ネームド・ナウ、バックスタブ(1)

「おー寒い。風も寒けりゃ懐も寒いときた」


 冷たい風の中、売れ残りの菓子パンを齧りながら、俺は呟いた。


 ここはクイントピア南区。空気からは揮発汚水とスモッグではなく、パンと焼き菓子の匂い。墓石めいた高層建築ビルが立ち並ぶ東区と比べると田舎っぽい雰囲気だが、そのぶん空が広く、町全体が明るい。


 親父を殺した夜のうちに、俺はどうにか東区を出ることに成功していた。

 今頃クランの連中は血眼で俺を探しているだろう。だが幸い、この『クイントピア』はとにかく広い。名前通り、東西南北中央の5区画に分かれた巨大都市なのだ。



 『地に出づる/白亜の月や/王の城/分かつくに永久とこしえの街』――なにがしとかいう詩人が、かつてクイントピアを訪れて詠んだ詩だという。


 「白亜の月」とは街の中央区のこと。ここは巨大な白いドームに覆われていて、中がどうなっているかは誰も知らない。

 「四つ国」とはそれ以外、東西南北の4区のこと。それぞれの区には貴族がいて、独自の行政と司法を運営している。独立した4つの国がくっついているような具合だ。

 

 なぜ、ここまで広いのか? それはこの国が大昔に滅んだ古代文明の都市をそのまま継承しているからだ。本来の機能はほとんど止まっているそうだが、それでも路面や大半の高層建築はそのまま使えるし、上下水道も活きている。


 ここで生まれた人間は皆、一生に一度は数十階建ての古代建築ビルに家や店を構える夢を思い描く。親父もその一人だった……。



 話を戻そう。俺が今いる南区は、冒険者ギルドの勢力圏シマになっている。

 ギルドを仕切っているのは南区貴族の代表者、エルフェンリア・S・ワンクォーター。つまりチャールズがヒュドラ・クラン若頭の地位にいるように、南区では冒険者ギルドのトップが行政の最高権力者でもあるわけだ。


 東区では法も同然のヒュドラ・クランも、さすがに他区に大っぴらに部隊を送り込むことはできないはずだ。そんな真似をすれば区を跨いだ大抗争になる。それに加えて、もともと人の出入りが多い街だから、余所者が目立たず身を潜めるには好都合だ。


 ただ、問題は――。


「関所を通ったのはいいが、『通行料』でスカンピンとはね」


 ――生まれてこの方、俺は人を殺す以外の稼ぎ方を知らないということだ。


「家なし、親なし、手に職なしか。兄ちゃんかなりの訳アリと見えるな」


 屋台の横でパンをしがむ俺に、店主のおっちゃんがそう言った。


「そんなに頭使わなくていい仕事あるかな。手っ取り早いのがいい」

人夫にんぷやら何やらは北区だな。南区で手っ取り早いのっつったら……ほれ、あれよ」


 店主が指さしたのは、通りに面した10階建ての古代建物ビルだった。

 でかでかと掲げられた木の看板には「冒険者ギルド」の文字。中からは騒ぐ声が響き、服装に統一性のない連中がちらほらと出入りしている。


「冒険者ギルドねぇ……」


 正直、あまり気が進まない。

 仕事の内容がどうこうというより、冒険者ギルドにツラを覚えられたくないのだ。東区のヒュドラ・ピラーと同様、ここは南区の暴力組織の総本山。よそのギャング・クランの事務所と同じだ。ちょっとした路銀稼ぎに立ち寄るには、やや抵抗がある。


「冒険者の仕事って、魔物退治とか遺跡漁りとかじゃねぇのかよ。俺みたいなシティボーイに勤まるもんかね」

「ピンキリさ。何もドラゴンやリッチと戦おうってんじゃない。かくいう俺だって下水道のスライムだの大ネズミだのを駆除して、金貯めてこの屋台出したんだぜ」

「あー、それならガキの頃やったことあるわ。……おっちゃん、将来見据えてコツコツやってきたんだな。尊敬するよ、そういうの」

「ははは、兄ちゃんお世辞がうめぇな!」


 おっちゃんが大袈裟に肩を竦め、屋台のサーバーから熱い茶を汲んだ。


「ほれ、サービスだ。今日は冷えるだろ?」

「ありがとよ。このパンも美味いよ、チョコレート入ってて贅沢だ」

「チョコくらい今日び珍しくもねぇだろ」

「へー、やっぱ南区って裕福なんだな。――おっちゃん、客来てっぞ」

「おっと、いけねぇ! いらっしゃい!」


 おっちゃんが余所見をやめ、屋台の正面に向き直った。



「蜂蜜と、ソーセージと、チョコレートのやつ。あとラスクふたつ、よろしく」


 白い指で次々に商品を指さしていくのは、俺と同じくらいの年頃に見える女だった。

 野外用のトレッキングパンツとジャケット。背が高くスラッとしていて、それでいて出る所の出た体型。アッシュブルーのロングヘアに、謎めいた黒い瞳。


(すっげぇ美人だ)


