魔法の残骸と朝のひととき


 明け方、肌寒さと喉の渇きで目を覚ました真夜は、水を飲みにきたダイニングで魔法の残骸を見つけてしまった。

「もしかして…」と、流しに置かれたワイングラスの縁をなぞり、魔法のかけらを呼び戻す。


 赤、紫、白、黄…と順番に瞬く小さな光に、魔法の内容がはっきりと思い出されて真夜は頭を抱えた。

「夢じゃなかったのね…。」


 もう二度と、誰かをを魔法使いになんかしないって決めてたのに。


 頭も記憶もふわふわしていて、ほとんど覚えていないが、魔法を使うところと至近距離でお願いをするコハクに、勘弁してほしいと思ったことはなぜかよく覚えていた。


 あんな賭け、なんとか誤魔化して、「やっぱりなし」にしようと思っていたのに、それができなかった。真夜の気づかないうちに大人びた表情をするようになった目の前の青年に見つめられていると、真夜がなぜ魔素除けの魔法をやめたくないのか、今はどちらに傾いた『嫌いじゃない』なのか、答えを出すことはなぜか躊躇われた。


 もう人間を自分のせいで魔法使いにしたくない。

 心地いい今の生活を失いたくない。

 二人の関係が変わってしまうような答えを出したくない。

 

 悩む真夜にとって、コハクの囁きはよく響いた。

『今だったら100年くらいかかりますよね?』


 そうだ。コハクは成長した。

 多少の情くらいなら、魔素のせいで何かが変わるのは、きっと今すぐじゃ無い。



 …そう思って立ち上がったところまで思い出して、真夜は舌打ちした。

「本当、魔法使いってろくなことしないわね」


 真夜は頭を抱えながら、テーブルの席に座り込んだ。

 どうしようかと、ダイニングで考えを巡らせるが、酔いが覚めたところで、碌な答えは出てきそうにない。


 そして、そうこうしているうちに、太陽の光が窓から差し込んできた。


 日差しが少し強くなると、眠たそうな顔をして降りてきたコハクは、自分よりも先に真夜が起きていることに、目を見開いた。

「おはようございます、早いですね。」

「おはようコハク、牛乳飲む?」

「…いえ、紅茶を飲みたいので、自分で入れます。」

 そう、と言うと、真夜は自分の分の牛乳だけを持ってテーブルの席に着いた。コハクは面倒なのか、茶葉を鍋で煮出していた。


「昨日はコハクに騙されてしまったわ」

「人聞きの悪いことを言わないでください。勝負に負けただけじゃないですか。」

「約束の魔法は、本当に解きにくいのに」

「なんで、解かないでよ」

 怪訝な顔をしながら席につくコハクに、「やっぱり私も紅茶飲みたい」そう言ってコハクのティーカップに手を伸ばしたが、「新しいのを出します」と避けられた。


「魔法使いなんて、人によって力もばらばらで全然無敵なんかじゃないし、異端の迫害だって年々強くなってるし、いいものじゃないわよ。」

 自分のカップももって、席を再び立ったコハクに、真夜はぼやく。


 現に、真夜は人混みが苦手だ。

 コハクは単に人が苦手だとしか伝えていないが、人の感情が音となって聞こえる真夜にとっては、一人で人混みを歩くと轟音のうずに取り込まれたかのようで、音の波に溺れそうになってしまう。


 店の営業はコハクが店番をしてくれるから、店の奥に引っ込む回数も増えてずいぶん楽になったし、この町は比較的気のいい人が多いから、不快な音を聞く頻度は今までよりも少ない。それでも正直、いつかコハクと離れた後は、しばらくは人里を避けて暮らそうと決めていた。


「僕は、魔法の力が不便でも、迫害があっても、そんなのどうでも良いです。」

 鍋から真夜の分の紅茶を注いだいたコハクは当たり前というようにどうでも良いと言い切った。

 

 そういえば、コハクは魔法使いになって、いろんな人を助ける薬が作りたいんだったけ…。

「本当に魔法使いになりたいのね」 

 かつて、彼を弟子した時の会話を思い出して、呆れたような笑みが溢れてしまう。

 

 その時のやりとりの可愛らしさを思いかえしていると、不意にアールグレイの香りが背後から漂った。振り返ると真夜の分の紅茶を持ってきたコハクがすぐ後ろに立っていた。

 コハクは真夜の分の紅茶を机に置きながら耳打ちする。

「それに、僕にはどうでも良くても、真夜さんは苦労してるんだったら、なおさらそばに居なくちゃダメじゃないですか」

「ね?」と微笑む弟子に、真夜はすかさず「生意気!後、呼び方!」と鼻を摘んだ。


「だから師匠、すぐ鼻をつまむのやめて下さいよー」

「相変わらず、鼻弱いわよね」

 慌てて、鼻を擦るコハクの様子を見ながら、真夜はこっそり大きく息を吐いた。

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