チェックメイト

「心理的に揺さぶるなんて、私やシャルムよりよっぽどひどい手段をとってくるじゃない。」

「でも、ズルはしてないですよ」

 ぶんむくれてワインを煽る真夜の向かいで、肘を着いたコハクは食えない笑みを浮かべていた。


「ということで、僕のお願い聞いてくれますか?」

「…なによ?」

 構える真夜に、コハクは予定変更した願いを口にする。


「僕と『魔法の約束』をしてください」

『魔法の約束』は、魔法使いが条件付きで使える魔法で、一定の条件下で成立した約束が破られると、条件の達成度により、破った方に重いペナルティーが課されるという少し複雑なものだった。

 コハクが小さい頃は、ワガママで怒られた後に、「いうこと聞くように」と『魔法の約束』の振りをよくさせられていた。


 その時は「破ると死ぬ」と教えられていたので、信じたコハクは、破るのが怖くておねしょをしたこともあった。


「魔法…なんの約束よ?」

 ベッドの横でベソをかくコハクを思い出して一瞬顔が緩みそうになった真夜は、すぐに警戒心MAXの顔に戻そうとするが、勝負も終わったからか、二本と半分のワインで目がかなり座っている。

 コハクは少し乾いた口をワインで湿らしてから、質問には答えずに昔の話を始めた。


「覚えてますか?『僕のこと好きになった時、魔法使いにしてください』って言ったの。」

 真夜はコハクの言葉を反芻させた後、そんなこともあったわねと、小さく吹き出した。

「ふふ、この前のことだもの、もちろん覚えてるわ。」

「この前って…まあいいか。あの時、真夜さんは魔法なんてかけてなかったですよね。」

 ワイングラスの底の丸プレートを爪でなぞりながら、コハクは真夜を見つめていた目を少し細めて聞いた。

 コハクの仮説が正しければ、あの条件に魔法なんて必要なかったのだ。


「…あんな子供の憧れで魔法なんてかけられないわよ」

 瞳を揺らしながらも、声は揺るがない真夜の言葉で仮説は確信に変わった。コハクは続けた。

「でしょうね。でも、僕の願いは変わらないです。だから、をかけるのをやめてください」

「なんでそれを?」

 『魔素除け』という言葉に、真夜の眉がピクリと動き、コハクの仮説は確信に変わった。


 コハクはおもむろに立ち上がると、本棚の上の壁と同じ色をした隠し扉から赤い背表紙の本を取り出し、開きぐせのついたあるページの一部分を指差しながら音読した。


 ーーーーー

 魔法使いが纏う魔素は人の性質を変える。 

 魔法使いと長く暮らす人間は、その関係と触れる魔素の量により、稀に同族になることがある。

 特に幼い子供は魔素の影響を受けやすいため、接触には細心の注意が必要。

 ーーーーー


 真夜がいつもより早く潰れた日、暇だったコハクが本棚を掃除した時に見つけた本だった。その本には、人間を変質させてしまう魔素の危険性と、それを避ける守りの魔法が一緒に説明されていたのだ。


 コハクはパタンと本を閉じて、真夜に渡し、隣に座った。


「『魔法使いと人についての研究』を読みました。作者の方も元人間だったんですね」

「隠してたのに…」


 人間の子供と暮らすにあたって、真夜なりに調べてくれたのだろう。一緒に暮らすために努力してくれた真夜の気遣いは嬉しかったが、隠し扉に手が届くほど背が伸びた今は、もういらない。



「もし、約束するのが嫌だったら、シャルムさんと賭けてた事を僕にしてください。」

「え、えぇ…」

 コハクの譲歩に対して、予想以上に嫌そうな顔をする真夜に、やっぱりそっちにしてもらおうか…とも思ってしまうが、気にしないふりをして返事を待つ。


 真夜は「ああ、もう…」と思わず呟いて頭を抱えていた。

 そのまましばらく一時停止していたので、コハクは「師匠?」とトントンと肩を叩くと、寝ている様子はないが返事はなく、うーんといううめき声だけが聞こえた。


 コハクはため息を軽くついて、誘導尋問を始めた。

「真夜さんは僕のこと『シャルムよりはじゃない』なんですよね?」

 昔言われた言葉を思い出して問うと、真夜はゆっくり頷いた。


 そう、『嫌いじゃない』。

 あの頃から、今まで冗談でも好きとは一度も言われてない。


「魔素除けなしでも、今だったら100年くらいかかりますよ」

「そうだけど…」


 研究者は、魔法使いの恋人だった。魔素は、心が近いものほど影響されやすいらしい。

 だから、わざわざ魔法使いになる魔法をかけなくても、真夜とコハク次第で同じ事が起きる可能性があるし、魔素除けの魔法や薬を使わなくても、何十年も人のままな可能性もある。


 好きじゃないなら大丈夫でしょう?と言外げんがいに匂わせて、コハクは真夜を追い詰める。

「『やっぱりなし』はもうだめですよ」



「くらいなら、きっといますぐじゃ」

「え?」

 一時停止をしていた真夜は、突然、頭をかきむしった後、聞き取れないつぶやきを残して立ち上がった。


「…やり方。どこの本に書いてあったっけ…」

 フラフラと本棚に向かう真夜を支えるように、慌てて立ち上がり左手で支えたコハクは、椅子に再び座らせた後、指定された黒い表紙の本を差し出し、お代わりのワインを注ぐ。


 ページの内容を三回ほどなぞり、やっと内容が頭に入った真夜は、「そんな魔法だったわね…。」と呟きながら、コハクがワインを足したグラスを取り、プレートに手を添えるようコハクに指示をした。


「私はあなたにに誓う、今後、魔素避けの呪文をかけないことを。」

 真夜はワインで潤んだ目で「どうせ知ってるんでしょ?」とでも言うように、コハクに続きを促した。コハクは真夜の目をまっすぐに見つめ、プレートに添えている手を真夜の手ごと握りしめるようにそっと力を込めた。そして本に書いてあったお決まりの台詞を口にした。

「僕は約束の代償にあなたに誓う、あなたが僕に心から望む願いごと叶えることを。」


 その後の言葉は、なんて言ってるが聞こえないけど、真夜の口からはポロポロと紫の光の輪や粒が飛び出してはガラスの中に消えていった。

 やっぱり真夜の魔法は綺麗だな、とコハクは思った。


 光と言葉がおさまった後、「はい飲んで」と渡されたワインはなんの変化もなかった。さっきと同じ、渋くて酸っぱくて、苦くて甘い。

「本当に魔法かけました?」

「かけたかけた」

「本当に?どこにも証が浮き上がってないから不安」

「私の言うこと聞かないと出てこないわよ」

 真夜は、やけくそのように残りのワインを流し込みながら言った。


「師匠の願いってなんですか?」

「あんたが魔法使いにならないこと」

 いつも以上に酔っていた彼女は、その後終始つれない様子で、すぐに寝てしまった。

 彼女を部屋に連れて行った後、なかなか寝付けなかったコハクは、なるべく難しいことが書いてある本に目を通して眠くなるのを待ちつづけた。

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