第3話 聖域から来た王子
目を点にした私に凝視されて、幼い王子はやわらかな頬を紅潮させました。
「は、はじめまして!」
ギクシャクとぎこちなく、それでも元気いっぱいにご挨拶してくれます。
なっ……なんて愛らしいの!
反射的に抱きしめたくなります。私はこれまで子供と接したことがありませんでしたが、子供というのはこんなに愛情をかきたてるものなのですね!
うずうずしている私の内心など知らない王子は、カチコチに緊張なさったまま、話を続けます。
「ぼくは せいハイランドおうこく だいにおうじのシャルルともうします。きょうは あ、あにうえのみょうだいでまいりました!」
たくさん練習なさったのでしょうか。しっかりした聞き取りやすい口上です。ええ……なぜ名代が立てられたのか、名代がこんな男の子でいいのか、いろいろ気になりますが、シャルル王子がとにかく可愛いので全て許すことにします。
おまけに、
「おうつくしいミーナローゼひめに おあいできて こうえいです」
なんて付け加えて小さな胸を張っておられるじゃありませんか。すっかり小さな紳士気取りで、レディへの対応も万全ですのね? かーわーいーいー。
私はにっこり笑いました。
「こちらこそお目にかかれて光栄ですわ。わたくしの館まで遠路お越しいただきありがとうございます」
腰を屈めて目を合わせれば、シャルル王子は私の胸元をちらりと見て円らな瞳を輝かせました。……?気のせいですよね?
すかさず、王子のすぐ後ろに控える若い侍従が咳払いしました。すると王子はもう一度ピシリと姿勢を正します。
「あの……たいへんきょうしゅくですが さいしょにすこし いいわけをもうしあげてもいいですか?」
こんなに可愛い王子様に上目遣いでお願いされたら、イヤなんて言えません。私は頷きます。
「ええ、どうぞ。お伺いしますわ」
「あにうえはきょうを ほんとうに ほんっとうにたのしみにされていたのですが、じつは おととい ええと、シュバルツレーヴェのこうていへいかから おてがみがとどきまして」
「皇帝陛下から?」
私の眉根がぎゅっと寄りました。
またあのクズ父が何かやらかしましたの?!
私の怒気に怖じ気づいたのか、王子が口をつぐんでしまいました。いけない!私は慌ててとりなします。
「あら、ごめんなさい。これはこちらのことで……王子や聖ハイランド王国の方々に憤ったのではありませんわ」
ほほほ。笑ってごまかします。
シャルル王子は気づかわしそうに私を見つめ、それから視線を床へ向けました。
「こうていへいかは あにうえに いますぐていとへくるように……とおつたえになられたのです。こんなきけんなときに」
「危険?」
初耳です。驚いてライモンドを振り返れば、ライモンドは恭しく半歩進み出て口を開きました。
「申し訳ありません姫様。いたずらに心を乱されてはいけないと思い、お伝えしておりませんでしたが——実は先月、帝国北部の諸侯が連合し皇帝に叛旗を翻しました。その反乱は未だ鎮圧できておりません」
「反乱ですって?」
私は息を呑みます。しかしライモンドはかるく手を挙げて私を制しました。
「ご心配なく。ここはアルブレヒト山脈の山麓、帝国の最南端であり聖ハイランド王国とは目と鼻の先でございます。こちらまで火の粉がかかることはありません」
「でも帝都は——」
「帝都や宮殿は建国以来、無双と呼ばれる帝国兵が大勢で守っております。まさか、万が一など起きますまい」
ライモンドは口の端を上げて微笑みます。が、彼に育てられた私にはわかりますわ。この微笑は形だけ。何か懸念か、まだ隠し事がありますね?……後で問い詰めないと。
「ああ それで、ですか」
シャルル王子が口を挟みました。
「こんなときに あにうえをおちゃかいにさそうのは おかしいとおもったんです。その、ええと……のんびりしすぎ、ですよね?」
私は再び王子に向き直ります。
懸命に言葉を選ぼうとなさる様がいじらしいし、さすが王族ですわ。お小さいのに聡明な方です。
「ええ。そうですわ。反乱が起きているのにお茶会なんて、のんびりしすぎですね」
あのクズ父のことです。どうせきっと、宮殿の外のことなんてどうでもいいのでしょう。ならば、私も好きなようにさせていただきましょう。
私はシャルル王子を安心させるため、努めて穏やかに笑みました。
「事情は承知いたしました。皇帝陛下の仰せとあらば仕方ございませんわ……それはそうと、シャルル殿下。いつまでもこんなところで立ち話も何ですから、まずはお昼にいたしませんか?」
そう、なにしろ私は本日、生まれて初めて「高貴な客人をもてなす女主人」を務めるのです。練習台と言っては不敬ですが、手始めにこの可愛いお客様を存分におもてなししましょう。きっと楽しい経験になりますわ。
「この日のためにたくさんお花を摘んで、ブーケやポプリにいたしましたのよ。ベリーのケーキは私とミラが焼きましたの。当家自慢の料理人も、腕を振るってご馳走を用意しておりますわ。さあ、どうぞ。食堂へご案内いたします」
ケーキやご馳走と聞いて、王子の顔がぱあっと明るくなりました。うふふ、可愛すぎて撫で撫でしたくなりますわ。
私が思わず手を差し出せば、
「いいえ。エスコートはぼくが」
シャルル王子は一人前に胸に手を当てて深く一礼し、颯爽と手を伸べました。
「ひめぎみ。ぼくに おてをとるえいよをいただけますか」
きゃあああ可愛い!なのに素敵!! 胸がキュンと鳴ります。
「はい♪」
やだ、お返事が浮かれてしまいました。ソフィーの鋭い視線とミラの生温かい眼差しが背中に刺さって痛いわ。
私、もうシャルル王子と結婚してもいいかも。
ライモンドがそつなく先導し、私は王子に手を預けて食堂へ足を向けました。
そのときです。
いきなり表が騒がしくなり、馬蹄や金物の耳障りな音がこちらへ迫って来ました。
「姫様、奥へ!」
ヨハンが叫び、私を庇って玄関ホールの中央へ躍り出ます。
な、何事ですか?!
「殿下!こちらです!!」
とっさのことで立ち竦む私と王子を取り囲むように、聖ハイランド王国の騎士たち六名が円陣を組みました。
馬のいななき。恐ろしいどなり声。い、今……悲鳴が聞こえました?
怖い。手も足も、凍りついた様に動きません。
呆然と目を見開いたまま、開放的な玄関の向こうを見つめていたら——髭面の居丈高な騎士が多数の手勢を引き連れ、ずかずかと館に踏み込んできました。その手には抜き身の剣が無造作に握られています。
ジロリ。無礼な乱入者の遠慮ない眼が、私を捉えて値踏みしました。
「シュバルツレーヴェ帝国第五息女、ミーナローゼ姫ですな?」
ど、どなたですの?挨拶も名乗りもなく、失礼な!!
言い返したいことは山ほどあるのに——私は口も利けず、ただ震えるばかりでした。
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