第7話 ヒーロー参戦
ウーリントヤと会話が弾みましたので、暗い森を行く心細さや石柱の不気味さにも慣れ、予定より道を急ぐことができました。しかし高い山に向かって進んでいるものですから、時と共に足元の傾斜はどんどんきつくなり、私たち二人を乗せる馬の歩みは重くなります。
この馬さん、もう疲れたのでしょうね。当然ですよね……館から川まで疾走して、森の中を長い間歩いたうえに、山を登り始めたのですから。ごめんなさい馬さん。私もお尻が痛いし、そろそろ自分で歩いた方がいいかしら。
そんな提案を口にしようとして、でもウーリントヤの毅然とした手綱捌きを信じるなら余計なことは言わない方がいい気もして、ぐるぐる逡巡するうちに。
ついに、行く手から光が差しました。木立の間から冷えた風が吹き下ろしてきます。
ああ、やっと森を抜けるのね。
何やらホッとした途端、今度は後方から荒々しい馬蹄の音が迫って来ました。
隊列に緊張が走ります。
いやだわ!あの髭面ったら、ここまでしつこく追って来たの?!
私はウーリントヤの腰に抱きつきます。
ヒューイィ!
ひときわ高い指笛が響きました。
恐る恐る振り返れば、細い道を駆けて来るのは一騎。恰好からして《東の騎馬の民》のようですが、頭に青い布を巻いています。
「大丈夫。あれは伝令」
ウーリントヤは落ち着きはらって告げ、道を譲るために脇へ寄ります。
ほどなく、真っ黒な馬と剽悍な男性が旋風のように駆け過ぎてゆきました。
「バヤルだ」
あら珍しい。彼女の声に、初めて色がつきましたわ。凛々しい表情は変わりませんが、後姿を追う目元がほんの少し甘いような?
私は思わず彼女の横顔を穴が開くほど見つめてしまい、ウーリントヤは眉をひそめました。が、彼女はさして気にすることなく、後ろの騎馬隊へ声をかけます。
「砦へ急ぐよ!」
私たち一行は疲労を振り切って最後の急坂を登ります。さすがに私も馬を降り、自分の足で登りました。馬も私もみんなも、ヘトヘトですわ。
やっとの思いで森の外へ出たときには爽やかな感動すら覚えました……ああ嬉しい。もう木も坂もありません。赤みを帯びた陽光が暗さに慣れた瞳を焼き、私は目を瞑りました。
ざあ……っ!
横殴りの冷たい風が私の髪を、レースの袖を、長い裾をなびかせます。
しばらく待ってからゆっくり瞼を開ければ、一面柔らかな草に覆われた緩やかな谷と、その向こうの険しい岩山、そしてその山肌にしがみつくように立つ家々が見渡せました。なんて素敵な眺めでしょう!
息を整えたら、また馬に乗るよう勧められました。ウーリントヤは馬首を巡らせ、森の端に沿って進みます。おかげで、私は飽きることなく雄大な景色を愛でることができました。
傾き始めた陽を浴びる草原は、風が吹くたびにざわざわと揺れます。あれは羊飼いの少年でしょうか。もこもこした羊たちを追い立てながら、小柄な人影が足早に村へ帰ってゆきます。建ち並ぶ家屋からは細い煙がいくつもたなびき、村人たちが往来する様子も伺えました。
そうそう、夕方って忙しないのよね。ミラもバタバタして機嫌が悪かったわ。
……ああ、そうよ。ミラ!
館での出来事がまざまざとよみがえり、私の心は千々に乱れます。
私はこうして安全な村に着きそうですが、ミラもヨハンもソフィーもライモンドも今頃どうしているのかしら。髭面は諦めて帰ってくれたでしょうか。心配を通り越して、考えるだけでゾッとしますわ。無事を祈ることしかできないなんて……辛い。
唯一館から持ち出せたバスケットを、後生大事に抱き締めます。
そのまま身動きもできず、私はただ、吹きすさぶ風に身を震わせました。
「着いた」
ウーリントヤに促されて顔をあげれば、まるで門のように二本並んで立つ巨石と、その間に挟まれた木造の高い建物が在りました。
これが「砦」ですの?
