アイリスが、瑠利子が、克実が、一瞬黙る。俺がなんと言ったのか、何を意味して言ったのか理解しているはずなのに、三人とも互いに互いの顔を見合わせて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「な、何をおっしゃっているんですか? 冬馬さん」

「そ、そーだよ、とーまぁ。ペアリングの課題の時だって、絶対飲ませてくれなかったじゃんかぁ」

「と、冬馬、くん。だ、ダメ、です。あ、諦めちゃ、ダメ。な、何か、何か、いい方法が、あります、からぁっ」

「は、早く、しろ。時間が、ない」

 こうしているうちにも、俺の血は、俺の体から流れ出しているのだから。だからもう、時間がない。もう俺の意思に関係なく、俺の血は勝手に溢れ出していく。そう思うと、俺の口は自然に動いていた。

「お、俺が、そう、したいん、だ」

 駄々をこねる子供のように首を振る三人に向かって、それでも俺は、頼むと言った。この吸血鬼三人娘には、酷な事を言っている自覚はある。しかし、時には相手の気持ちより、時には自分の気持を殺さず優先した方がいい時が、どうやらこの世にはあるらしい。

 俺にとって、それが、今だ。

「ぜ、全部、俺の、意思、だ。き、今日の、事は、ぜ、全部、俺の、し、したい、事を、した、だけだ。あ、アイリスを、庇った、のも、お、お前らに、お、俺の、血を、の、飲んで、ほ、欲しいの、も」

 そう言えば、血を吸われた達矢は無事だろうか? 加奈女の事も気になる。でも、悪いな、二人共。今の俺はお前たちよりも、こいつらの方が、気になるんだ。

 ……ああ、でも、最後に見るお前らの顔が泣き顔っていうのは、残念だな。

「こ、このまま、し、死ぬ、ぐらい、な、ら、お、俺、は、お前ら、と、い、一緒に、お、お前ら、の、血肉に、な、なりた、い。ど、どうせ、流れちまう、なら、お、俺の、血、は、お、お前ら、に、飲ん、で、欲しい」

 これがきっと、俺がお前らに出来る、最後の協力だ。もうお前らと話し合うことは出来ないかも知れないが、俺なんかの血でも、お前らがこれから生きる一助になってくれるなら嬉しいよ。別に、敵に塩を送る様な真似をしているわけじゃない。だってアイリスは、瑠利子は、そして克実は、俺の敵なんかじゃないんだから。だったら、最後ぐらい俺は、こいつらの味方で居てやりたい。その味方になるため、自分自身の血に、今まで苦労させられてきたこいつに白羽の矢を立てざるを得ないのは、どうにも妙な気分になるが、お前らの贄になるなら、俺は本望だ。

「……頼む、よ」

 俺の嘆願に、涙を流していた三人は、それぞれの宝玉の様な瞳に力を宿し、瑠利子は俺の右肩に、克実は俺の左肩に、そしてアイリスは俺の喉元に、手を伸ばした。

「おい、何をやっているっ!」

 その動きに気づいた『ペッジョーレ』の一人が、銃口を俺達に向ける。だが、それを止めたのはトラビスだった。

「いい、構わないよ」

「ですが――」

「川越冬馬の『血等』は、F-5。味がいいだけのカス能力さ。最後の別れに血を一飲みするぐらい、抵抗のうちにはいらないよ」

「能力のランクが、Fですか? そんな人間、実在していたのですね」

「まぁね。でも、これは見ものだぞ?」

「……何が、ですか?」

「決まっているじゃないか。能力はカスでも、味のランクは最上級。極上の血を飲んで、彼女たちは果たして、途中で飲むのを止められるかな?」

 そう言ってトラビスは、悪意を塗り固めたような表情を浮かべる。

「僕は、彼女達が川越冬馬の血を飲み干して、殺してしまう方に賭けるよ。自分たちで同級生を殺したのは、僕じゃない。彼女達だ。川越冬馬の血を吸い尽くし、殺し、その血の味で狂えば、きっと彼女たちは僕らの理想が正しいと、理解してくれるだろう」

 トラビスが何か言っているが、もう俺には何も聞こえない。今の俺が感じられるのは、近づく三人の息遣いだけだ。重なり合う吐息。躊躇うような彼女たちの指先が、俺の体の上を這い回る。まるで幼い獣が、初めて獲物に喰らいつく前に見せる逡巡みたいだ。どうやって噛み付いたらいいのか、わからないのだろう。しかし、噛み付くことだけははっきりとその遺伝子に、本能に刻まれていて、どれだけ迷おうとも、行き着く先は、訪れる未来は、変わらない。

 そしてついに、その時が来た。三つの口が、俺の首に迫る。甘い匂い。熱い吐息。開かれた口。覗く二本の鋭利な刃。それが俺の首に、皮膚に、肉に、優しく、そして甘い痛みを伴って、俺の中に入ってくる。

「な、何なんですの、これはっ!」

「あ、あーし、こんなの、こんな血、知らないっ!」

「す、凄い、と、冬馬、くん、す、凄い、ですぅっ!」

 戸惑いが混じっていたその吸血行動も、徐々に遠慮がなくなり、より無遠慮に、暴力的に俺の中を弄ってくる。

「ダメっ! ほ、本当に、これ以上は、わた、わたく、しっ! だ、ダメぇっ! 冬馬さんっ!」

「どーまぁ。あーし、も、もほぉ、ダメになるぅ! も、もほぉ、何も、がんえられなぃよぉっ」

「と、冬馬、くんっ、や、やめ、やめっ! んっ! やめ、ないと、いけ、ないの、にぃっ!」

 血を、飲まれている。命を、吸われている。けれどもトラビスに吸われた時の様な忌避感は感じず、むしろ彼女たちが俺の皮膚に触れる唇の熱と、恍惚に喘ぐ吐息の甘さに、俺は何故だか安らぎに似た感情を得ていた。

