魔法使い

『魔法使いになりたい。』


 いつか言い出すと思ってた。

 だから答えも用意していた。


 「だけどなぁ…」と、真夜はため息をついてペンを置いた。夕食の後、明日の営業の準備もひと段落をして、テーブルで伝票の計算をしていたが、伝票の数に比べて帳簿は全然埋まっていなかった。


 普段は聞き分けが良く真面目だけど、たまに頑固なところがあるコハクは、先日の真夜の話には折り合いがついていない表情で、その後も、時折難しい顔で考え込んでは、首を傾げていた。

 すぐに言ってこないのは、真夜の話も理解しようと考えているからか、自力で魔法使いになる方法を考えているのかどちらだろう。

 

 今日もさっきまで難しい顔をしていると思ったが、振り返るといつのまにかソファで寝落ちしていた。


 コハクをベッドに運んだ真夜は、布団をかけながらつぶやいた。

「あんたみたいに賢くて、人の気持ちを考えられるやつは、魔法使いになんかならない方がいいのに」 


 そりゃ、魔法は便利だし、使いたくなる気持ちはわかるが、リスクが大きすぎる。

 それを、十歳にもなっていない子供に理解しろと言うのも無理な話なのだが、真夜はどうしてもコハクに魔法使いにならないでほしかった。


 コハクの寝顔を見つめながら、真夜は自分勝手な願掛けのキスを額にした。



 それからさらに一ヶ月後、冬が近づき夜が冷え込むようになってきた。


 薬屋には体調を崩したり冬支度に薬を求める人がひっきりなしに訪れていて、昨日は一段と冷え込んだからか、今日は特にお店が忙しい。

 コハクの友達の母であるテイラーも、いつもは真夜とコハク相手に一通り世間話するところを「今日は忙しいのねぇ」と言って、店の奥で絵を描くコハクに軽く話しかけただけで、さっさと帰っていくほどだった。


 コハクは店が暇な時はよく手伝ってくれるが、前の家でのこともあり、忙しい時は店の奥の机の端で絵を描いて大人しくしてもらっていた。人混みでは、人の音で集中できない真夜にとって、目が届かない状況で、小さな子供に薬品だらけの店を動き回られるより、見えやすい場所でお客さんの話相手になってもらう方が助かるからだ。


 それでも一応、目の端でコハクの様子を捉えながら接客していると、しゃらん…と物音ではない、真夜にしか聞こえない音が鳴った。

 

 ああ、空気を読まない奴が来た。


 扉をニコニコと開けた男の厚手のコートは、白地に鮮やかな装飾が施され、よくわからない紐などがたくさん飛び出していた、狭い店内に増す圧迫感に真夜は心の中で舌打ちした。


「やっほー、忙しそうだねえ」

「今はちょっと忙しいので…五十年後にご来店ください」

「それは流石にオペレーションを改善して欲しいなぁ。」

 真夜の嫌味も婦人達からの視線も受け流しながら、店の奥にするりと入り込み、コハクに話しかけはじめていた。


「やっほー、コハク、大きくなったか?」

「なってない」コハクはシャルムを見ずに答える。


「何描いてんの?」という問いかけにも、

「言わない」と、無愛想なままゴリゴリと描く。しかし、シャルムは気にしない様子で、少し嬉しそうにその姿を眺めていた。

「ふーん、はみ出さなくなったんだな」


「でも俺は、あのテーブルの絵とか、絵本の絵も好きだよ」

 シャルムがそう言うと、コハクはぴたりと手を止めてシャルムの方を見た。

「なんで知ってるの?」

「シャルムさんは何でも知ってるのさ」

 得意げなシャルムの方を見て『魔法?』と口の形だけで問うと、人さ指を口に当てながら、同じように口だけで『ひみつ』と返された。


 そして、どこからともなく紅茶とクッキー、そして椅子を出して、机の空いたスペースでティータイムを始めだした。

 コハクすら虜にする美味しい菓子の匂いとシャルムに惹かれて、シャルムに声をかけるお客さんが出てきて、ますます店内のお客が減らなくなったので、シャルムは真夜に睨まれていた。コハクはちょっとその目が怖かったので、ご婦人と話すシャルムの横で、黙々とクッキー食べながら絵を描き続けた。


「コハクと何話してたの?」

 客が途切れた後、いつもの薬を用意しながら、真夜は尋ねた。

「おっきくなったか?って聞いて怒られてた」

「成長期まだなのよね」

 真夜は少し心配そうに答えつつ、頭の上の位置にある引き出しに手を伸ばしたが、届かなかった。仕方なく、諦めて踏み台を取ろうとすると、横のシャルムがすっと手を伸ばして、引き出しから薬を取り出した。そして、真夜に渡しながら、『なんで魔法を使わないの?』という顔で見てくる。


「…最近、コハクの前では魔法使わないようにしてるの」

「成長期はただの個人差だと思うけど、まよは、コハクを魔法使いにしたくないのかい?」

 こくりと頷くと、背の高い魔法使いは目を細めた。

「まったく、僕を魔法使いにしておいて良く言うよ」

「ちょっ…と、ここで言わないでっ。あれは仕方ないじゃない…それに、それでも後悔してるのよ。」

 薬を取り落としそうになった真夜は、慌ててキャッチした後、辺りを見回しながら、小声で反論した。といっても、シャルムは周りを見ていたようで、さっきまでコハクに話しかけていたお客は、既に出て行っており、店には誰もいなかった。


 よかったと思いながら、強く握りすぎた薬草の状態を確かめようとすると、シャルムの方が再び開いた。

「後悔だなんて、君が言わないで欲しいなぁ」

 その言葉に、うっと詰まった真夜の反応を見ながら、彼はいつも以上に軽い声で続ける。

「僕は魔法のおかげで、かわいい女の子とたくさん遊べるようになって感謝してるんだから」


 真夜は薬草の状態を見るために視線を下にやりながら、シャルムの言葉には聞こえないふりをしていた。

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