ネームド・ナウ、バックスタブ(2)
冒険者ギルドの一階は雑然とした酒場のようだった。壁や床をレンガや木材で覆い、本来の主建材である灰色の古代コンクリートを隠している。
丸テーブルと椅子が並ぶ大広間には、食事をする冒険者が数人。その他、部屋の隅にパーテーションで仕切られた半個室席がいくつか。奥にはカウンター。
これは一種の伝統だ。歴史ある冒険者ギルドは大抵、大衆酒場が前身にある。
もともと冒険者は酒場によく集まる。そこのあるじがいつしか依頼の斡旋業を始め、やがて街を越えて酒場同士で連携するようになった。それが超国家規模のネットワークにまで成長を遂げたのが、今の冒険者ギルド組織だ。
「――おうおうおうおうおう! こんなひ弱そうなのが入ってくるなんざ、冒険者ギルドも舐められたもんだなぁ、おいっ! がははははははっ!」
入室した俺を見て大声で笑ったのは、スキンヘッドの大男だった。
上半身は裸で、ひどく酔っている。首からは冒険者の身分証明である、名前やら何やらを打刻した濃い灰色の金属タグ。テーブルには鎖付きの大斧が立て掛けられている。大型魔物とやりあうための武器だ。
(……チンピラか? 殺すか?)
反射的にそう考え、やめた。
ここが東区で、親父が生きていれば、即座に殺せと命じただろう。幹部であれ下っ端であれ、構成員への侮辱はクランそのものへの侮辱だからだ。
だが親父はもう死んだし、俺はもうヒュドラ・クランではない。このスキンヘッドはさっきの女ほどじゃなさそうだ。邪魔になったらそのとき殺せばいい。
「どうも、強そうなお兄さん。受付はどっちっすかね」
俺は穏便に尋ねた。大男はジョッキを呷りながら広間の奥を指さした。
「奥のカウンターに行きな。――覚えとけ、俺の名はスキンヘッドゴリラ! お前もせいぜいかっこいい
「……キャラ・ネーム?」
俺は疑問を覚えつつもテーブルの横を抜け、奥のカウンターへ向かった。
スキンヘッドゴリラは俺に興味をなくしたのか、グビグビとジョッキを呷ってガハハと笑っていた。結構なことだ。
「冒険者ギルドへようこそ~。依頼の持ち込みですか? 登録希望ですか?」
カウンターで受付をしていたのは、長髪を三つ編みにまとめた女だった。手慣れているのか、下世話な単語が飛び交う中でも人のよさそうな笑顔を維持している。
「冒険者になりたいんすけど」
「新規登録ですね。読み書きはできますか?」
「いえ」
「ではこちらで代筆しますね~」
俺が首を振ると、女は無数のキーと画面がついた板状の魔導機械を取り出した。
クイントピアの貴族や大組織は、こうした古代
「お名前は?」
「ジョン。名字はないっす」
「本名ですか?」
「東区生まれなんで」
「あっ……なるほど、苦労されたんですね~」
そこで何かを察したのか、受付の女はそれ以上聞いてこなかった。
実際、よくあることだ。東区には名無しのまま捨てられたり売られたりしたガキが大勢いて、そいつらはジョンとかジェーンとか凡庸な名前で呼ばれる。
ひとりひとりをいちいち区別する必要が薄いから、使う側としてはそれで不便はないのだ。そして十把一絡げに使われ、十把一絡げに死ぬ。よくある話だ。
「おいくつですか?」
「17」
「紹介状は?」
「ないっす」
「狩猟、採集、探索、または魔法の心得はありますか?」
「ないっす。……いや、人間相手の荒事なら、多少は」
俺が答えるたび、受付の女は手元を見もせずにキーを十本指で叩いていく。
それから冒険者ギルドの規則についていくつか説明と確認を行った後、入力を止めて俺に向き直った。
「それでは、最後に
「そういう決まりなんすね」
なるほど、東区ギャングの
「はい~。ギルドに帰属して仕事をする意志さえあれば、冒険者ギルドは身分も過去も問わない。そういう伝統なんです」
「素晴らしいことっすね。どんな名前でもいいんすか?」
「直感で大丈夫です。ただ、冒険者の看板みたいなものですから。基本的にずっとその名で呼ばれることになるので、じっくり考えることをお勧めしますね~」
「…………」
俺は首を傾げ、背中の革ケースに入った『ヒュドラの牙』に意識を向けた。
――名前は菓子の盛り付けと同じだ。中身を定義し、価値を与える。
前に親父がそう言っていたのを思い出した。親父は菓子を食う時は、一山いくらの安物だろうが必ず豪奢な盆に盛りつけていた。
安物のクッキーやキャンディーも、綺麗な盆に盛れば風格が出る。親父もかつては
最初は笑われた。だが、その名付けによって自分は一山いくらの名無しから、恐ろしきヒュドラ・クランの王となったのだ。親父はそう言っていた。
(俺はジョンから、何になれる?)
