アイリスが、やってきた四人に対して、腕を組みながら問いかけた。

「それで? この中で、どなたが『ペッジョーレ』のボスなのかしら?」

 アイリスの言葉を聞きながら、俺は自然と内ポケットのそれに手が伸びる。ペアリングの課題解決のための奥の手として、ずっと用意してきたが、今回これを使うことになるかも知れない。正直、日の目を見る事がないのが一番いいし、俺の心情的にも、使わないのが一番だ。だが、今の状況は、そんな事を言っていられる場合ではない。

 アイリスが、再度問いかける。

「どうしましたの? まさか、口がきけないわけじゃありませんよね?」

「そんなに慌てなくても、今から自己紹介させて頂くよ」

 そう言って、他の四人と同じ格好をしたそいつは、校舎の中から現れた。それは、五人目のテロリスト。

「『ペッジョーレ』のトップを務めているのは、僕さ」

 そう言った男の吸血鬼を見た瞬間、俺は両手で口を抑えて、武道館の裏へと顔を引っ込める。

「と、とーま?」

「だ、大丈夫、です、か? と、冬馬、くんっ!」

 瑠利子と克実の声が、遠くに聞こえる。目眩で目の前が真っ白になり、冷や汗が滝のように流れ落ちた。『ペッジョーレ』が学校に現れた時以上の衝撃に、俺は震えが止まらなくなる。まさか、と思うものの、俺があいつの姿を見間違えるはずがない。俺はもう一度、武道館裏から顔を覗かせる。

「はじめまして、アイリス嬢。僕の名前は、トラビス・E・バウマン。以後お見知りおきを」

 そう言って、白髪の吸血鬼は、鈍色の瞳をしたそいつは、アイリスに向かって一礼した。あの髪も、あの瞳も、変わっていない。記憶の中のアイツが成長したら、こうなるだろうという姿、そのものだ。

 トラビス・E・バウマン。かつては俺と同じ幼稚園に通っていたそいつは、当時俺の血を吸い尽くして殺しそうになり、俺を吸血鬼恐怖症にした、張本人だ。

「ふんっ! テロリスト相手に、今後付き合う予定はありませんわ。そんな事になったら、とてもわたくし、お父様とお母様に顔向けできませんもの」

「いやはや、僕たちの間には、これはなんとも大きな認識の違いがあるようですね。アイリス嬢だけでなく、ご両親共に」

「……なんですって?」

 紳士的でありながらも、言葉に含みをもたせるトラビスの言い様に、アイリスの視線が鋭くなる。

「貴方、わたくしのお父様とお母様に何かしましたの?」

「いいえ、何もしておりませんよ。今の所はね。それよりアイリス嬢は、とても人望がお有りのようですね」

「……何の話です?」

「なんのって、隠れてこちらを伺っている御学友の事ですよ」

 爽やかに笑うトラビスとは対象的に、アイリスは驚愕の表情を浮かべる。

 ……どうしてトラビスに俺達の事がバレたんだ? あいつの髪は、まだ白髪じゃないかっ!

 吸血鬼が『変態』すれば、その髪の色が血色に変わる。しかし、トラビスにも、先に出てきた四人にも、そういった変化は見られない。

 驚くアイリスの顔を見て、トラビスの笑みが濃くなる。

「そんなに驚いて頂けるとは、僕らも信念を曲げてブタの血を啜ったかいがありましたよ。ちょうど、耳が良くなる血袋があったので、一口だけ頂いたのです」

 ……達矢の事かっ!