ポカンと見る間に、窓にも屋上にも巡らせた柵の内側にも、軽武装した《東の騎馬の民》がわらわらと出て来ます。そして彼らは目を丸くしている私を見つけ、口々に騒ぎ始めました。
「姫さまだ!」
「どこ、どこ?本物?!」
「うおお!すげえ美人!!」
野太い歓声に驚き、私は身をすくめます。すると、ウーリントヤがサッと片腕を開いて私を庇ってくれました。
「あんたたち、うるさい!姫さまが怖がっているじゃないか。サッサと持ち場に戻りな!」
まあ素敵!群がる男性たちを一喝して一歩も引きません。
すると柵の手前まで迎えに出てくれた年嵩のおじさまが、先ほどの伝令の肩を叩いて言いました。
「おお怖い。えらい嫁だなあバヤル」
「よめ?!」
私は思わず素っ頓狂な声をあげました。
さっきウーリントヤの声が甘いと思ったのは、大当たりだったのですね!私ったら冴えていますわ。
私はにこにこ微笑んでウーリントヤの服を引きます。
「ウーリントヤは結婚していましたのね。あの方は旦那様?」
突然ご機嫌になった私に、ウーリントヤは驚いて返事を詰まらせます。
「……ああ、まあ。チビも二人いる」
「お子さんもいるの?凄いわ!」
ウーリントヤは強くてカッコイイうえに、人生の大先輩なのですね!ひょっとして私よりずっと年上なのかしら?心から尊敬しますわ。
「私もこれから輿入れしますの。どうか助言をくださいな」
私が瞳をキラキラさせて乞えば、ウーリントヤは真顔で応えてくれました。
「男は前に立て、手綱はこちらが握る。それでうまくいく」(キリッ)
さすがですわ!がんばります。
「……だとよ」
先ほどのおじさまが笑い、
「違いない」
バヤルというウーリントヤの夫も、太い首を振りながら苦笑しました。そう言いつつ、嫌ではなさそうですね。
「姫さま、シャルル殿下、ようこそ。小汚いところですが、どうぞこちらへ」
おじさまの案内で、私たちは馬を降り、砦の中でひと息つくことにしました。
砦というのは確か、軍事拠点ですよね?裏に厩舎があり最上階が見張り台になっている「砦」は剝き出しの丸太で組まれた素朴で荒々しい建物で、一階は武器庫や待機場所、案内された二階は床に毛織物を敷いてその上に直接座ったり寝たりする休憩所になっているようでした。
馬を休ませると言い残して裏へ回ったウーリントヤたちと別れ、私とシャルル殿下は二階へ通されます。ここに在るもので精一杯用意してくださった上座に就くのは心苦しいわ。私の方こそ、皆さんにお世話されっぱなしなのに。
それでも、見慣れぬ文様が刺繍されたクッションに腰を下ろせば、ここまでの疲れがどっと出て、無性に寝そべりたくなってしまいました。いえいえ、馬に揺られていただけの私がだらけてはいけませんわ。……でも眠い。
「姫さま。お水をどうぞ」
やさしい声に促され、しょぼしょぼする目で振り仰げば、人好きのする笑顔のおばさまが二人、木の器と羊毛のショールを持ってきてくれました。ミラ、いえソフィーと同い年くらいかしら。やはり女性も生涯戦士なのね。
「大変でしたねえ」
「山は寒いのでこれをかけて」
「クッションをもうひとついかが?」
ああ……口々に話かけてくださるおばさま方の優しさが染みます。心の底から安堵しますわ。冷たいお水をいただけば、心身共に生き返るようです。
「ありがとう」
私はにっこり笑んでお礼を言い、隣で同じ歓待を受けるシャルル殿下にも微笑みのおすそ分けをしました。途端に、ぐったり丸まっていたシャルル殿下が背筋をしゃっきり伸ばし、微笑み返してくれます。ふふふ、小さくても紳士ですね。
頭に青い布を巻いたバヤルが、私たちの前に跪きました。
「さっそくですがご報告を。姫さまと殿下が脱出なされた後、しばし足止めの戦闘が続きましたが、ヴィクトル殿下が駆けつけ共に撃退してくださいました。奴ら帝都の方角へ逃げましたので、追手をかけています」
「あにうえが!よかった!」
シャルル殿下が手放しで喜びます。私は身を乗り出します。
「怪我をしたひとは?みんな無事なの?」
「怪我人は出ましたが死者はいません。ヴィクトル殿下もライモンド様もご無事で、館に残り指揮を執っておいでです。ただ……」
「ただ?!」
嫌な予感がします。
「姫さまの侍女が攫われました。ソフィーさまの方です」
ああっ!ソフィー!!
