フラムドール・オブ・ヴェンジェンス(4)

「見捨てられたな、お嬢ちゃん。その傷は喧嘩でもしたのかね?」

「黙れ」


 パノプティコンは切って捨て、周囲に浮かぶ人工眼球を整列させた。

 このゲイジング・ビットは古代文明の技術の結晶、複製不可能の古代遺物レリックである。かつて依頼で始末した密売人のアジトから押収したものだ。


 本来は脳と無線直結して視力を得るだけの無害な装置だが、スキルと念動魔法テレキネシスがそれを恐ろしい武器へと変えた。彼女はこれで四方八方から〈邪視イビルアイ〉を放ち、敵の動きを封じて蹴り殺すのだ。


「轢き殺してくれるッ!」


 レッキングボールが爆発的加速から体当たりを仕掛ける。

 パノプティコンは眉ひとつ動かさず、軽やかなステップワークで回避。すれ違いざま強烈な左ストレートを巨漢の脇腹に叩き込む。


 KBAM! 極まった強化魔法エンハンスが金色の炎めいたエフェクトを生じ、防弾鎧の装甲がナックルダスターの形に陥没。だがレッキングボールは怯まず反転し、鎖付き鉄球を振り回して投げつけた。


 DOOOOM! 鉄球が音速を突破。骨を砕き、内臓を弾けさせる一撃。

 しかしパノプティコンは動かず、念動魔法テレキネシスを集中――鉄球に込められた強化魔法エンハンスを強引に打ち消し、ファイアライザーの方に逸らす! サイコ・プッシュ!


「なるほど、やりおる!」


 しかしパノプティコンと同様、ファイアライザーも魔法に頼り切りではない。

 素早い側転アウーからの床移動ホレーで鉄球を避けながら回り込み、そこから鋭いメイアルーア・ジ・コンパッソを放つ。パノプティコンは片腕でガード。


「カポエイラか……!」

「Hoo-Ah!」


 片手逆立ち姿勢からの火炎放射、屋上を埋め尽くすフラクタル・ファイア。

 パノプティコンは念動魔法テレキネシスで炎を防ぎ、ファイアライザーを睨みつけた。その双眸、そして周囲の眼球群が病んだ金色の光を放つ。


 ――だが、ファイアライザーは止まらぬ。彼の周囲を守るように繁茂した炎の枝が、ゲイジング・ビットの前を遮り、〈邪視イビルアイ〉のオールレンジ攻撃を阻んでいた。


「……こいつ!?」


 パノプティコンが眼球を目まぐるしく立体機動させる。しかし火炎枝は鞭めいた俊敏さで移動先に追随し、なおも視線を塞ぎ続ける。

 何たる精密操作! ファイアライザーは意図的に炎を制御し、パノプティコンと18のゲイジング・ビットによる同時凝視を防いでいるのだ!


「貴様のことは聞いているぞ。〈邪視イビルアイ〉使いのパノプティコン」


 ファイアライザーが軽快にステップジンガを踏みながら言った。火炎の枝が右腕の動きに追随し、炎の蛇めいた軌跡を描く。


「体術、魔法、スキル、いずれも素晴らしい。その若さでよくぞここまで練り上げた。……だが、その若さが命取りとなる。実戦で物を言うのは経験よ」

「その顎を砕いて物を言えなくしてやる」

「ハハハ! 抜かしおれ!」


 ファイアライザーが跳躍、二段飛び回し蹴りアルマーダコンマルテーロ

 パノプティコンは初撃をダッキングで躱し、2撃目を左ストレートで相殺。そして膝関節狙いの反撃サイドキックを放つ。

 ファイアライザーは軽やかにバックフリップで回避。そこから逆回し再生めいた前宙で距離を戻し、報復の低姿勢上段蹴りエストブラードでパノプティコンの額を裂く!


「ち……!」


 流れる血を拭いながら、パノプティコンはビットを周囲に呼び戻した。


 極まった炎魔法、そして蛇が絡みつくようなカポエイラ・キック。敵はA級冒険者クラスの達人だ。〈邪視イビルアイ〉にこだわってマルチタスクを続ければ、いずれ必ず遅れを取ろう。小細工を切り捨て、体術で殺す!


