寝酒のワイン

 真夜が帰ってきてから数日経ったある日、コハクは久しぶりの感覚にうんざりとしていた。


 気休めだと分かりつつも、何度も、寝返りを打つ。


 原因はわかっている。


 昨日は、たまたまシャルムの薬を飲み忘れてしまっていた。


 昨夜の夢は最悪だった。

 真夜が異端に捕まって、拷問の末に処刑されるというフルコースで、朝起きると身体中汗でぐっしょりしていた。


「ああ…久しぶりに来たな」


 寝返りを何度も打つが一向に眠気がこず、昼間何度もフラッシュバックした映像と、暗い考えが波のように押し寄せてしまう。

 ちょうど一年前、一番眠れなかった頃の感覚を完全に思い出して、コハクは舌打ちしながらベッドを抜け出した。


 隣の寝室の扉をそっと開けて、無事に寝息を立てている真夜の様子を確認した後、階段を降りて、ダイニングの戸棚から随分増えた寝酒用のお酒を物色する。

「これで寝れなかったら、出かけようかな…」


 早く飲んだほうが良さそうなワインを見繕い、戸棚を閉めようとした時、不意に後ろから、温かい灯りと共に、少し柔らかい真夜の声がした。

「コハク、どうしたの?」


 振り返ると、大判のブランケットを羽織はおった真夜が蝋燭蝋燭を持って立っていた。

「あ、少し寝れなくて…飲もうかと。」

「ふうん、私ももらうわ」


 さっき、部屋を覗いた時に起こしてしまったのだろうか。

 すでに晩酌で、十分に飲んで眠たいはずなのに、真夜は手持ちの蝋燭をダイニングに置いて、二人分のグラスの準備を始めた。

「そのワインね、ちょっと珍しいやつなのよ」


 真夜が蝋燭の火をダイニングの燭台にも移している間に、コハクはワインを真夜の置いた二つのグラスにテーブルの上に注いだ。そして、まだまだ聞き切れない真夜の土産話をさかなに杯を進める。


「どんな国に行ったんですか?」

「通っただけのところも入れたら半分くらいの国にはいったわね」

「そんなに…」

 そう聞くと逆に一年でよく帰ってこれたなとコハクが感心していると、真夜は思い出したように「あ!」と声を出した。


「箒で移動する時に見かけたんだけど、ひたすらチーズを転がしている祭りをしてるところがあってね、思わず止まって魅入ってしまったわ。」

「チーズを?」

「すっごい大きなチーズなの!ああ、あれも買ってくればよかったわね」

 真夜が両手をいっぱいに広げて大きさを説明してくれるが、コハクはただでさえ、街の人に怪しまれたお土産だらけの姿に、そんな目立ちそうなものが追加されなくてよかったと心底思った。 


「そんな大きなサイズのチーズ、二人でどうやって食べ切るんですか」

「それは……じゃあ、ちょいちょいっと」

 後のことは全く考えていなかった真夜は、口を尖らして指で魔法を使う時のジェスチャーをして見せた。

「そこで使うなら普段の家事で使ってくださいよ」

「冗談よ」

 コハクはいつかのシャルムの忠告が少し頭をよぎった。


「でも、ずいぶん普通に飲むようになったのね」

「ワインですか?」

「ええ、昔は、飲んでる時もソワソワしてたし、どちらかというと一人でこっそり飲んでたでしょ」

「バレてましたか」

「バレてました」

 あの時は、なんだか、初めてのお使いを見守られているような感覚がしてしまってこそばゆくて飲みにくかったのだ。ワインのせいではない顔の熱さをコハクが感じていると、真夜があっと声を上げた。


「どうしたんですか?」

「そういえば、前もコハクが寝付けない時、あったわねと思って」

「そうでしたっけ」

 潰れた真夜の介抱で疲れて、ぐっすり寝ていたと思うのだが…と、コハクが首を傾げると真夜は続けた。

「うん、家族を忘れてしまいそうって」


 その言葉に、朧げながら、いつか読み返した一冊目の絵本のページが頭に浮かんだ。

「その時は、私が添い寝してやってたのよ」

「ああ、思い出しました。天井に魔法の夜空を作ってくれるの、あれ僕好きでした。」

 

 その後も、この一年で変わったこと、変わらないこと、もっと前の昔話、ポツリポツリと話したいことを交代に話していると、ワインはどんどん減っていた。


「真夜さん、空きましたけどどうします?」

「ううん、明日も早いしねえ…コハクは?」

「ぼくはもう一本だけ飲もうかな」

 楽しかったが、ボトル半分のワインでは、まだコハクには眠気はやってきそうになかった。


「そんなに寝れないの?」と少し心配する様子を見せた真夜は、その後、何かを企む顔をしてにじり寄った。

「添い寝してあげようか」

「…何いってるんですか」

 ああ、ダメだ。とコハクは真夜の目を見て思った。


 この人、夕食の時に、お土産のワインを二本一人で開けてたんだ。


 冷たい目で返した言葉も予想通りだったのだろう、懐かしいモードに入った真夜は意に返さず、嬉しそうに笑って上を見ながら続ける。

「昔みたいに、夜空を作ってあげるわよ」

 いたずらっぽい笑みで人差し指を得意そうに振り回しているのに、目は懐かしむような、愛おしむ様に細められていた。


 そんな真夜の顔を見惚れていると、不意に目が合った。


 一瞬だけ止まった空気の中、真夜の目がかすかに丸くなった気がした。


 瞬間、真夜がその空気を取り繕う気配がしたので、コハクは、彼女が笑いながら「冗談よ」と言いそうになるのを遮った。

「じゃあ、やっぱりお願いしてもいいですか?」

「え、ごめんじょうだ…」

「本当は、ワイン後何本飲んだって寝れそうにないんです。」


 弟子に弱い優しい魔女は、コハクの目を見て、しばらく逡巡した後、大きく息を吐いて諦めたように「今日だけ特別ね」と答えた。

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