「あ、あははっ、あははははははははははっ! そうだ、その感覚が、人間の血に縛られているという感覚だ! 血に抗えず、自らの意志とは関係なく血を求めてしまう! それが誰の血であろうと、美味いと感じたら貪らずにはいられない! それが吸血鬼の性だ! その性から、僕たちは吸血鬼を開放しようと言うのだよっ!」

 トラビスがまた何か言っている中、俺は何度も何度も、彼女たちの牙に刺し貫かれる。俺の血が彼女たちの唾液と混ざり合い、溢れる上気した互いの吐息ごと、彼女たちが飲み干していく。朦朧とする頭の中、これがきっと、誰かと一つになるという事なのだろうと、俺はそう思った。

 しかし、その衝動に任せた野性的な営みも、終わりを迎える。

「いかがでしたか? 川越冬馬は」

「……ええ、美味しかったですわ」

 アイリスが俺を優しく地面に横たえ、口元を拭きながら、立ち上がる。それにあわせたように、瑠利子も克実も立ち上がり、口元を拭った。ように思う。もう、視界もぼやけてきた。聞こえる声も、音としては認識出来るが、意味を捉えることが出来ない。

「よろしい。ではご満足頂けましたようですので、僕らに――」

「いいえ、その必要はございません」

「そーそー! とーまを早くびょーいんに連れていかなきゃ、だしねぇっ!」

「い、今なら、ま、まだ、ま、間に合い、ます、からっ」

 トラビスの影が、動揺したように動く。

「……バカな。三人の吸血鬼に血を飲み干されて、そいつが生きているわけがない」

「わたくし達が、飲み干していれば、そうですわね」

「そ、それこそありえない! あいつの血に、あの味に抗えるわけがないっ!」

「いやーぁ、あーしもヤバかったけどねーっ!」

「も、もっと、ほ、欲しかった、です、けど、我慢、しました、から」

 トラビスの影が、一歩下がる。

「そんな……」

「……貴方には、永遠にわからないでしょうね。人間と、吸血鬼がつながるという事が、どういう事か。彼の血を飲んだわたくし達なら、わかりますわ。さ、どいてくださいませ。冬馬さんの血が、まだ彼が無事であると教えてくださったのですから」

「何を言っているのか、僕には理解できないが、でも、忘れてもらっては困るな! 自分が置かれている立場をっ! 僕らに従う以外、君たちに選択肢はないんだぞっ!」

「あら? 貴方こそ、冬馬さんの『血等』、その能力は、ご存知なのでしょう?」

「いやーぁ、ちょっと照れるよねー! これっ!」

「は、恥ずか、しい、で、です、けどぅっ」

「な、何を言っているんだ、君たちはっ!」

「つまり、こういう事ですの」

 そう言って、アイリス達は俺を庇う様に、トラビス達の方へと踏み出す。そして――

「恋する乙女は、無敵ですわ」

 言った瞬間、アイリスの、瑠利子の、克実の髪の毛の色が、血の色の変わる。『変態』したのだ。

 それにあわせて、トラビスの隣にいた影が動く。

「お前ら、無駄な抵抗は――」

 瞬間、その人影と、その隣にいた人影が吹き飛ばされていた。それを吹き飛ばした真紅の疾風は、サイドテールを揺らしながら振り返る。

「それじゃ、あーし、こーしゃの中のやつら、片付けとくよーっ!」

「ええ、こちらはお任せくださいませ」

 その言葉が言い終わる前に、紅の疾風が過ぎ去っていく。入れ替わりに発生したのは、赤い稲妻だった。

「こ、ここ、から、つ、通信遮断、を、し、している、方の、の、能力を、か、解除、させ、て、も、もらい、ますぅっ!」

 唐紅の雷は、『ペッジョーレ』のメンバーのインカムに絡みつく。瞬間、それが爆破した。フードを被る紅赤の雷帝に、誰かがつぶやく。

「ま、末端の端末から、ハッキングをかけたのか? そして、そのまま発動中の能力まで乗っ取った、だとっ!」

「み、皆さん、だけ、い、インカム、で、つ、通信、が、出来る、なら、さ、最終、的、に、お、大本、に、た、たどり、つ、着きます、から」

「さて、もう終わりましたわ。皆さん、ここで大人しくお縄についてくださいませ」

「……通信遮断を解除したのと、たかが二人倒したぐらいで調子に乗るなよっ!」

 そう言って、残りの人影がその手に何かを握る。だが、その全員の人影が、驚きで揺らいだ。

「ば、バカなっ! どうして僕の銃が壊れてるんだっ!」

「わたくし、言いましてよ? もう終わっている、と」

 そう言って彼女は、無数に伸びた鮮血色の髪を、自分の手足のように蠢かせる。それはここに居る、全ての影へと伸びていた。

「貴方がたが奥の手で懐に用意していた血液パックも、既に切断させて頂いております。どうするのが賢明なのか、聡明な貴方なら、おわかりになるでしょう?」

 その言葉に、ある人影は崩れ落ち、ある人影は手にしていた何かを地面に投げ捨てた。よく見えないが、どうやら最悪の状況は脱したらしい。

 それで気が緩んだのか、俺の意識は白一色に塗り替えられていき――

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