フラムドール・オブ・ヴェンジェンス(2)
冬の午前中、冒険者ギルドの裏庭はガランとしていた。
砂を敷き、草を抜いたそこそこ広い空間には、トレーニング用のサンドバッグや木人のほか、練習用の武器や打ち込み台が設置されている。
「
その一角に作られたスパーリング場で、パノプティコンが淡々と言った。
金色のウェーブヘアをポニーテールにまとめ、パンツスタイルのトレーニングウェアに着替えている。足先にはサバット鍛錬用の革靴。
対峙する俺も同じような服装で、銃はまとめて後ろの地面に置いてある。
「あーっと……一番簡単だから?」
「その通り。どんな魔法も結局は魔力の操作。魔力を動かして身にまとう
「銃弾以外は?」
「そう。銃弾以外は」
「なるほど。で、覚えるにはどうすればいいんすか?」
「……こっちが訊いたとき以外喋るな」
パノプティコンがぴしゃりと遮り、続けた。
「自分の魔力を認識して、意識的に動かす要領を掴む必要がある。アプローチは土地や流派で違うけど。……フォーキャストは身一つで雷が降る霊山を登った。フラッフィーは雪山の洞窟で一冬座禅を続けたって」
「イカレてる」
「私も同感。だから今回は、冒険者ギルド流のメソッドでやる」
「というと?」
パノプティコンは答えず、半身になって拳を握った。
「魔法が出せるようになるまで、殺す気で殴り合う。……来い」
(イカレてる)
俺は内心でもう一度繰り返し、ここまでの過程を振り返った。
◇
「――え。習いたいの、魔法」
「えぇー……」
俺が朝食の席で話を切り出すと、フォーキャストとフラッフィーベアは揃って破滅願望者を見るような反応を示した。
俺はこれまで魔法を使わず(正確には、覚えようとはしたが上手くいかなかった)、自分のスキル――〈
これは隔離された空間に敵を引きずり込み、あらゆる魔法や武器を封じ込める力だ。つまりどんな達人だろうが、例外なく、
だが、強力な代わりに連発が利かず、発動前に多少の集中を要する。つまり対多数や不意打ちに弱い。親父に裏切られたあの時、銃持ち複数人を相手に切り抜けられたのは、単に運が良かったからだ。初手で3人殺せていなければ死んでいただろう。
そういうわけで自己防衛のためにも魔法に再挑戦しよう、と思っていたのだが、ふたりの反応は芳しくなかった。
「私、無理。理論とかわかんないし。教わるならパノがいいよ」
「あたしもー。失敗したら死んじゃうしねぇ。パノちゃんよろしく」
「は?」
俺を無視していたパノプティコンが、コーヒーカップを片手に振り向いた。
「嫌に決まってるでしょ。なんとかに刃物って言葉もある」
(何だこのアマ)
あからさまな拒絶を受け、俺は怒りより先に疑問を感じた。
まだ数日の付き合いだが、パノプティコンは俺に対して露骨に当たりが強い。
フォーキャストから聞いた話だが、こいつの専門は
そのあたりを考慮すれば、ギャングの俺を警戒するのも無理はない……のだが、どうもパノプティコンの態度は単なる職業柄の警戒心とは違うようだった。俺個人ではなく「東区のギャング」という属性を嫌悪している。そんな感じだ。
「そう言わずにさ。預かったんだから、教えることは教えなきゃ」
「
「ルイス」
フォーキャストが本名らしき名でパノプティコンを呼んだ。
「片付けられない気持ちがあるなら、早いうちに吐き出したほうがいいよ。このままむっつりしてるより、ずっとさ。いい機会じゃない?」
「……またいつもの予言?」
パノプティコンはフォーキャストの視線から逃れるように顔を逸らし、長い溜め息をついた。それから席を立って俺を一瞥した。
「こいつが音を上げても、私のせいにしないこと」
「ふふふっ、いいよ。お肉焼いたげるね、今晩。子豚と羊、どっちがいい?」
「ご飯で釣れると思わないで。……子豚で」
パノプティコンが立ち上がり、コーヒーカップを流し台の方へ放り投げた。
◇
そして、今に至る。
「ちょっと、これ本当に魔法の修行なんすか!? 新人いじめの類ではなく!?」
「そう言ってるでしょ。……軸足の返しが浅い。当てるのは脛じゃなくて靴」
「
始めてから数時間、俺はほとんど一方的に蹴られ続けて青痣だらけになっていた。
何しろ講師が口以上に脚を出してくるのだからたまらない。魔法の使い方はまったく掴めず、せいぜい蹴りの動きを多少覚えたくらいだ。
「あんた、やる気あるの? 殺す気で、って言葉の意味わかる? 魔力は
パノプティコンが吐き捨てるように言った。奴の鋼鉄めいた無表情の裏には、嫌悪感と怒りが身動ぎしている。身に覚えのない怒りが。
(このアマは修行にかこつけて、俺を痛めつけたいだけじゃねぇのか)
その様子を見て、俺もだんだん腹が立ってきた。
いくらなんでも理不尽が過ぎる。奴の言い分はもっともらしいが……やはり、どうも、それだけとは思えない。大義名分を盾にされ、こちらだけ反撃を封じられているような気分だ。
「じゃあその舐めくさった言い草も、俺のためにやってくださってるんでしょうかね? そのわりに節々から私怨が透けて見えるんすけど」
あえてカマをかけてみると、パノプティコンはしん、と黙った。図星を突かれたのが半分、怒りが閾値を越えたのが半分といったところか。
「何が言いたい」
