第6話 巡礼の道


 これは……どう受け止めればいいのかしら……?

 相手の事情を探るために読んだ手紙は、私をさらに混乱させました。

 現ノルトライン候はお母様の初恋の相手?で、将来を誓い合った仲だったのに前ノルトライン候や皇帝の横槍でその約束は果たされず、そうこうするうちに大切なお母様は世を儚んでしまい……お母様の忘れ形見である私のことをずっと探しておられた、ですって?私はド田舎でのんびり世捨てライフを楽しんでおりましたが?

 まあ、まさか皇帝陛下が娘を捨てるとは思わないでしょうから、王都や離宮のどこかを探しておられたのでしょうが。

 そこで今回、やっと所在を掴んだ私の下へ突然使者を送る無礼を許して欲しい、なんて……あの野蛮極まりない髭面は使者でしたの?!奴らは問答無用で剣を抜いて、私たちを襲ってきましたのよ?!襲撃そして人攫いは許せる「無礼」の範疇で済みますの?!それとも、北部の人にとって騎士に襲撃されることは日常茶飯事なのかしら?!

 ああ、だめです。どんどん感情的になってしまいますわ。

 先ほどまでの心細さが嘘のように、お腹の底からカッカと火が熾ります。

「……そろそろ出発していいですか?」

 軽装なのに勇ましい《東の騎馬の民》の末裔が、どんどん険しくなる私の顔をのぞきました。

「はい。参ります」

 私はきっぱりと答えました。

 やはりノルトライン候のお話は信用できませんわ。

 父である皇帝には捨てられ、母の知己らしきノルトライン候には攫われそうになり——もううんざりです!横暴な誰かに振り回されて、嘆くばかりの人生は嫌!私はお母様のように泣き寝入りなんてしません!!

 私の行き先は私が選ぶのです。私を欲しがる誰かの手中になど落ちるものですか!

 軽食のおかげか、怒りのせいか、体の奥から力が湧いてきました。

 腹立たしいばかりの手紙はミラのジャムと同じ籠に放り込み、シャルル王子の手を借りて、すっくと立ち上がります。

「ああ良かった。元気になって」

 再び馬上の兵となった女性が笑いました。

「巡礼の道は長いから」

 ……せっかく湧いてきた元気が、どこかへ飛び去りそうになりました。



 創世神に仕え、邪悪と混沌を払って世界を拓いた聖竜への信仰はとても古くから在り、北のシュバルツレーヴェ帝国や南のリスブロン王国がそれぞれ別の国教を定めた現在でも尚、たくさんの民が篤く崇めています。

 御神体は帝国と王国の境に伸びる長大なアルブレヒト山脈そのもの。あの青く美しい山々の底に、かの聖竜が眠っておいでなのですって。その証に、山上の澄んだ湖を底まで透かせば、まばゆく輝く聖竜の背が少しだけ見えるそうで——聖ハイランド王国はその《聖竜の湖》とそれを祀る神殿、そして巡礼に訪れる信者たちを守護するために在ります。

 今では街道や宿場が整備され、遥か高い山上の聖地への巡礼といっても旅行気分で出かけることができますが、かつてはこの険しい山を登る辛苦自体を「巡礼」と呼んで尊んでいたそうですわ。……話を聞くだけでも大変そうです。

「ま、あたしらは太陽神を信じているから関係ないけど」

 ずいぶん態度がくだけてきた女性騎手がサラッと言います。私は相変わらず彼女の後ろでぽくぽく揺られながら、目を丸くしました。

「まあ!いいのですか、それで」

 彼女たちは遠い東の果てから訪れた異民族の末裔……とはいえ、今は聖ハイランド王国の臣民なのでしょう?聖竜を守護する王国の民が、聖竜を信じなくていいの?

「聖ハイランドの王様は話のわかるお人なんだって。《長》が言っていた。だから王国は何百年も保っているそうだけど、実際、心の広い王様でありがたいよ。あたしらにはあたしらのやり方があるから」

 なるほど……祖先の生活や文化を守りたい彼らを定住させるには、彼らのやり方を認めるしかないということですね。でも、聖ハイランド王は聖竜信仰を護るお役目を負っておられるのでしょう?そこまで許していいのかしら?