「オォォォオオオオッ!」


 横からレッキングボールがタックル。パノプティコンはバックステップ回避。

 巨漢は反転しながら鉄球を振り回し、投げずにそのまま持ち手を緩めた。遠心力で鉄球の旋回半径が広がり、鎖が広範囲を一挙に薙ぎ払う。


「猪口才な!」


 パノプティコンは跳び、そのまま念動魔法テレキネシスで短く滞空した。

 念動魔法テレキネシス高等技、サイコ・リープ! 足元を鎖が通り過ぎる――だが、そこにファイアライザーが連続アクロバット側宙で肉薄!


「隙あり!」

「くっ……!?」


 床を円く切り抜くような水面蹴りハステイラがパノプティコンの着地際を刈る。仰向けに倒れた若きサイキック戦士に、ファイアライザーが右腕を向けた!


「焼け死ね!」

「舐めるなッ!」


 ファイアライザーの右手が爆炎を放つ。パノプティコンが念動魔法テレキネシスで防ぐ。

 魔法の出力は互角、互いに押すも引くもできぬ。だがファイアライザーにとってはそれで十分なのだ。彼はひとりではないのだから!


「今だ、レック!」「応!」


 レッキングボールが空高く跳躍し、空中で鉄球を振り回した。

 ファイアライザーが押さえている今こそ好機。上から叩き潰して殺す。


 彼が勝負を決める一撃を放ちかけた、その時――真下でガタンと音が響いた。


「?」


 レッキングボールは訝しんだ。

 屋上の天窓がひとつ半開きになっている。開けたのは誰だ?


 それを確かめようとするより速く、天窓から噴き出したタール状の魔力が、肉食粘菌めいて彼を呑み込んだ。


 ◆


 次の瞬間、レッキングボールは薄汚い路地裏にいた。

 立ち込める魔術排気スモッグ、汚水の臭い、ネズミの鳴き声。道幅は人ひとりがどうにか通れるほど。壁には黒いタール状の物体がへばりついている。


「……何だ!?」


 レッキングボールは身動きを取ろうとして、不随意的にガクリと膝をついた。

 何かがおかしい。全身にまとっていた強化魔法エンハンスの補助が消え去り、防弾鎧の重量が強烈にのしかかっている。再発動を試みるが、不発!


「何故――」


 SWASH! 瞬間、細身のダガーが首の後ろに突き込まれ、兜と鎧の隙間を貫通した。鋭い刃先が一撃で頸椎を切断し、レッキングボールの運動能力を奪う。


 それから間髪入れず、後ろから伸びた手がレッキングボールの兜を剥ぎ取り、後頭部に銃口を押し付け、引き金を引いた。

 BLAMN! 8ゲージ散弾が彼の頭を吹き飛ばし、呆気なく即死させた。


 ◇


「……〈必殺デスパレート〉。あの女に独断を責められるのは癪だが、貸しを作るのはもっと嫌だ」


 屋内。血と髄液に濡れたダガーをしまいつつ、俺は言い訳のように呟いた。


 外階段を降りる前、天窓の存在に気付けたのは僥倖だった。

 俺は一つ下の階に移った後、天窓がある部屋の錠を壊して侵入し(都合よく空部屋だった)、そこからレッキングボールにスキルを発動していた。射程距離ギリギリだったが、うまくいった。


 天窓から顔を出して様子をうかがう。屋上には使い手を失った鎖付き鉄球が所在なさげに転がっていた。


「レック!? ……奴め、逃げたふりか!」


 ファイアライザーが右腕から火を噴きながらバックジャンプ、即座に逃走に移る。


「つれねぇな、ライザーさん。もっと遊んでってくださいよ」


 BLAMBLAMBLAM! 天窓から身を乗り出し、『黒い拳銃ブラックピストル』を連射。

 ファイラライザーは鞭めいてマギバネ義手を振るい、1発目と2発目を弾く。だが3発目が装甲の隙間に飛び込み、ナパーム燃料の供給ホースを切断した。


 異常を感知した安全装置が作動、火炎放射器が動作を停止。たちまち炎の枝が勢いを失い、弱々しく萎れる。ファイアライザーが目を見張った。


 身内を敵に回したのが運の尽きだ。ファイアライザーの弱点は調べがついている。


 奴のフラクタル・ファイアは恐ろしく精密な火炎コントロールの産物。だが一瞬の隙が命取りの戦いで、そんな曲芸じみた技を常用するのは何故か? 