「どうも、あんたを信用しようって気になれないんすよね。立場がどうこう以前に、あんた俺のこと嫌いでしょ。その理由はなんです?」
「……」
パノプティコンは再び低姿勢に構え、小刻みにステップを踏み始めた。
「……7年前。フリーサイド・スピンドル」
再び吐き捨てるような声。
単語だけだが、意味は解った。フリーサイド・スピンドル、ヒュドラ・ピラーからもほど近い、東区有数の「お行儀がいい」地区だ。絶えずギャングが練り歩いてスリや強盗を掃除しているから、観光客も安心して出歩ける。
「私の姉さんはそこで死んだ。東区貴族の招待で、家族で舞台を観に行った時」
パノプティコンは独白のように続けた。
「休憩に席を立って、それから4時間後に見つかった。――心臓を引きずり出された死体になって、劇場の裏で雨ざらしになってた。犯人は今も不明。金目当ての誘拐ですらなかった。必ず見つけ出して惨たらしく殺す」
「東区で、殺人犯を? 藁山から針を探すようなもんだ」
「その辺のチンピラに、
ぶつぶつと呟きながら、パノプティコンがフルスロットル前の暖機運転めいてステップを踏み続ける。俺より頭一つ小さな身体から、金色の魔力が滲む。
「なーるほど。それで見つかんねぇから俺に八つ当たりしてんすね」
俺は言い放った。パノプティコンは無表情を憤怒に歪ませ、ヒュウと息を吸った。
次の瞬間、その全身から暴走ボイラーめいて魔力が燃え上がった。少なくとも魔力が激情の力というのは嘘ではなさそうだ。
「あんたも同類でしょ。さんざん殺してきて、抜け抜けと真人間面で冒険者をする気? ……それともほとぼり冷めたら東区に戻って、また金のために人を殺す?」
「俺の勝手でしょ。少なくとも人生を恥じて腹を切る気はないっすね」
「ふざけやがって」
「こっちのセリフだ。――クソッタレが、テメェの怨恨を俺に押し付けるな!」
俺は言い放ち、肺を狙う突き蹴りを仕掛けた。
パノプティコンは右手で難なく受け、カウンターのサイドキックを繰り出す。
速いが、直線。真似をして掌で受け流し、踏み込んでヘッドバットを叩き込む。お互いの額がパックリ割れて出血。型も何もない喧嘩殺法が逆に功を奏した。
「『東区』で十把一絡げにしやがって。俺はバックスタブだ。俺の人格、俺の人生、俺の意思に敬意を払え。そこを無視するならマジの戦争だ!」
「……お前のことなんか知るかッ! 興味もない!」
「雌犬!」
俺は罵倒を返した。
この女は俺という個を無視し、縁もゆかりもない恨みの捌け口にしようとしている。不快なフラストレーションがヘドロめいて煮えたぎるのを感じた。
思えばこれまでの人生、こうも逃げ道のない怒りを覚えたことはなかった。
舐めた真似をされても実害がないなら適当に流しておけばいいし、実害があるなら殺せばいい。全ては単純で、手っ取り早かった。あるいはこうした単純さが、今まで魔法が発現しない原因だったのかもしれない。
だが今〈
ならばどうする? 暴力でわからせるしかない。話し合いとか無抵抗とか、そういう腰の抜けた選択肢は存在しないのだ。
勝利条件はシンプルだ。マインドセットは終わった。
「反吐ブチまけろ、このアマ!」
俺は踏み込み、荒っぽいギャング・スタイルの前蹴りを出した。目の前の小柄な女の内臓を破裂させてやるつもりで。
……SWOOOOOOOOOSH!
そのときドス黒く粘着質な魔力が生じ、俺の脚にまとわりついた。
〈
「できたァッ!」
「……っ!?」
パノプティコンが目を剥き、紙一重でスウェー回避。振り上げた右脚が水に溶ける黒インクめいたエフェクトを残す。
そのまま踵落とし。パノプティコンはクロスした腕で
「来い! クソアマが、来い!」
「この野郎……ッ! 上等だ、このクソ野郎がッ!」
パノプティコンが拳を解禁し、爆発的なフットワークで殴り掛かってくる。
右ストレートを辛うじて防御した直後、腹に重い左ブローが刺さる。俺は込み上げる吐き気に耐えつつパノプティコンの側頭に肘打ちを入れる。直後に反撃のフックが俺の横面を打つ。頬が切れ、血の味。
「てめぇ!」
「調子に乗るなッ!」
血の混じった唾を吐き捨てる俺の前で、パノプティコンが頭から流れる血を拭う。
ステゴロは向こうが上。勢いで押し切るしかない。
俺はもう一度踏み込み、
だが、それは悪手だった。パノプティコンは凄まじい反射神経で蹴り足を掴むと、そのまま小柄な体格からは想像もつかない力で、巻き込むように俺を投げ倒した。
「がっは……!」
天地が逆転し、冗談のような衝撃が肺の空気を押し出す。
パノプティコンは一瞬にしてマウントを取ると、俺の顔面を殴り、殴り、殴った。俺は咄嗟にガードを固めたが、奴は構わず腕ごと殴り、殴り、殴り、腕をのけて更に殴り、殴り、殴った。
「――この野郎! この、このッ!」
パノプティコンは完全にキレていた。
奴は鉄外殻じみた外面も、訓練という建前もかなぐり捨て、感情を剥き出しにして怒り狂っていた。そして俺ごときの言葉でそうなっている事実自体が、奴を更に怒らせているようだった。
「……パノプティコンさん!? 何を……やめてください!」
気付いた他の冒険者が止めに入るまで、俺はグロッキーのまま奴に殴られ続けた。
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