星空

 最後にキスをした日から、真夜は潰れなくなった。


 ワインは2本まで、部屋に戻るのは自力で、おやすみのキスも逃げられる。

 だから、この部屋に真夜と入るのは何年ぶりだろう。


「狭くっても文句言わないでね」

「そっちこそ」

 誤魔化すように軽口を言いながら、二人で仰向けに寝転ぶが、遠い昔の記憶よりも、ずいぶん近くに感じる互いの気配に、やっぱり少し気まずい空気が流れた。

 隣が動いた気配がしたので、コハクは真夜の方を向くと、ちょうど彼女もこちらを向いていた。


「なんか…コハクの顔、近いしでかいわね」

「そりゃ、大きくなってますから。」

 真夜の言葉にコハクが苦笑しながら返すと、それもそうね、と少し笑った彼女は、「でも」と付け加えた。

「でも、目は昔のまんまだわ。」

 真っ直ぐに、コハクの瞳を見つめる真夜の表情は優しかった。


 コハクは、思わず伸ばしそうになった手を引っ込めて、少し考えてから、精一杯の上目遣いと、舌足らずな高い声で首を傾げてみた。

「ぼく、まよさんのホットケーキがだいすきだよ!」


 すると真夜は、予想通り、凄い勢いで吹き出した。

「ふふ…!待って、それはずるいわ!いきなり何するのよ…」

「ぼく、さんさい!とくぎはらくがきだよ!」

「あはは…!ぜん…全然可愛くない……ふははっ…ほんとお腹痛い…ふふっ」

 もう一度やると、今度は息も絶え絶えに丸まってしまった。


「真夜さんが変わって無いって言うから頑張ったのに」

「目だけって言ったじゃない。普段ふざけたりしないのに、急にやるなんてずるいわ」

 コハクがわざとショックな顔で言うと、丸まっていた真夜は目の涙を擦りながら、笑いの発作を堪えるのに必死な顔で、少し恨めしそうにいった。


「あー、お腹痛かった。でも、ふふっ。あんな真似されたら、やっぱり変わったなって思うわね」

 やっと落ち着いた後、真夜はまだ思い出し笑いをしながら、よく大きくなったもんだとコハクの頭を撫でた。

 コハクも、お返しとばかりに真夜の頭に、先ほどは引っ込めた手を乗せて、くしゃりと撫でた。

「師匠は、なんだか小さくなりましたね。かわいい。」


 すると真夜の目が照れ隠しというには、迫力のある半眼になった。

「うっさい、あんまこっち見ないで」

「やだ」

 しーっと言うポーズをして、真夜はこっち見るなと言うが、もう睨まれ慣れているコハクは、無視をして自分の腕を枕にしたまま、真夜を見つめる。


 コハクの視線が逸れそうにないので、諦めた真夜は、口に当てたままの人差し指にキスした後、天井を向き、キスした人差し指を上に向かってくるくると円を描いた。

 すると、指先から、星たちが飛び出してきて、何もない天井に夜空を散りばめた。

 

 久しぶりだけど、なかなか良いじゃない。

 真夜が自分の魔法の出来に満足していると、コハクもいつのまにか上を向いていた。


「やっぱり、綺麗ですね」

「でしょ、どんな悪い夢を見た後でも、この魔法を使うと、星を数え出して、すぐに寝てたものね」

「両手で足りなくなる頃にはもう寝てましたね…」

「ううん、もうちょっと頑張って数えてたわよ。」

 真夜から入った訂正にコハクは少し驚いた。


「…寝るまで見守っててくれたんですね」

「寝た後に、いい夢見れますようにっておまじないかけてたからね」

「へー、どうやるんですか?」

「えーっと、それは…秘密。」

 懐かしそうな顔をした真夜が、こちらを向いたあと、急に言葉を濁すので、コハクは食い下がってみた。


「かけて欲しいなー…」

「似てないし似合わないからやめなさい。…寝たらかけてあげるわ」

 真夜のつれない言葉に、コハクが不満げな顔で「どうしてもダメ?」と、距離を詰めると、「早く寝なさい」と反対をむかれてしまった。


「そっちむかれると寂しいんですけど」

 真夜が無視するので、コハクは少し空いたスペースを詰めてみる、と、彼女の肩の線が少しこわばった気がした。


 だが、流石に二本半のワインを飲んだ後に、魔法も使って、さらに笑い疲れていた彼女は、そのうち、肩は上下に規則正しく動かしながら、すうすうと静かな寝息を立て始めてしまった。


「まじか…」

 一人でいた時とは違う意味で眠気が全くこないコハクは、少し起き上がってベッドボードに背中を預けて、背中を向いた真夜の姿を見ながら、少し酔った頭で物思いに耽っていた。



「起きてる時は可愛くないこどもじゃないとか言うくせに、ちょっと警戒心なさすぎだよ真夜さん」

 一年振りの真夜は、身長や髪が随分伸びたコハクと違って、何にも変わって無いな、と改めて思った。


 僕が今後どんどん老いていってしまう傍らで、この人はずっと綺麗なままなんだろう。


 そんな人だから、会えなかった時間の感覚も、コハクと真夜は全然違っていた。

 コハクは、一年間ずっと会いたくて、もう帰ってきてくれないのか不安だったが、真夜は一年経ったことすら「うっかり」だ。


 ここ数日、コハクは真夜がどこかに一人で行こうとすると、なるべくついて行った。今もそう。

 それは、単に久しぶりに会えた好きな人と、少しでも長い時間一緒にいたかったからなだけだが、そうして縋り付いているとよく分かる。


 きっと真夜は、二度とどこかへ行かないように、目を離さずに徹底的に縛り付けたとしても、ある日思い出したように、コハクの手をするりと抜けて、出て行ってしまう、そんな感覚がするのだ。


 そして、きっとコハクとの暮らしは「そんな事もあったわね」って笑って、いつかそれさえも忘れてしまうんだろう。



「…自分が暗すぎて引くわ。違う悪夢見そう。」


 不安定な気持ちの時に、お酒を入れてしまったからか、さっきまで幸せだったのに、妙にリアルで嫌な映像を思い浮かべてしまったコハクは、とてつもなく苦い顔をした。

 そして、一向に来ない眠気にとうとう見切りをつけた。


「あなたはいい夢見てください」

 思い出の中でしてもらった場所とは違うけど。


 コハクは曝け出されたうなじにそっとキスをして、起こさないよう静かにベットを抜け出した。

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