 私が首を傾げている間にも、私たちを乗せたおかしな騎馬隊は河岸を急ぎ足で遡ります。やがて川の流れが激しくなり、ごろごろした岩が増えた辺りで、一行は暗い森へ踏み込みました。

「この森を抜けるまでは馬で行くけど、その先は驢馬に乗り換えるから」

「ロバに?どこにロバがいるのです?」

「着けばわかるよ」

 素っ気ないというか、飾らないのは彼女の個性なのですね。慣れれば清々しくて、女性ながら格好良い気さえしますわ。

 ここで、私ははたと大事なことに気が付きました。

「そう言えば、あの……ずいぶん遅くなりましたが、あなたのお名前は?」

「ウーリントヤ。夜明けの光、って意味」

「夜明けの光……素敵なお名前ね」

 ウーリントヤ。その不思議な響きが、ほんのひととき、心を遠い異国へ誘います。

 きっと、東の果ての草原には馬を操り駆け回る勇ましい女性たちがたくさんいて、ウーリントヤのように凛々しく逞しく生きているのでしょう。羨ましいわ。

「私はミーナローゼです。愛と薔薇なの」

「愛と薔薇?」

 ウーリントヤもまた私の名を気に入ってくれようです。

「さすが。似合っている」

 ニッ。ウーリントヤの口の片端だけを上げた力強い笑みに、不覚にも胸が高鳴りました。ど、どうしましょう。同じ女性なのにドキドキしますわ……。

 動揺して顔を逸らせば、まだ白昼なのに暗い森を身震いするほど冷たい風が吹き抜けてゆきました。私たちを導くのは、荒れ果てて消えそうな、もはや道とは呼べない獣道のみ。

 私はまた心細くなってウーリントヤに身を寄せます。

 そのとき、わずかな木漏れ日が途切れ、目の前に巨大な石の壁がそそり立ちました。

「!!!!」

 私は思わず、音を立てて息を吸います。

 ウーリントヤがからから笑いました。

「《巨人の森》だよ。ほら、左にも右にも、石に変えられた巨人たちがたくさん立っている」

 確かに!!大きく育った木々の間に、そんな大樹より背の高い石の柱がにょきにょき生えています。石灰色の表面に刻まれた黒い筋や凸凹の影がとても不気味。こんなことってあるのですね?!

「大昔、人間を狩って食っていた巨人たちを聖竜サマが石に変えたんだって」

「すごいですね!」

 さすがは聖竜さまですわ!そう言えば、あの岩、巨人の顔に見えるかも。

「——という話だけど、あたしにはただの大岩にしか見えない」

 ねえウーリントヤ、身も蓋もないことは言わないでください。御伽噺や神話は昔の人の知恵だったりしますのよ?

 ヒューィ。ヒューィ!

 聞き覚えのある指笛が森にこだまします。

 ヒューィ!!

 ウーリントヤが同じ指笛で応え、後続の騎手たちも次々に指笛を鳴らしました。

「挨拶さ。岩の上に見張り場がある」

 私のもの言いたげな気配を察したのか、ウーリントヤが逐一説明してくれます。

「山賊とか悪い奴らが入ってこないように見張っているんだ」

「そうなのですね」

 教えてくださってありがとうございます。何でも聞きたがってすみません。私、館の外のことはソフィーの話やライモンドの本でしか知らないの。

 本当に、お外は森も川も人も、驚くことばかりだわ。

 奥の茂みがガサリと鳴って、若い雌鹿が逃げてゆきました。



 もう追手の心配はしなくていいのかもしれません。

 時折指笛が鳴る森を粛々と進みます。

 見張りがいるということは、何かあれば援軍が来てくれるということですもの。張り詰めていた気持ちがちょっとだけ楽になりましたわ。あの居丈高な髭面騎士どもが背後に迫って来るなんて、悪夢以外の何でもありませんもの。