眩暈をおぼえ、くらりと傾く体をおばさま戦士が支えてくれます。
どうしてソフィーが!ソフィーをどうするつもりですの?!
「どうして、じじょをつれさったのです?」
口も利けない私の代わりに、シャルル殿下が話を進めてくれます。
戸口の方から険しい声が響きました。
「姫さまを差し出さないと殺すとか何とか言って、脅すつもりじゃない?あいつら、やることが山賊と一緒」
「これ!ウーリントヤ!」
どうやら砦の隊長らしきおじさまがたしなめます。が、ウーリントヤはどこ吹く風で伝令バヤルの後ろにどっかり座りました。
彼女は私の目をまっすぐ見据えて口を開きます。
「姫さま。しっかりして。あいつらの言いなりになっちゃだめ。侍女はライモンド様がなんとかしてくださるから、姫さまはとにかく早くハイランドの城まで逃げな」
勇敢なウーリントヤの瞳は怒りで燃えていました。
「そうですよ、ひめ」
シャルル殿下も、やさしい声で口を添えてくれます。
「あにうえもおられますし、きっとぶじにとりかえしてくれます」
私は震える身を起こし、ウーリントヤと向き合いました。彼女の熱く険しい眼差しが、私の中のなけなしの勇気を鼓舞します。
……そうね、怯えてばかりはいられないわ。ここは怒るところよ。いきなり押しかけて剣を振り回し、村人を傷つけソフィーを攫うなんて許せない。ハイランドの王城に着けば、聖王陛下に訴えてあの髭面どもを追討し罰することができるはず。確かにそれが私を逃がしてくれた人々の献身に報いる方法だわ。でも……。
いくらソフィーが賢く気丈でも、今頃きっと世にも恐ろしい思いをしているに違いないわ。八つ当たりされて酷い目に遭っていないかしら。ソフィーは何も悪くないのに……これは私のせいなの?私が逃げたから?そもそも私があのクズ皇帝の娘だからこんなことになるの?
自分を責める声は止みませんが……事実、私に選択肢はありません。
こみ上げる涙を堪え、私は震える声で答えます。
「わかりました」
そして一同を見まわし、頭を下げました。
「みなさん、ありがとう。お城までお世話になります」
漂っていた緊張感が緩み、温かな歓迎の空気が広がりました。……これでいいのよね?
さっそく隊長さんが若者を呼びつけます。
「チューラン。日が暮れる前に森を抜け、館のライモンド様に『姫は無事、村においでだ』と伝えろ。道々、伏兵がいないか確認しろよ」
「はい!」
がっしりした体格の若者は一礼し、青い布を受け取って足早に去ります。それから隊長さんはこちらへ頭を下げました。
「姫さま、殿下。ここにはろくな寝床がありませんので、どうか村まであと少しご足労願います」
「わかりました」
「ええ、構いませんわ」
「バヤル、ウーリントヤ。姫さまと殿下を村まで送り届けろ」
頼もしい夫婦が黙って頷きました。あら、仕草もタイミングもぴったり同じだわ。
そのとき、肩を落とす私に手を添えてくれたおばさまが声をあげました。
「ねえ、あたしも一緒に行っていいかい?男と若い子だけじゃ、気が回らないこともあるだろ」
「うむ……」
隊長さんは渋い顔です。
「ま、いいか。アマラ頼んだ」
「あいよ」
こうして、私たちはまた落ち着く暇もなく砦を後にしました。ここから私は一回り小さな驢馬に乗ります。なので、ウーリントヤは片手で綱を引き、もう一方で松明を掲げて歩くことになりました。
山の端が高いところにあるせいか、陽が沈むのがとても早いです。草原はもう薄闇の底に沈んで眠りかけていて、葉擦れと驢馬の首で揺れるベルの音、あとは乾いた道を踏みしめる蹄と靴の音しか聞こえません。
私はふかく嘆息しました。
ああこれで……散々な誕生日が終わるのね。長かったわ。そして酷かった。明日はどうなってしまうのでしょう。
今はとても疲れて眠いけれど、今夜は横になっても眠れないかもしれません。
神さま、聖竜さま、どうかソフィーを助けて。
夜の帳とともに現れた空一面の星々を仰ぎ、私は懸命に祈りました。
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