 横目で見て、俺は素直にそう感じた。

 親父が侍らせていた高級娼婦と比べれば、目の前の女は大した化粧もしていない。

 なのに綺麗だ。熟練の工匠が手がけたオーダーメイド・ガンのようだった。


 だが――女はカラクリ仕掛けがゴテゴテとくっついた、禍々しい折畳み式の大弓を背負っている。服も魔物の毛皮を使った特別誂えで、胴や肩には裏地に仕込まれた鋼板の形がうっすら浮き上がっている。ほとんど鎧に近いニュアンスの物だ。


(冒険者。それも相当の凄腕)


 俺はそう結論付けた。


 冒険者と戦ったことは何度もある。

 南区の冒険者ギルドはギャングからの依頼受諾を禁じている。だが素行が悪くてマトモな依頼を受けられなくなった奴を始め、除名されて賞金をかけられるのを覚悟でギャングに雇われる冒険者は一定数いるのだ。


 俺はその全てを殺して生き延びてきた。だが、楽に勝てたことは少ない。


 高位の冒険者はいずれも熟練した魔法使い。人の形をした魔物のようなものだ。

 超自然的な魔法を行使し、銃弾を当然のように避け、手刀の一撃で人間を両断する。この女もその類に違いない。


(下手に顔を覚えられたら困る。ここは黙ってやり過ごすか)

「やっほ。寒いね、今日」


 俺が決心した矢先、女が俺に話しかけてきた。思わず顔をしかめそうになるのをこらえ、笑顔を作って向かい合う。


「ほんとっすねー、今年も熱いスープが美味い季節になってきました。……すいません、前に会ったことありましたっけ?」

「え? 初めてだと思うけど。……美味しいでしょ。ここの」

「そうっすねー」


 女の語り口はまるで取り留めがなく、いかにも友達とのお喋りといった調子だった。

 だがドラゴンが友好的に笑いかけてきたからといって、自然に笑い返せるものだろうか。俺は警戒を悟られないように細心の注意を払い、お喋りを続けた。


「チョコレート入っててさ。ラスクも甘いやつ塗ってるの」

「ガーリックじゃないんすね」

「うん。肉桂ニッケイ

「へ?」

「あ、違った。シナモン、シナモン。ふふふっ」

「あー……そうっすね、シナモン」


 女が中身ゼロの会話を続けながら、体が触れる一歩手前まで距離を詰めてきた。

 整った顔には余裕の笑み。光をほとんど反射しない黒い目が俺を見る。

 何なんだ。この女は何のために初対面の俺に話しかけている?


「兄ちゃん緊張しすぎだろ。見てらんねぇぞ……はい、どうぞ」

「さんくす。……ああ、そうだ」


 パン入りの紙袋を受け取ると、女は白い指先で自分を差した。

 

「――『フォーキャスト(未来予測)』」

「あ?」


 発言の意図を受け止めきれず、俺は反射的に聞き返した。


「名前だよ、私の。……それじゃ、後でね。待ってるから」

「え? は?」

「ふふふっ」


 女は自己完結したように上機嫌で笑うと、背を向けて通りを横切り、そのまま冒険者ギルドに入っていった――終始おかしな女だった。

 

「あの子、よく来るんだよ。美人だよなぁ」


 パン屋のおっちゃんが呑気に言った。


「待ってる、つってたよな」

「言ってたな。さっきの話聞いてたんだろ」

「話してた時にはいなかった」

「わかんねぇぞ。冒険者の中にはやたら目や耳が良かったり、生まれつき妙な力がある奴もいるって話じゃねぇか」

「……スキル持ちか」


 俺は少し考えた。

 あり得ない話ではない。生まれ持った力を活かそうとして、冒険者になるスキル持ちは多いという。実際、これまで殺した中にも何人かいた。


「ま、とりあえずギルド行ってみるわ。パンありがとよ」

「おう。金ができたらまた買いに来な」


 俺はおっちゃんに手を振って応えると、女を追うように通りを横切った。


「……」


 冒険者ギルドは脛に傷持つ人間であっても受け入れるというが、それがどの程度まで事実なのかは未知数だ。最悪、組織間の取引で南区まで敵に回る可能性もある。


 だがどの道、ほぼ一文無しの現状では南区から動きようがないのだ。あの女が俺の事情を何かしら掴んでいるのなら、放置はできない。

 どこまで知っているのかを探る必要がある。場合によっては口を封じる。


 俺はゆっくり呼吸して重い木のドアを開け、中に入った。

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