういう意味もあったのか。変なところ優しくて馬鹿だよね。」
彼女に用意した薬は、きつい酒なんかと飲まなければ、とても弱い睡眠導入剤だ。
不安定な相手に、危うい薬は渡せるわけないと思ったが、彼女は自分で使うために頼んだ訳ではなかった。
コハクを捕らえるため、そしてコハクが拷問に辛くなったら、飲めるように作らせたのだろうか。
「狩人に引き渡されたら、拘束されて勝手に死ねないし、全身は隈なく検査されて歯の詰め物だって持ち込めないよ。」
自分勝手で残酷だ。でも、そんな彼女の優しさは、目を無理やり開いてくるあの娘に、少しだけ似ているなと、コハクは少し思った。
少し離れて貧乏ゆすりをしていた粗雑な男は、二人のやりとりをぶった切るように、コハクに近づき、彼の頬を叩きながら声をかけた。
「おい、呼び出した後のために、魔女の弱点を教えろ」
「彼女の弱点なんか…」
無いよ、と言いかけたコハクは、頭の中に次々とよぎった映像に言葉を止めた。
家事が下手。
特に、料理はホットケーキ以外、全部どこか焦げ臭い。
優しいのに不器用。
喜ぶと嬉しそうな顔をするくせに、照れ隠しでめんどくさそうなふりばかりする。
子供っぽい。
ゲームをすれば、イカサマするほどムキになる。
だらしない。
お酒は潰れるまで飲んでしまうし、食べたお皿はちゃんと片付けない。
それに、びっくりするほど、鈍感で…
…そこまで考えてから、コハクはにやりとわらった。
「お前なんかに、死んでも教えるわけねぇだろ。ばーか」
すこし薄くなった約束の証を見せつけるように、コハクは男に向かってベッと舌を出した。
「じゃあ、死ねよ」
すると、予想通り、目の前の男の拳がすぐに頬目がけて降りてきた。
「いってぇ…。」
頭が揺れて、口の中で血の味がした気がする。頭の揺れが収まる間もなく、男は力一杯振りかぶって、何度も、コハクに拳を打ちつけた。
再び薄れゆく記憶の中で思い出したのは、いつか見た、一生懸命レシピ本を見つめる、目の前の男より怖い真夜の顔だった。
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