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こんな風にして、僕は美由紀との思い出のイメージを、できるだけ 3D 化して「彼女」に入力することにした。彼女が写っている写真や動画も片っ端から入力した。写真や動画から 3D データを起こす技術は年々進歩している。それを組み込むことによって、わざわざ僕が3D化しなくても、勝手にシステムの方で3Dにしてくれるようになった。
さらに、これによって「彼女」は自分自身の映像を作れるようになったのだ。画面にCGで作成された美由紀の顔が表示され、声に合わせてリップアニメーションする。亡くなった当時の姿から、懐かしい学生時代の姿まで、自由自在。そして、学習が進むにつれ、そのリアルさは高まっていった。もちろん「彼女」の器であるホームサーバも、ハードウェアの進歩に応じて僕は部品単位でアップグレードを続けていた。
加えて僕は、「彼女」のプログラムに、遺伝的アルゴリズムに基づいた「
だけど……
「彼女」が誕生してから、既に十年。それなのに、いつになっても僕は満足できなかった。
やはり、「彼女」は本物の美由紀とはどこか違う。
もちろん、開発当初のシステムに比べれば、会話はかなりスムーズになってきたし、何気ない会話をするだけでも、自分が癒されているのを感じる。
それでも、どうしても違和感が拭えなかった。それに、たとえ違和感が全くなくなったとしても、「彼女」は本物の美由紀じゃない。それは単なる「中国語の部屋」でしかないのだ。
「中国語の部屋」は、哲学者のジョン・サールが 1980 年に提唱した思考実験だ。部屋の中に中国語を全く理解していない人が一人いる。その部屋にはマニュアルがあって、「こう言われたらこう答えよ」というルールが中国語のあらゆる会話のパターンにわたって網羅されている。中の人はそのルールに従って、言われたことに対して正しく答える。会話が完全に成立しているので、部屋の外の人は中の人が中国語を理解している、と考えるが、実際に中の人が理解しているのはマニュアルに書かれたルールだけであって、決して中国語を理解しているわけではない。
これと同じことが「彼女」にも言えるのではないか。つまり、「彼女」が学んだのは「こう言われたら美由紀はこう答える」というルールでしかなく、美由紀そのものではないのだ。
結局僕がしたことは、ただ単に「中国語の部屋」を作っただけに過ぎなかったのか。
『……どうしたの?』
その声に顔を上げると、画面の中に「彼女」の心配そうな顔があった。まるで本物の美由紀のようだ。僕は微笑みながら、かぶりを振ってみせる。
「大丈夫。何でもないよ」
ところが、「彼女」は心配そうな顔のまま、続けた。
『何でもないこと、ないわよね? あなたがそういう言い方をするときは、いつもとても悩んでた。私でよかったら、話してくれない?』
……。
意外だった。こんな応答が返ってくるとは思わなかった。
ほんと、似てきたよなあ……ま、こんなことを彼女に言っても理解できないだろうが、ダメもとで一応話してみるか。
「君は、『中国語の部屋』なのか?」
すると、画面の中で「彼女」が頭を下げる。
『……あなたのおっしゃる意味が、分からないわ。お力になれず、ごめんなさい』
……ほら見ろ。
最近はこのセリフもあまり言わなくなってきたと思っていたが……結局のところ、やっぱり「彼女」はプログラムなのだ。美由紀じゃない。
「いいんだ。ありがとう」
僕は「彼女」に背を向ける。
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