約束の呪文

 その夜、夕食を食べながらコハクは恨めしい顔でこちらを見ていた。


 嫌な予感はしていた真夜は、目を合わさないように黙々とチキンを食べていたが、痺れを切らしたコハクは不意にフォークを置いて、ふうっ、とため息をついた。そんな仕草どこで身に付けたんだろう。

「あいつは魔法使いにしたのに僕はダメ?」


 やっぱり聞いてたか…と真夜は苦い顔でスープを口に運ぶ。

「シャルムは事情があって魔法使いになってしまったけど、それでも後悔してるの。あんなのになりたい?」

 真夜は魔法使いになってから、すっかり変わってしまったシャルムを思い浮かべて聞いた。


 それにはふるふると首を振るが、そう言うことじゃない。と目が語っていた。

「でも真夜さんとはずっといれるもん」

「ずっとってね、あなたが考えるよりもずっと永いのよ」


 そうだ、人間と魔法使いは生きる時間が全然違うのだ。


 真夜は昼間に見た修道院を思い浮かべながら、思い出した。

 この街の人間は、信仰心が暑いからか、修道院が運営する孤児院も設備が整っていた。

 躾と教育が行き届いていて、育った子供達も自立している様子をみて、コハクが街を離れたくなければ、魔法で誤魔化して預けても良いかもしれないと考えていた。


 むしろ、時期を待たずに、真夜魔法使いとは今のうちに無理矢理離しておいた方が良いのかもしれない。そんな考えがチラリと頭をよぎる。

 

「コハクには、私たちじゃなくて、いつか大好きな人と一緒になって、幸せに歳を取ってほしいのよ。」

 そう言ったあと、真夜は食事を再開させた。だがすぐに、チリンと震えるような鈴の音がなって顔を上げて、ギョッと目を剥いた。

 コハクの名前と同じ色の瞳からは、はらはらと大きな涙が溢れていた。


「どうしたのよ」

「ずっといたくない?きらい?」

「…きらいじゃないわよ」また鈴の音が小さくなった。不安そうな様子は拭えていないみたいだ。

 真夜は立ち上がって、向かいのコハクの椅子のすぐそばにひざまづいて目線を合わせた。


 コハクは真夜に目線を合わせようして、後ろの時計が目に入り、余計に涙の粒が大きくなっていた。しかし、目元を細かく拭いながら、少し嗚咽の混じる声で、真夜に問いかけた。

「一二時になったら、真夜さんはシャルムさんとどっか行っちゃうの?」

「…もしかして、シャルムに私を取られると思ったの?」


 こくりと頷いたコハクを安心させるように優しく抱きしめる

「そんなわけないじゃない」

「ずっといてくれる?」

 どう答えようかと迷っていると、背中の手がきゅと服を掴む。

「まよさんと離れたくない」

 真夜は大きなため息をついた後、そっと背中を撫でた。

「はいはい。いてあげるわよ」

 

 コハクの手は服だけじゃなくて背中の皮膚も一緒に握られていた。力一杯にしがみつかれる痛みに、頭の中に思い描いていた修道院を追い出した。

 正解がわからないけど、自分が拾ったこの子をまだ一人にする気にはなれない。

「あんたがいやになるまでは一緒にいてあげるわよ」


 少し落ち着いたコハクは、まだぐずぐずしながらも真夜に問いかけた。

「真夜さんシャルムのことは好き?」

「好きじゃない」

 真夜はきっぱりと否定した。


「ぼくのことは?」

「…シャルムより嫌いじゃない」

 それでいいでしょ?と言うと、コハクは少し考えて、にっこりと笑った。


「じゃあ、まよさんが、僕のこと好きになったら、魔法使いになれる魔法をかけてください。」

 少し目をパチクリとした後、「そんな日が来るのかしらねぇ。」と真夜は笑った。 鼻をつまみながら呪文を唱えた。

「私がコハクのことを好きになったら魔法つかいになあれ」



「それにしても、随分ませた言い回しね、誰に教わったのよ」

「マーサ!」

 ままごとで、いろんな愛の言葉を叩き込まれたらしい。

 彼女の母テイラーとその夫は、街でも有名なおしどり夫婦だ。母に似てロマンチックなことが好きな彼女は、その姿に憧れたのだろう、と真夜は想像して少し微笑んだ。


「さあ、ご飯の続き食べましょう」

「うん!」


 ただ、その日からも、真夜は日常のことで魔法を完全に使わなくなった。


 家事が苦手な真夜に代わり、コハクはなるべく家事を手伝うようになったが、あの、日常が特別になるみたいな、小さな奇跡は見れないのかと思うと少し寂しかった。


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