⑥
銃声が鳴り響き、誰かの悲鳴が校舎に反響する。反転した視界で映ったのは、絶叫を上げる瑠利子と、叫泣する克実と、そして、叫喚するアイリスの姿だった。
……ああ、お前ら、無事だったんだな。
それを見て俺は、今だけは自分が吸血鬼恐怖症で良かったと、心の底から思う。大量にかいた冷や汗のおかげで『変態』が解けた吸血鬼の拘束を抜け出せ、アイリスを押しのけれたのだから。つまり、俺はアイリスの代わりにトラビスに撃たれたのだ。撃たれたのだが、ああ、クソ、当たり前だが、死ぬ程痛い。痛いのに、痛いという事は頭のどこかで理解しているのに、全身に感覚がない。衝撃で、体が動かせないのだ。
「あ、あぁ、あぁっ! と、冬馬さん、冬馬さんっ! 何で、何で、どうして貴方がっ!」
俺の手を握るアイリスの手が、血で汚れている。血? 何で? ああ、俺の血か。俺が撃たれたのは、胸の部分だろうか? そういえばさっきから、胸どころか、肺を直接象の足に踏みつけられている様な圧迫感がある。でも象なんて実際はここには居ないから、この圧迫感をどかすことも出来ない。どかそうと手を動かすことも、俺には出来ない。でもその圧迫感より、俺はアイリスの手が、その白雪の様な肌が、血で汚れてしまうのが嫌だった。俺なんかの血で、こいつを汚したくない。
「あ、あははっ、あははははははははははっ! こいつは、こいつは傑作だ! いや、秀逸だ! 吸血鬼の身代わりになるだなんて、人間としては、随分褒められた行動じゃないかぁ、川越冬馬! いやはや、実に、実にいいっ! これで僕は、お前から受けた血の呪縛から開放されたわけだ! いい! いいぞぉ、実に、実に気分がいいっ!」
トラビスが俺を嘲笑し、嗤笑し、冷笑する。音を振動して鼓膜を震わせるその声が非常に不愉快で、俺は僅かに口を歪めた。さっきから言いたい放題に言われ続けてきたので、何か言い返してやろうと口を開くが、浅い呼吸音しか出てこない。
「冬馬さん、冬馬さん、冬馬さんっ!」
「う、嘘でしょ? とーま。ねぇ、とーまったらぁ! なんとかいえよーぉ! とーまぁっ!」
「い、いや、いやいやいやいや、と、冬馬、くん、いや、死んじゃ、いやぁっ!」
三人が、俺の名前を呼んでいる。吸血鬼のアイリスに抱え起こされているというのに、目眩も感じず、冷や汗も出ていない。いや、その症状が自分に出ている事すら、俺はもう感じる事が出来ないのだろうか? でも不思議と、あいつらに名前を呼ばれると、少しだけ活力が戻ってくる。力が湧いてくる。でも自分の身に起きた不思議なそれを、俺はどこか、消える前の蝋燭の炎の様だと感じていた。今にも消えそうなその一瞬、蝋燭の炎は、ぱっと輝くのだ。
「アイリス嬢。おわかりだと思いますが、この結果は、あなたが招いたものですよ? 今回は人間だったから良かったものの、次同じ様な事がそちらの吸血鬼のお友達に起こるかもしれません」
その言葉に瑠利子と克実の顔が恐怖で歪み、アイリスはトラビスを憤怒の目で睨むも、他の二人と同じく、その目が徐々に恐怖の色で染まっていく。馬鹿野郎。お前らがそんな顔、する必要なんてないというのに。
「さぁ、聡明なるアイリス嬢。ご自分がどうなさるべきか、おわかりですね? 僕らの言うことに、従っていただきます」
「……わかったわ。その代わり――」
「ええ、もちろん、そちらのお友達に僕らが手を上げるような事は、決していたしません。それでは、僕らについて――」
「ま、待て、よ……」
蚊の鳴くような声だが、どうにか俺の口から言葉を捻り出す事に成功した。俺は握られたアイリスの手を、文字通り、全身全霊、もう俺の傍から二度と離れられない様に、握り返す。でも、その俺の力は、実は大したことはなかったようだ。握り返されたアイリスの力の方が、明らかに強い。
「冬馬さん! 喋らないでください! 傷が――」
「さ、最後に、こ、こいつらと、この、四人と、話が、したい……」
アイリスの言葉を遮り、俺は言葉を紡いだ。一方アイリスは、酷く怒った様な、それでいて悲しんでいる様な表情を浮かべている。その瞳は、涙で濡れていた。
「バカな事を! 縁起でもない事、おっしゃらないでくださいっ!」
「悪いが、僕らがキミごときの願いを聞き届けなければならない理由なんてないな」
鼻で笑うトラビスに、なおも俺は懇願する。
「た、頼む」
……ああ、クソっ。周りの音より、自分の声より、自分の心音の方が大きく聞こえる。呼吸が上手く出来なくて、声も上手く出てこない。それでも今は、なんとか絞り出すしかない。もう、時間がないかもしれないんだからっ。
「ぜ、脆弱な、人間の、さ、最後の。頼みぐらい、その頼みを、き、聞き届ける、ぐらい、の、余裕は、こ、高貴な、吸血鬼、サマ、なら、も、持ってるだろ?」
黙り込むトラビスに、俺は再度哀願する。今俺が持ち合わせている交渉材料は、弱い自分しかない。哀れに振る舞え。慈悲を乞え。あいつらと話すためなら、何でもやる。
「た、頼む、よ……」
「……五分、いや、三分だけだ。ただし、不審な行動をした場合、アイリス嬢以外の命はないと思え」
「あ、ありが、とう」
「ふんっ! あの世で僕の慈悲に咽び泣け。おい、そちらのお嬢様方を開放して差し上げろ」
「とーま! とーまぁっ!」
「と、冬馬、くんっ!」
瑠利子と克実が、泣きながら俺に駆け寄ってきた。その向こうでトラビスが、インカムで誰かと話をしている。恐らく、教室に残してきた部下に撤収の指示でも出しているのだろう。やはりもう、時間がない。
「い、いい、か、よく、聞け。お前らに、最後の――」
「だから、その様な事はおっしゃらないでくださいませっ!」
「そ、そーだ! また、また皆で一緒にお菓子、食べよぉよぉっ!」
「わ、私、ま、まだ、冬馬、くん、と、げ、ゲーム、し、して、ないん、ですから、ね? し、死んだら、ゆ、許しま、せんよっ!」
「い、いいから、聞、け。こ、声を、小さく、しろ」
それでも俺に向かって何か言い続ける三人に構わず、俺はそう言った。本当はもう、こいつらが何を言っているのか、殆ど理解できない。だから俺から一方的に、要件を伝えざるを得ないのだ。
俺は陸地に打ち上げられた魚のように喘ぎ悶ながら、それでも仲間に向かって、こう言った。
「俺の、血を、飲め」
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