6

 何も見えない、真っ暗な闇の中。だけど僕は、確かに目覚めた。


 どういうことなんだ。僕は死んだはずじゃなかったのか?


 それなのに、どうして意識があるんだろう。


 まさか、死後の世界は実在したのか? それとも、僕は幽霊になっちまったのか?


 ”幽霊じゃないわ。死後の世界、っていうのは当たらずも遠からずだけど”


 これは……美由紀の声?


 いや、声というよりは、直接意識の中にメッセージとして伝わってくるような……


 ”いらっしゃい、孝之さん。私のメモリ空間にようこそ”


 その「声」と共に、一気に周囲が明るくなった。


 今僕がいるのは、学校の教室のようだった。机と椅子が片付けられていて、その代わりに天井まで届くようなパネルが並んで立っており、そこに写真がいくつもかけられていた。人は誰もいないようだ。


 ふと、記憶が蘇る。


 ここは……そう、僕と美由紀が出会った、あの写真展会場の教室じゃないか!


「ねえ、ここがどこか、覚えてる?」


 声の方に振り向くと……そこに、美由紀が、いた。


 出会った当時のままの、彼女が。


 よくよく見れば、僕の姿も当時と同じようだ。着ている服がそうだし、手もしわのよった老人のそれではなくなっている。


「……ああ」愕然としながらも、僕は応える。「もちろんだよ。僕と君が、初めて会った場所だろう」


「正解」そう言って、美由紀は笑った。「といっても、あなたが昔作った3Dモデルを私がディーティルアップしたんだけどね。かなりそれっぽくなってるでしょ?」


 あ……


 そう言えば、昔、この思い出の場所を3Dモデリングして「彼女」に入力したことがあったっけ……それが、ここなのか?


 ということは……


「それじゃ、本当にここは『彼女』のメモリ空間なのか?」


「そう。そして、その『彼女』の核心部分カーネルが、私。本物の、美由紀よ」


「そんな……バカな……」


 信じられなかった。そんな僕の思いを知ってか知らずか、彼女は淡々と続ける。


「あなたが『彼女』を『中国語の部屋』だと思っていたことは知ってたわ。でもね、本当はそうじゃない。『彼女』の中にはね、本物の美由紀がちゃんと存在していたのよ」


 納得できなかった。僕は首を捻ってみせる。


「どういうことだ? 本物の美由紀はとっくに死んじまった、というのに」


「あなたが私の動作を最適化オプティマイズするようにプログラムしたからよ。考えてみて。あなたは本物の美由紀と寸分違わぬシミュレータを作ろうとした。だけどね、本物との差を最小にするには、『中国語の部屋』を作るよりも本物を作る方が効率的なのよ」


「ええっ?」


「だって、会話のパターンはほぼ無限にあるんだから、『中国語の部屋』ではいくらルールを作ってもキリが無い。新しい話題が登場するたびに学習を行う、ってのも非効率的だわ。それよりも、一度本物の思考を実装してしまえば、後はどんな話題になっても本物と全く同じ受け答えが出来る」


「……」


「要するに、本物を一番上手に真似できるのは、本物それ自身、ってこと。だから、最適化が繰り返された結果、いつの間にか本物と全く同じように思考する私が『彼女』の中に生まれた、ってわけ」


「そんな……とても信じられない……」


 茫然と、呟くように僕は言った。


「信じられなくても、今のあなたが何よりの証拠じゃないの。あなたは今の自分が『中国語の部屋』だと思ってるの? 違うでしょ? ちゃんと人格と意識を持っている、って感じているんじゃないの?」


「!」


 そうか……確かに、今の僕は、生きていた頃と全く同じように思考している。マニュアルに従って行動しているわけじゃない。


 ……いや、待てよ?


「美由紀、だったら、なんで僕はここにいるんだ? 確かに君をここに蘇らせたのは、この僕だ。だけど、僕は自分で自分をここに蘇らせるようなことはしていない。だとしたら、一体誰が僕をここに蘇らせた、って言うんだ?」


「そんなの決まってるじゃない」満面の笑顔で、彼女が自分を指さしながら言った。「私よ」


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