俺は足りない頭を絞って考えた。
何でもいいってわけじゃない。分不相応に大仰な名前はダサいが、かといって卑屈に縮こまるのも嫌だ。俺自身にも、周りの奴らにも、ストンとくる名前がいい。
たっぷり数十秒考えてから、俺は口を開いた。
「『バックスタブ』」
背後からの一刺し。不意を突いた必殺の一撃。油断ならぬ奇襲。俺にぴったりだ。
「俺は、バックスタブだ」
俺は繰り返した。
自分で決めた自分だけの名前は、案外しっくりと収まった。
「いいですねぇ。とても奥ゆかしくて、素敵だと思います」
受付の女はほっとしたように頷いて(よほど忠告を聞かない人間が多いのだろう)、また手元の
カウンターの後ろで魔導プレス機が動き、文字が打刻された白い金属片を吐き出す。受付はそれに細い鎖を通して、俺に差し出した。
「これがE級の冒険者タグです。お仕事中はこれを持ち歩いてください」
「E級?」
「冒険者のランク分けです。E級からスタートで、一番上がA級です。A級は今クイントピアに12人しかいないんですよ~」
「なるほど。……真っ白なんすね。前に見た冒険者のは黒っぽかったけど」
ふと疑問に思って、俺は尋ねた。
これまで会った――つまり殺したという意味だが――冒険者のタグはたいてい黒っぽい灰色で、たまにほとんど黒に近い奴もいた。ここまで白いのは見たことがない。
「それは多分、B級かA級の方ですね。ランクが上がるほど黒いタグになるんです」
「ああ、そういうシステムだったんすか」
つまりタグの色が濃いほどベテランということか。ひとり納得する俺に、受付の女が様子をうかがうような視線を向けた。
「では、今から細かい規則の説明をいたします。よく聞いてくださいね~」
受付は机の下から文字と絵が書かれた資料らしき紙を取り出し、読み上げ始めた。
◇
「……はい。これで手続は終わりです。依頼はそこの掲示板をご確認ください。武器屋・防具屋・道具屋は上の階にありますので~」
「どうもっす」
それから十数分ほど説明を受けた後、俺はカウンターを離れようとした。
まずは情報を集めて、これからのプランを立てなくてはならない。
「――おーい。デビューおめでとう」
そのとき、背後から聞き覚えのある声がした。
「……あんたは、さっきの」
「やっほ」
嫌な予感を感じつつ振り向くと、広間の隅の半個室席で、パン屋で会ったアッシュブルーの髪の女――フォーキャストがひらひらと手を振っていた。
テーブルにはさっき買っていたパンの山と、仲間らしき女の冒険者がふたり。
「……どうも、フォーキャストさん。バックスタブです」
「どーも。A級、フォーキャストです。……ねぇ、ちょっと顔貸してよ」
そいつらが下げたタグの色は、インクを塗ったような黒だった。
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