フラムドール・オブ・ヴェンジェンス(3)

「……はい。手当、終わりました……」

「どうも」


 冒険者ギルド、1階酒場。

 『ペインキラー』というらしい、儚げな白衣の女冒険者が言った。さっき殴られている俺を見つけてパノプティコンを取り押さえたのもこの女だ。その首からは漆黒の冒険者タグがかかっている。


 俺は湿布と包帯まみれ。テーブルの向かいではパノプティコンが手当を待っている。既に蓋を閉じたような無表情に戻っているが、どこかばつが悪そうにも見えた。


「あの……いいですか、パノプティコンさん。強化魔法エンハンスの訓練はすごく危ないから、教官側まで熱くなったら駄目です……A級なら、ちゃんと自分を律しないと。ヘカトンケイルさんには内緒にしておきますから、反省してくださいね」

「…………」

「いいんすよ、お互い様です。結果として魔法は出せたわけだし」


 俺は本心半分、皮肉半分で言って、ペインキラーが煎じた薬湯を啜った。


「だがこの先も事あるごとに殴り合うのは御免だ。あんたの事情はわかった、俺との共同生活はさぞ不本意だろうさ。だが俺にもあんたにも今の生活を取り止める権利がねぇ以上、妥協点が必要だ。異論は?」

「……ない」

「だよな。俺を好きになれとは言わない。でも面と向かって相手をコケにするのは好き嫌い以前だ。常識とか、礼儀とか、人間同士の最低限のリスペクトの問題だ。そこすら払う気がないってんなら俺も我慢ならねぇ。あんたはどうだ」


 傷口の洗浄を受けながら、パノプティコンが金色の目で俺を見る。

 一度とことんやり合ったからか、相手も多少冷静さを取り戻したようだった。


「仕事はする。……もう余計な喧嘩をする気はない。それだけ」

「オーケー。手打ちだ。俺もふざけた物言いして悪かったよ」


 俺たちは手早く和解を済ませた。


 殴り合いに勝ったのは自分だ、とゴネられたら面倒だったが、パノプティコンはそうしなかった。奴は俺への感情とは別のところで、怒りのまま理に合わぬ暴力を振るった自分を悔いているようだった。


 気に食わないところはあるが、その潔さは尊敬できる点だ。そう思ったから、俺もそれ以上あれこれ蒸し返そうとはしなかった。

 

 ◇


 ペインキラーに治療の報酬を支払い、俺たちはギルドを出て帰路についた。

 お互いに普段着、つまり戦闘服姿。薬湯の効き目は覿面で、既に痛みはほとんど引いている。ペインキラーは名誉位階としてA級冒険者の身分を持ってはいるが、基本的にああしてギルドに常駐して怪我人の治療にあたっているらしい。


「冒険者は壁蹴って跳んだりしますよね。ああいうときもいちいち「殺すぞー!」って念じたりするんすか」

「感情は呼び水にすぎない。反復練習すればそのうち意識しなくても出るようになる。いちいち気合入れなきゃ強化魔法エンハンスできない奴は、その時点で三下と思っていい」

「それまではひたすら練習?」

「そう」


 裏通りを歩きながら、パノプティコンはこちらを見ようともせずに答えた。


「パノプティコンさんはいつから修行を?」

「姉さんが死んですぐ。『ヘカトンケイル』さんに師事した。皆伝を貰った後にキャストに会って、それからフラッフィーが転がり込んだ」

「専門分野バラバラなのに」

「ただの成り行き。家賃折半できるし」

「なるほど」

 

 その時、向かい側から対向車。

 地面を滑るように走る屋台魔導車だった。側面にはケバブの絵。


「ケバブってアレですよね、肉の串焼き」

「そう」

「なんでこの昼時に移動してんだろ。書き入れ時だろうに」

「売り切れたんでしょ」


 パノプティコンがにべもなく言った。

 俺も特に気にも留めず、脇を通り過ぎる車を目で追う。


「――あん?」


 すれ違う一瞬、車内からの視線を感じた気がした。

 気がしたというのは、窓に嵌まったスモークガラスのせいで車内がまったく見えなかったからだ。……屋台にスモークガラスが必要か? それも運転席にまで? 


「パノプティコンさん、南区の屋台はスモークガラスが普通なんすか?」

「は? ……運転席に入れるのは違法だけど」

「なるほど」


 BLAMBLAMBLAM! 俺は決断的にコート下のホルスターから『黒い拳銃ブラックピストル』を抜き、車体後方の浮揚機レビテータに銃弾を叩き込んだ。


 通常の車ならばそれで浮揚機が破損し、浮力が欠けてバランスを崩すところだ。

 だが――屋台魔導車は健在のまま、まっすぐ加速して逃走を始めた。防弾仕様!