 そう思うのと同時に、俺は地面に組み伏せられ、銃を頭に突き付けられていた。地面にぶつかった拍子に口に入ったのか、土と砂利の味がする。瑠利子と克実に視線を送ると、『変態』した吸血鬼に俺と同じ様に捕まっていた。俺を押さえつけている奴も、恐らく『変態』した吸血鬼だろう。最悪に最悪が重なり、体調が悪すぎて、『変態』した吸血鬼の接近に気づけなかったのだ。俺達三人は、引きずられる様にして、トラビスの前に運び出される。

「そうそう、血袋に口をつける時、一人同胞に反抗されてしまいましてね。ああ、ご心配なさらずとも、殺しはしてませんよ。少し小突いただけです。と、言っている間に、ご友人たちのご到着ですね」

「と、冬馬さん! 皆さんっ!」

 俺達の姿を見たアイリスが、悲鳴に近い声を上げる。それを聞いたトラビスは、驚いた様な表情を浮かべた。

「何? 冬馬、だって? まさか、お前、川越冬馬かっ!」

 俺の存在に気づいたトラビスが、両手で頭を抱えて、狂ったように笑い始める。

「あ、あははっ、あははははははははははっ! そうか、まさか、まさか貴様と、こんな所で再開できるとはなぁっ!」

 紳士面をかなぐり捨てて、トラビスは血走った目で頭を掻き毟りながら、俺を睨んだ。

「お前が、お前が僕を、お前の血が僕を狂わせたんだ。お前の血がいけないのに、お前の血が、あんな、あんなに美味しかったから、僕はお前を殺しそうになって、パパやママからも捨てられてぇ! だから、だから僕は、お前がだいっきらいだ! 僕を狂わせた人間の血なんて、滅ぼしてやるって決めたんだよぉっ!」

 トラビスの罵声が、俺に浴びせかけられる。こいつが俺の事を覚えていたのも意外だが、それ以上に、トラビスもあの日以来、俺の血を吸って以来、自分の人生が変わっていたという事実が、俺には衝撃的だった。

 あの日、歪んでしまったのは、俺だけではなく、トラビスも同じだったのだ。そして、その原因は全て、俺の血にある。

 俺に流れる血が、吸血鬼にとって美味くなければ、トラビスもこんな風にならなかった。トラビスは、人間を滅ぼそうだなんて考えなかったし、テロなんて起こさなかった。この学校だって占拠されなかったし、達矢は血を吸われず、加奈女も怪我も負わずに済んだのだ。アイリスも、瑠利子も、克実も、テロリストと向き合う事なんてなかった。

 全部、俺のせいだ。俺の血が、今のこの状況を作ってしまっているのだ。俺さえ居なければ――

「それで、結局わたくしへの話というのは、一体何なのです?」

 自己嫌悪に陥る俺とトラビスの間に、一人の吸血鬼の少女が立った。彼女は俺を一瞥すると、すぐにテロリスト達へと向き直る。

「話がないのでしたら、もうお帰りになって頂きたいのですが?」

「……これは失礼いたしました、アイリス嬢。僕としたことが、取り乱してしまったようです」

 そう言ってトラビスは、乱れた自分の髪を整える。

「僕たちの話は、至ってシンプルです。アータートン社、つまりアイリス嬢のご両親に、僕らの活動を支援して頂きたいのです」

「……そんな事、お父様とお母様が了承なさるわけないでしょう?」

「ええ、僕らの頼みなら、そうでしょうね。ですが、あなたの誠心誠意を込めたお願いなら、どうでしょう? 無論、必要であれば、僕らがそれを代行するのもやぶさかではありませんがね」

「……早い話が、わたくしを人質に、身代金をせしめようという魂胆なのですね」

「とんでもございませんっ!」

 トラビスは、さも心外だとでも言うように、大きく腕を振り、オーバーリアクションで自らの悲しみを表現した。

「僕らはただ、一人でも多くの同胞に僕らの思想を理解してもらいたいだけです。僕ら吸血鬼は、人間の血に囚われています。時には、より強い力を欲するために、時には、その麻薬のような味を求めるために、吸血鬼は人間から離れる事が出来ない! 本来、僕ら吸血鬼は、もっと自由な存在だったはずです。僕らは、人間という血の呪縛から解き放たれるべきなのですっ! そのために、人間を絶滅させるためには、アータートン社の協力が必要不可欠なのです! 金銭的なものだけではございません。先日発表された、人工血液の開発! あれこそ、まさしく我々吸血鬼の叡智の結晶! 血でつながっている人間と吸血鬼の関係を断ち切れる、福音の刃なのですっ! ですから、人工血液の開発に成功した暁には、それを是非、僕ら『ペッジョーレ』に――」