 それは奴自身が魔力量に乏しく、大規模な火炎を形成できないからだ。義手の火炎放射器も、炎を枝状に伸ばす技術も、全て量を出せない不利を補うもの。


 無論、ファイアライザーは炎なしでも強い。タイマンなら義手を壊したところで蹴り殺されておしまいだが――あいにく、今の俺はひとりではない。


「おのれ、得意の不意打ちか! してやられた……!?」


 ファイアライザーは屋上から飛び降りようとして、凍りついた。

 それは奴の意思による停止ではない。……無数のゲイジング・ビットが奴を包囲し、〈邪視イビルアイ〉を浴びせて逃走と防御を封じている。


「……気に入らない。無用な助太刀、それを許す自分の不甲斐なさ! ――何であれ、お前は叩き潰す!」


 起き上がったパノプティコンが魔力を練り上げ、ナックルダスターとステッキの柄頭を荒っぽく打ち合わせた。金色の炎のごとき魔力が噴き出し、小柄な身体が暴走ボイラーめいて煌々と燃える。


「――ッシャアアアアァァァァッ!」


 パノプティコンが叫び、爆発的な乱打を繰り出した。

 膝、肝臓、鳩尾、鎖骨、喉元に5連サイドキック。脇腹への左ボディフック乱打からのアッパー。胸板に前蹴り。ステッキの心臓突き。

 そしてくずおれるファイアライザーを念動魔法テレキネシスで掴み、振り回して、叩きつける。轟音と衝撃が放射状に広がり、砂煙を上げた。


「……逃げろって言ったでしょ」


 俺が天窓から這い出すと、パノプティコンは開口一番そう言った。


「離れろとしか言われてませんね。実際助かったでしょうが」

「減らず口」

「忌憚のない意見ってヤツです」

「ふん」


 パノプティコンは不機嫌に鼻を鳴らし、倒れるファイアライザーへと歩き寄った。


「ぐ……う……」


 ファイアライザーはまだ生きていた。咄嗟に強化魔法エンハンスで防御したか。だがこのざまでは戦闘どころか、歩くこともままならないだろう。

 

「ギルドに連行して尋問する。洗いざらい吐かせてやる……!」

「すいませんね、こっちも必死なもんで。辞世の句デスハイクを詠むなら今のうちっすよ」

「……ふ。はは」


 ファイアライザーが血を吐きながら笑った。


「やるな、ジョン坊。いや、バックスタブ。レックはどうした」

「あの世です」

「そうか」


 ファイアライザーが遠い目で息をついた。

 

 ……妙だ。ヒュドラ・クランの歴戦の勇士が、こうもあっさり諦めるものか?

 俺が違和感を覚えたその時――ファイアライザーが凶暴に口角を吊り上げ、壊れかけたマギバネ義手の指を動かした。


寒天さむぞらに/ふすぶ火の粉や/我が命/大火となりて/天に燃ゆらむ――お喋りが過ぎたな、青二才どもめが! ハーハハハハハ!」


 CLINK! 何かのピンが抜ける音。勝ち誇ったようなファイアライザーの哄笑。その服の下でジジジ、と燃焼音。義手の指先には細いワイヤー。


「ファック! 自爆装置!」

「は? ちょ……」


 俺はパノプティコンの腕を引いて駆け出した。

 猶予はどれほどある? 今のルートで正解か? 考えている暇はない。主観時間が圧縮され、視界がゆっくりと流れていく。


 ――次の瞬間、俺の両脚から黒いタールのような魔力が噴き出した。

 古代コンクリートの床を蹴る脚力が一足飛びに高まり、魔導車のアクセルをベタ踏みしたような加速が起こる。


(出た! 強化魔法エンハンス!)


 やはり俺は本番に強いタイプだった。パノプティコンとふたり、哄笑するファイアライザーの真横を駆け抜け、屋上を蹴って身を投げる……間に合った。


 KA-BOOOOOOOOOOM!