「いきなり何を!?」

「逃がしてからじゃ遅いでしょうが」


 パノプティコンが血相を変えて俺の肩を掴む。俺は肩を揺らして振り払った。


「ありゃ屋台に偽装した防弾車です。たぶんクランの斥候。しかも家の方から来た」

「居所を掴まれたって?」

「十中八九ね。報告に向かう気か、あるいはもうコトを済ませたか」

「それはない、家にはふたりがいる。……追うよ、屋根の上!」


 言うが早いか、パノプティコンが跳んだ。探偵服のケープから10を超える人工眼球が飛び立ち、衛星めいて奴の周囲に滞空する。


 俺も地面を蹴ってそこまで跳ぼうと試みた。

 ……だが、どれだけ先程の感覚を思い出そうと努めても、魔力が出てこない。本番には強いタイプだと思っていたが。


「すいません、まだ無理っぽいです」

「足手まといが!」


 パノプティコンが舌打ちし、念動魔法テレキネシスで俺をグリップして引っ張り上げた。

 そのままレンガの屋根、灰色の古代建築の壁、大手商店の宣伝看板を飛び渡り――爆走する屋台車に追い付き、追い越す。とんでもない健脚だ。

 

「そこから撃って止められる?」

「あれくらいの防弾ならスラッグでけます。でもいいんすか、撃って?」

「大事の前の小事!」


 終点は四角い古代建築ビルの集合住宅、明かり取りの天窓が並ぶ屋上だった。

 パノプティコンがスライディング着地。鋼の靴底が古代コンクリートに擦れて火花を散らす。遅れて俺もそこに降ろされた。


 眼下には一直線に走る屋台車。ここで止めなければ大通りに逃げられる。

 俺は散弾銃のセレクターを切替え、スラッグ弾を連射した。


 BLAMN! BLAMN! BLAMN! BLAMN! BLAMN! BLAMN!


「うわーっ乱射魔!」「神よ!」「終末!」「マザファッカ!」


 通りの両脇で悲鳴が上がる中、『ヒュドラの牙』が重い銃声を轟かせ、8ゲージのスラッグ弾が屋台車に次々と穴を穿つ。やがて動力系が損傷したか、車体があちこちから火を噴きながらスピンし始めた。


 建物に突っ込んだら面倒だ、もう何発か撃つか――そう考えた直後、屋台車が爆発。中から全身鎧の巨漢が垂直跳躍し、空中で巨大な鎖付き鉄球を振りかぶった。


「……レッキングボール!? 嘘だろ、よりによってあのコンビかよ!」

「誰が来ようが同じこと!」


 パノプティコンが〈邪視イビルアイ〉を発動、空中の巨漢に病んだ眼光を浴びせた。

 だが巨漢は動きを止めることなく、鉄球を頭上で振り回し続ける。鎧に施された何らかの魔法処置が〈邪視イビルアイ〉の魔力を防いでいた。――鉄球が来る!


「ちっ!」


 パノプティコンが俺を抱えて跳んだ次の瞬間、鉄球が超音速で足下を通過。砲撃じみた音を立ててビル屋上に激突する。


 全身鎧の巨漢はすかさず鎖を引き、鉄球をアンカー代わりにして屋上に降り立った。

 そしてもうひとり、壁を駆け上がってきた防火マスクの男がその隣に前転着地。左右非対称の両掌を合わせ、落ち着き払った調子で名乗りを上げた。


「いやはや、こうも手荒な歓迎を受けるとはな。ファイアライザーだ」

「……レッキングボール」

「パノプティコン」

「バックスタブです。数日ぶりっすね、足洗ってケバブ屋に転職ですか?」


 名乗り返しつつ尋ねると、ファイアライザーは鼻を鳴らして笑った。


「今日からな。お前らのせいで屋台がパァだ」

「そいつは失礼。で、放火の下見は済んだんすか?」

「ハハハ、何のことやら! 俺たちは合法的にケバブを売っていただけだ」


 ファイアライザーは肩を竦め、言った。


「……ところでお前ら、今夜は庭でバーベキューらしいな。羨ましいことだ」

「こいつッ!」


 ファイアライザーが遠回しに肯定した途端、隣のパノプティコンが陽炎めいた殺気を発した。その左手には既に武骨なナックルダスターが嵌まっている。


「良いでしょ。オキアミのプロテインじゃないオーガニックの肉っすよ。是非お二方も招待したいとこなんすけど」

「その気持ちだけ頂いておこう。……今からお前らをバーベキューにするんでな」


 ファイアライザーが獰猛に笑って低姿勢に構えた。その右腕、火炎放射器を仕込んだ義手のポンプ機構が動き出す。


「お前らもやる気で来たんだろう? 言葉は不要だ、始めよう」

「じゃ、恨みっこなしってことで――ね!」


 BLAMNBLAMNBLAMN! 

 先手必勝。肩掛け紐スリングを使ってコート下から『ヒュドラの牙』を抜き、そのままスラムファイアで連射を仕掛ける。


「ハハハ! 油断も隙もない奴よ!」


 ファイアライザーは即座に側転を打ち、レッキングボールを盾にした。

 レッキングボールは両腕でガードを固め、分厚い全身鎧で散弾を受け止める。さすがに歴戦、反応が早い。


「下がれ、徒弟アプレンティス。私一人で十分」

「お言葉に甘えまして。それじゃ!」

 

 俺はすぐさま踵を返し、背後の外階段へと逃走を開始した。


「つれないな、ジョン坊! 遊んでいけよ!」


 ファイアライザーの右掌が火炎を噴いた。細い火炎流が多重分岐しながら成長し、背後から爆発的に追ってくる。奴をクラン屈指の実力者たらしめる火炎魔法ファイアマジック、フラクタル・ファイア!


「不本意だけど仕事は仕事……南区を舐めるな、ヒュドラ・クラン!」


 だが、そこにパノプティコンが割り込み、右手のステッキを向けた。

 その途端、一本一本は細い炎の枝がまとめて四方八方に逸れ、散り散りに霧散する。念動魔法テレキネシスで火炎に干渉したか。


「行け」「どうも!」


 歴戦のベテランふたりを相手に正面戦闘は分が悪い。パノプティコンの小柄な背中を背後に、俺は外階段を駆け下りた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る