「バカじゃありませんの?」

「……今、なんとおっしゃいましたか?」

「バカじゃありませんの? と申し上げたのです」

 俺からは後ろ姿しか見えないので、アイリスがどんな表情を浮かべているのか、想像する事しか出来ない。出来ないが、今は間違いなく、彼女は侮蔑の表情を浮かべているだろう。

「色々と御高説頂きましたが、あなた、言っている事と、やっている事が、バラバラではありませんか? 人間からの血の開放を謳っているくせに、今日あなた方は、わたくしの同級生の血を飲まれています」

「ですから、あれはあなたを見つけるために必要な事だったのです。僕もしたくはありませんでしたが、大事の前の小事でしょう?」

「なら、この学校に『変態』してやってこられたのは、どういうわけなんでしょう? 人間の血を飲んだのでしょう?」

「違う! あれは血液パックだっ! 人間から直接飲んだわけでは――」

「結局は人間の血じゃありませんか。あなた方の方が、自分たちの活動を、人間の血に縛られているように、わたくしには見受けられますわ」

 それを聞いて、俺は幼稚園でアイリスの言っていた言葉を思い出していた。

 

『人間の撲滅を謳っているくせに、『変態』して自分たちの力を誇示するために血液パックを狙うだなんて、自己矛盾にも程がありますわ』

 

 ……そうか。最近、血液パックを狙っていたのは、『ペッジョーレ』だったんだ。これで、通信遮断の有効範囲が狭い理由もわかった。血液パックで『変態』すると、その能力は十分の一、下手すると、もっと少なくなる。なら、俺と瑠利子、克実を拘束している吸血鬼の『変態』も、もうすぐ解けるはずだ。

 黙り込んだトラビスへ、アイリスがなおも正論を浴びせる。

「それに、簡単に人間を絶滅させるとおっしゃっておりますが、吸血鬼同士の子供であっても、祖先に人間の血が混じっていれば、人間の子供が生まれる事も当たり前に起き得ますわ。あなた方、自分の子供が人間だったら、その子を殺しますの?」

 テロリスト達の間に、動揺が走る。それ以上正論でトラビスを刺激するのはまずいと思ったが、俺が止める前にアイリスは言葉を紡いでいた。

「そもそも、わたくしは人間と吸血鬼の関係が、血だけで結ばれているとは思いませんわ。貴方がたの手にしている銃だって、元は人間が作ったものでしょう? 今の世界、人間が関わっていないものも、吸血鬼が関わっていないものもありませんわ。この世界は既に、人間と、そして吸血鬼の想いがつながったもので、溢れているのです」

 だから無理です、とアイリスは言った。

「両者の想いは、言葉を介して、この世界で永遠につながっていくものです。例えば、ですが」

 アイリスはテロリスト達に臆することなく、優しく語りかけていく。

「ある方(一人の人間)は、何かを成したいと願った吸血鬼(私)に、手を差し伸べてくださいました。ある方(一人の人間)は、自分の居場所が欲しいと願い、また、誰かとのつながりを求める吸血鬼たち(わたくしの友達たち)に、手を差し伸べてくださいました。そしてその方は、まだ将来、自分が何者になるのか定めきれず、けれども必死に未来に向かってあがきながら、もがきながら、そして、吸血鬼(わたくし達)を怖いと言いながらも、嫌ってはいないからと、敵ではないからと、彼はわたくしに自分の傍に居ろと言ってくれました。一人にしないと、言ってくださいました」

 だから――

「わたくしは、そんな彼を、人間を信じています。わたくし達吸血鬼と、人間の関係は、ただの血液だけではなく、心と心で結ばれているのです。ですから、人間を滅ぼすだなんて――」

「もう、いい」

 そう言ってトラビスは、懐から銃を取り出した。

「アイリス嬢が多少しおらしくなっていた方が、ご両親もお話を聞いてくれやすくなるでしょう」

 そして、ためらいなくアイリスへ銃口を向け――

「混血鬼風情が、粋がるな」

 引き金を、引いた。

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