 無数に立つ大岩を避け、ひたすら細い道を辿る道中で、ウーリントヤはぽつりぽつりといろんな話を語ってくれました。

 山の暮らしは厳しいから、彼女たちは税を収める代わりに山麓の警備を担ってきたこと。聖ハイランド王国の住民は彼女たちが山を守っているから安心して暮らせること。ライモンドが帝国と上手に交渉して、私を養育する代わりにあの丘陵地を割譲してもらい、やっと、彼女たちは本格的に農耕を始めたこと。その恩を返すために、彼女たちは以前からあの館を警護していたこと。

「日中は畑仕事しながら余所者を見張っていたし、夜は交代で寝ずの番をした」

「それは大変ですね……私、知らない間にお世話になっていたのですね。今日も助けていただいてありがとうございます」

「いや、礼はいらない。これがあたしの仕事だから」

 ウーリントヤは、鼻を鳴らす馬の首を撫でて労わりながら話を続けます。

「館の煙突から色の付いた煙が出たら、全員で助けに行く約束だ。特に姫は穢れなき乙女だから、あたしがいの一番に駆けつけろって言われていた。間に合って良かったよ」

 ええ、心から良かったです。あの臭そうな髭面の汚い腕に捕まって連れ去られていたら、私、絶望のあまり本当に死を選んだかもしれません。

「それに、ちゃんと仕事すれば館の料理人が焼いたパンがもらえるんだ」

 突如ウーリントヤは振り返り、黒い瞳をキラキラさせて力説し始めます。

「あのパンは本当に美味いな!あたしもそうだけど、食い意地の張った連中はあのパンのためなら進んで仕事するよ」

「そうでしたの!良かった。ヨハンとミラのパンは絶品ですよね」

 ここで二人への誉め言葉を聞くなんて!私はしばらくぶりに笑みを浮かべました。

 ……パンに釣られて危険なお仕事していていいんですか、とは聞けませんし。

 昨日までの私の世界にはたった四人と私しかいなくて、私は世界から忘れ去られた存在なのだと思い込んでいました。でも本当は違ったのですね。近隣の村人全員が見守ってくださっていたなんて……とても嬉しいけれど、まったく知らずに暮らしていたことが申し訳ありませんわ。

 あの館に戻れるかどうかはわかりませんが、やはり皆さんに御礼をしなければ。

 そう伝えると、ウーリントヤは

「姫さまはいつか王妃さまになるのだから、そのとき優しくしてくださればいい」

 と言って微笑みました。

 私はまた、胸を突かれます。

 そうでしたわ。私は彼女たちを治める立場になるのです。ウーリントヤや彼女の村の人々の暮らしと居場所を護るのが私の務め——良き王妃になることを期待されて、私は守り育てられてきたのです。

 ……そんな大仕事、私にできるのかしら。急に不安になります。

 勿論、言葉遣いや行儀作法から始まって外国語やあらゆる教養まで、王妃になるための準備は抜かりなく学んでまいりましたわ。心構えもソフィアから口酸っぱく諭されました。でも、聞くのとやるのは大違い。私が下手を打てば平穏な暮らしを失ってしまう人々を目の前にして、まだ何もできない私が鼻高くふんぞり返ることなどできません。

 私は口をつぐんで、遥か行く先を眺めます。

 高く茂った梢の向こうに、石に変えられた巨人よりもさらに高く険しく、青きアルブレヒト山脈がただ静かに聳え立っています。

 そして、この細道は聖なる竜の御許へ参上する《巡礼の道》。

 終着点の聖ハイランド王城に入れば婚儀が待っていて、私は良き王太子妃に、やがて良き王妃にならなくてはなりません。

 災難続きで追い込まれて入り込んだ《道》だけれど、聖竜さまは私にきっちり《巡礼》を経て参れと望んでおいでなのかしら……?

 森の奥に木霊する鳥の低い鳴き声が、「そうだそうだ」と囃しているように聞こえました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る