Last X

いつものキス、秘密のキス

師匠せんせいってば、またこんなところで寝て…」


 ソファを見た青年は、少し掠れた低い声で呆れたように溢した。

 薬の勉強に必要な資料を一階に取りに行った間に、すっかり意識を手放した真夜が、空になったグラスを握りしめ、幸せそうな顔でソファーに沈み込んでいた。


 青年…コハクが頬をつついても、一向に起きる気配はない。さっきまで、コハクの質問にも答えてくれたのに、いつの間に…いや、最後の質問はなかなか怪しかったか。


「高かったのに…もったいない。」

 ソファ横の小さなテーブルの上には、少し前に開けたはずの2本目のワインがすでにすっからかんだった。

 余った分を勉強終わりに飲もうと思っていたコハクは、見通しの甘さを反省しつつ、真夜の足の裏と背中にそっと手を入れて抱え上げる。


 すると、彼女は目を閉じたまま少し微笑んでから、するりと手をコハクの首に回してよこす。

 心臓に悪い仕草に、意識が首筋に集中してしまうが、コハクは深呼吸をしてなんとか気持ちを落ち着けた。

「誰かと間違えて…じゃないですよね。」

 無防備に体を預ける彼女に返ってこない質問を投げかけながら、慎重に階段を上がる。


「『私ね、最近酔っても絶対ベッドで寝るようになったわ!』って本当よく言いますよ」

 彼女は何も変わっていない、コハクが彼女を抱えられる力がついただけだ。言っても信じないので、今は主張するのを諦め、文句は寝ている間に全部言ってしまうことで溜飲を下げていた。


 ベッドにそっと横たわらせると、コハクが離れたからか、真夜は少し寒そうに肩を寄せたあと、手が空中を彷徨い、コハクのシャツを掴む。

 そして、コハクを引き寄せて額にキスをする。

 どんなに酔っ払っても、これだけは一度も欠かされたことがなかった。

 満足そうに微笑んだ彼女は、再びベッドに横たわり、静かな寝息を立て始めた。


「…風邪ひきますよ」

 コハクは、端に寄せられていた毛布を真夜にかけてから、ベッドサイドに腰掛けたまま、口の端にかかっていた髪の毛をそっと避け、そのまま手を頬に添えた。


 真夜の唇は、コハクが飲めなかったワインが残ってるのか、紫にくすんでいた。


 誘われるように顔を寄せて、プラムのような唇から、ワインの香りをかすかに感じたところで、コハクは動きを止めた。

 そして、音を立てないようにそっと額にキスをした。


 コハクはそのまま、ゆっくりとベットから離れて、寝室を後にした。



 階段を降りたコハクは、明日洗おうと、ワイングラスに水を張り、ソファ前の小さなテーブルを簡単に拭いてから、ダイニングの椅子に座り直した。


 そして、頭を抱えた。

「あぁ…やばかった」

 背が高くなるにつれ、声が低くなるに従って、コハクはだんだん額のキスだけじゃ物足りなくなってしまった。近頃は、真夜が潰れて介抱するたびに悪魔のような欲望が頭を掠めて、振り払って寝室を後にするのはとてつもなく気力を消耗する。


 まだ、そわそわとする鼓動にしばらく寝られなさそうだと思ったコハクは、落ち着けというようにテーブルの上の消えない線をなぞる。そして、首筋に感じた腕の柔らかさを振り払うように頭をぶんぶんと振り回してから、閉じていた本を再度開く。

「もうちょっと勉強してから寝るか」


 薬の勉強も、真夜の面倒を見ることにもずいぶん慣れた。


 コハクが調剤もできるようになれば、ぐうたらな真夜はどんどん働かなくなって、何もしなくなって、僕がいないと何にも出来なくなるのでは…そうなればいい。


 そんなふうに思うこともたまにある。


 そうすれば、一生そばにいれるのだろう。


「あれから十五年くらいか…」

 真夜を好きなことも、魔法使いになりたいことも、真夜からの扱いも、なにも昔と変わっていない。

 なのに、自分だけが、子供の頃とどんどん変わっていることがコハクは少し嫌だった。

 真夜が気に入っていた綺麗な自分では無くなってしまったことに、彼女が気づくのは少しでも遅くありますように。そう願いながら、眠気が来るまでペンを走らせた。

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