第4話ー石川ノボル
宮ノ前中学校同窓会のお知らせ、と印刷された往復はがきに、石川ノボルは目を細めた。今朝、郵便物の中にこの往復はがきを見つけ、会社で読もう、と思ってとりあえずカバンに突っ込んできたのだった。
「同窓会。いつぶりだろうな」
自然と、頬が緩む。四十を少し過ぎたこの中途半端な歳になぜ、とは思ったけれど、単純に嬉しかった。即座に出席に印をつけ、はがきを切り離した。帰りぎわにでも駅前のポストに入れよう、と決める。
「なんですか、石川さん。にやにやしちゃって」
笑いながら声をかけてきたのは、野島ケンタである。たしか入社五年目くらいだっただろうか、ノボルの直属の部下だ。
「にやにやしてたか? いやあ、ちょっと、嬉しくてね」
「はがき? 奥様からですか?」
「いや」
ノボルは苦笑して首を横に振った。ノボルは郵便物のチェックを滅多にしない。どうせダイレクトメールばかりだろうと思って、宛名すらも見ることなくごみ箱へ突っ込む。若いころからそんなふうだったから、ノボルの家族も郵便は送ってこない。
「中学のね、同窓会のお知らせだよ」
「へー! そういうのって、いまだに郵便で来るんですね。え、でも、石川さんって単身赴任ですよね? よく赴任先の住所がわかりましたね」
「ああ……、幹事をやってるのが親友でね、教えてあったんだよ。なんのときだったかなあ、なんか、必要だから、って訊かれたんだけど、なんでだっけな」
ノボルは首をかしげて記憶を辿った。そう昔のことではなかったはずだが、思い出せない。
「楽しみですね。折角だし、長めに休暇でも取ったらどうですか? おうち、ずいぶん帰ってないんでしょう?」
「ああ、うん……、そうだね。まあ、仕事優先かな」
「たまにはプライベート優先してもバチは当たらないと思いますよ? あ、いけね、そろそろ出ないと。大角デパート寄って手土産買わないといけないし……。じゃ、石川さん、また明日! 僕、今日、客先から直帰なんで!」
「ああ、お疲れ様。気を付けて」
ノボルは、ばたばたとあわただしく去っていくケンタを見送り、はがきをカバンに片づけた。そろそろ昼休みが明ける。缶コーヒーを飲み干しながら、どうして赴任先の住所を幹事である同級生に教えたのだったかをもう一度考えてみたが、やはり思い出せなかった。やれやれ歳かな、と自嘲して、ゆるく頭を振る。
「石川さーん、五番にお電話です」
三つ隣の席から声がかかり、ノボルは片手をあげてそれに応えてからメモ用紙とボールペンを構えつつ、自分のデスクの受話器を取った。
「お待たせしました、石川です。……ああ、店長。お久しぶりです。すっかりご無沙汰していて申し訳ありません。……ええ、はい、……なるほど。そうですね、おそらく三年前からそのプランをお使いですね。お店のコンセプト的に、ごく限られたチャンネルだけでよい、というお話だったかと……、ええ、そうですよね。……もちろんです。明日お伺いします。ランチ営業は十五時まででしたよね。そのくらいに行っても……、ああ、はい、ありがとうございます。では、明日。失礼します」
受話器を置いて、ふー、と息を吐く。どこからか、石川さん何も資料調べてなかったよ記憶力やっば、という声が聞こえてきた気がしたが、直接話しかけられたわけではないので、ノボルは特に取り合わなかった。それよりも、明日の仕事がひとつ増えてしまったことについて、今のうちに調整しておかなければならない。
ノボルが勤めている株式会社オトトイは、法人向けの音楽配信サービスを主に取り扱っている。法人、の内訳は、八割以上が飲食店だ。店内でBGMを流すために利用するケースが圧倒的に多い。ノボルは入社以来、ずっと営業課に在籍していて、数えきれないほどの契約を抱えていた。この業界は、一度契約を取ってしまうとそれ以後のアフターフォローはほとんど必要ない。営業の仕事は、ひたすら新規契約を取ってくることだ。だから、契約した店の情報を覚えておく必要は、実はない。
「なんでそんなに熱心になれるんだろう」
「石川さん、単身赴任じゃん? 奥さんとお子さんのいる家に、二年近く帰ってないらしいよ」
「えええ!」
「こら、声が大きい!」
声が大きくないと思っていたらしいところも全部聞こえているんだけどね、とノボルは言わずにおいた。悪口や皮肉のつもりで言っているわけではないのだということは、声の調子からもわかった。単純に、不思議なのだろう。ノボルの仕事への打ち込みようが。
なんでそんなに熱心になれるのか、は、同僚や友人たちに散々尋ねられたことだった。そのたびにノボルは、どうしてかなあ、と返してきた。営業部に残っている同僚はもうほとんどいない。辞めてしまったか、部署移動を願い出たかのどちらかだが、営業を離れたがる理由の多くは「ノルマがきつい」と「自分よりもはるかに若い客に怒鳴られるのが耐え難い」のどちらかだ。二十歳そこそこの若者が店長、という飲食店は多い。「頭悪そうなガキに頭下げなきゃならんなんて」とビールを飲みながら吐き捨てた同僚が、何人もいた。
彼らの言い分は、わからなくもないけどわからないなあ、とノボルは思う。たぶん、彼らが「ノボルが仕事になんで熱心になれるのか」がわからないように。
目の前のパソコンがメールの新着を知らせた。オープニングパーティご招待のお知らせ、という件名。ノボルが先日契約を結んだカフェ「ボヤージュ」からだった。パーティの日付を確認して、おや、と思う。カバンからはがきを取り出して確認すると、やはり、同窓会の日付と重なっていた。
「そうか」
ノボルは短く呟くと、出席、に丸を付けていたはがきを、迷うことなく欠席、に訂正した。
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