 コンマ数秒後、背後で爆発と火柱が上がった。

 おそらくは魔導サーモバリック爆薬。さらに爆発の熱量を火炎魔法ファイアマジックで増幅し、自分自身を焼き尽くしたのだ。屋上に残っていれば俺たちも死んでいただろう。


「畜生、死にやがった!」


 パノプティコンが毒づき、念動魔法テレキネシスで俺ともども軟着陸した。

 通りの家々の窓が開き、住人が何事かと顔を出す。すぐに騒ぎを聞きつけた南区の警邏や、冒険者ギルドの人間がやってくるだろう。


「生き延びただけ良しとしましょう。……あー、強化魔法エンハンス習っといてよかった」


 俺は様々なものに感謝した。人生万事塞翁が馬……さっきパノプティコンと殴り合いの喧嘩をしたことが、巡り巡って俺とこいつの命を救ったというわけだ。


 ◇


 家に帰る頃にはすっかり夜だった。ギルドの取り調べを受けていたからだ。幸い、往来での発砲や住居侵入についてはお咎めなしで済んだ。


 ファイアライザーの死体は骨片ひとつ残さず燃え尽きており、ヒュドラ・クランの内情を読めるような証拠は何ひとつ見つからなかった。

 因果応報と言うべきか、さすがの忠義者と言うべきか。何にせよ、死人をこれ以上責めることもないだろう。


「おかえり。お疲れ様」

「ほふぁえりー」


 庭ではフォーキャストとフラッフィーベアが布椅子に腰かけて焚火を囲んでおり、その脇では開きになった豚が磔でローストされていた。

 フォーキャストは火掻き棒で火加減を調整し、フラッフィーベアは一足先に焼けた肉を骨ごと噛み砕いている。


「いやぁ、大変な一日でした」「こいつのせいでね」

「ふふふっ。お肉もいい具合だよ、ちょうど」

 

 フォーキャストが微笑み、豚の背中あたりの肉を切り出して皿に取り分ける。


「はい、皮のとこ。一番美味しいよ。早い者勝ち」

「ん。……ほら」


 パノプティコンは皿を受け取ると、そのまま振り返って俺に差し出した。


「え?」

「何」

「ちょっと意外で。理由を訊いても?」

「……最低限のリスペクトってやつ」


 パノプティコンがぶっきらぼうに皿を押し付け、空いた布椅子に腰かけた。それを見たフラッフィーベアが目を輝かせて騒ぎ出す。


「えー!? パノちゃんがジョン君と仲良くなってるー!」

「黙れフラッフィー」

「こんな美味い肉は初めてです。焼き方が良いんすね」

「ありがと。また焼いたげるね」

 

 じりじりと燃える熾火を眺めつつ、俺はフォークで肉を食った。

 穏やかな時間だ。だが、もしあのとき奴らに気付かなければ、あるいは取り逃がしていれば、遠からずこの家がバーベキューにされていただろう。


(力が必要だ。それに情報も)


 俺は気を引き締め直した。

 ヒュドラ・クランは狡猾で、凶暴だ。警戒を怠って安穏としていれば、知らぬ間に足元を掬われ、死ぬ。自分の命運すべてを冒険者ギルドだけに委ねるのは御免だ。


「……そういえば、冒険者ギルドでも警備や調査をやってんですよね」

「今回の一件を見る限り、後手だけどね。組織としての統制は向こうが上だから。私も警備に出られないか、ギルドマスターに相談してるところ」

「それ、俺も参加させちゃもらえませんか」

 

 俺が提案すると、パノプティコンは憮然とした表情を見せた。


「は?」

「今日やったファイアライザーは、チャールズ派でも相当の実力者です。どうも、向こうさんの気合の入り方は尋常じゃないらしい。……隠れて後手に回るより、こっちから探し回って敵を釣り出した方がうまくいく気がするんすよ」

「それはいいけど。当のあんたの身が危なくなるんじゃないの?」


 まだ怪訝げなパノプティコンに対して、俺はひとつ肩を竦めてみせた。


「そこは、ほら。もうとっくに危ないですし、全員殺せばいいだけなんで。相談だけでもしてみてくださいよ」



(フラムドール・オブ・ヴェンジェンス 終)

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