第四章

 自分のクラスから体育館への移動中、俺はどうにも落ち着きがなかった。今日は、二学期の最終日。内ポケットに手を当てると、俺は小さく溜息を付いた。習慣とは怖いもので、今日も今日とて貧血になりながら、俺は終業式に臨んでいる。

「相変わらず顔色が悪いな、冬馬」

「……そういうお前は、どうなんだ? 達矢。自分の通知表を見て、顔を青くするんじゃないのか?」

 クラスメイト達と歩きながら達矢に軽口を返していると、加奈女が苦笑いを浮かべながら話しかけてくる。

「達矢の成績も心配だけど、冬馬は結局、ペアリングの課題、大丈夫だったの?」

 そう言われると、残念ながら大丈夫だと言い切れる自信がない。なにせ、最終課題をこなした幼稚園での後半の記憶が、俺にはさっぱりないからだ。アイリスと瑠利子は絶対大丈夫だと自信満々で、克実は俺と同じく合否がどうとか言えるような状況ではなかった。幼稚園から死ぬ思いをして帰宅した後、俺は金指先生に完了報告をしたのだが、最終結論は通知表を渡す今日の放課後に伝えると言われ、結果をまだ俺達は教えてもらっていないのだ。

「た、多分大丈夫だと思うが」

「気にしてたって仕方がねぇって! 来るもんは来るんだしな」

 目眩と冷や汗を拭う俺に、達矢が能天気そうな声を掛けてくる。

「そんな辛気臭い顔してたら、受かるもんも受からなくなっちまうぞ? 冬馬。せっかくの終業式だってのに」

「……随分はしゃいでるな、達矢」

「当たり前だろ? なにせ明日からは冬休みだぜ? それに、今日は十二月二十三日、クリスマスイブイブじゃねぇか。そんな顔じゃ、サンタからプレゼント、もらえねぇぞ?」

「今年俺は配る側で、もうその役目は終えたんだよ」

 ……俺はサンタじゃなく、トナカイ(耳だけ)だったけどな。そんな事より――

「達矢、お前、クリスマスイブのイブって意味、知ってるか?」

「は? クリスマスの前日がクリスマスイブなんだから、前の日とか、そういう意味だろ」

「違うよ」

「え、そうなのっ!」

 加奈女が驚きの表情を浮かべた。俺は頷き、吃りながらも話を進める。

「く、クリスマスイブのイブは、イブニング(evening)の語源である、イブン(even)からン(n)が取れて、イブ(eve)になったんだ。キリスト教だと、一日は夕方に始まって翌日の『夕方(evening)』に終わる。だから十二月二十四日の夜は、クリスマスイブ(クリスマスの夕方)と言うんだ」

 そして時代が移り変わる中で、家族や愛する人と一緒にクリスマスの朝を迎えるという事で、クリスマスイブが重要視された。それでも、あくまで大切なのはクリスマス(十二月二十五日)であって、クリスマスイブ(十二月二十四日)ではない。

「つ、つまり、クリスマスイブイブなんて日は、存在しないんだ」

 そう言うと、達矢は腕を組み、口をへの字に曲げている。

「冬馬。今の話し方、学年主任の金指先生みたいだったぞ」

「あ、確かに似てたねっ!」

 加奈女にも賛同され、俺は引き攣る笑いを浮かべながら冷や汗を拭う。あのクソ教師と似てると言われるだなんて、心外だ。

 しかし、クリスマスイブのイブの使い方を間違えていたとしても、付き合っている二人は幸せそうに笑い合っていた。すると、達矢が突然こんな事を言い始める。

「冬馬。お前、気になる人とかいないのかよ?」

「いねぇよ」

 考えるまでもなく、速攻でそう返すと、興味ありそうにこちらを見ていた加奈女が、不思議そうに首を傾げた。

「え? 少しも? ちょっとはいいな、とか思う人、いないの?」

「い、いないよ。知ってるだろ? お前と話すだけでもこんなんだぞ」

 そう言って俺は、冷や汗を拭く。

「せ、世界の半数と接するのが苦手な俺みたいなやつと、一緒に居たいと思ってくれる様な人はいねぇよ」

「……それ、ちょっと違うんじゃないか?」

 珍しく真剣な表情を浮かべる達矢に、俺は一瞬、足を止める。

「オレが聞いてるのは、お前が相手をどう思うかっていう気持ちであって、お前を見るよく知らねぇ奴の話じゃねぇ」

「……でも、誰かとの関係は、俺だけの気持ちじゃなくて、相手の気持ちも重要だろ?」

「だからって、相手を尊重するのを言い訳にして、自分の気持ちを殺す様な真似は止めろよ。一番大切なのは冬馬、お前の気持ちなのに、そんなんじゃ、それに気づけなくなるぞ」

「……そうだな」

 体育館に到着し、そこで達矢との会話は終了した。あいつの言いたいことはわかるし、俺を心配してくれているのも理解している。かなり胸に来る言葉だし、自分を軽視してはいけないというのは、確かにその通りだろう。

 ……でも、実際問題、どうすりゃいいんだよ。

 体育館に並べられたパイプ椅子に座りながら、マイナスな思考が頭を駆け巡る。

 気になる人? 誰かを好きになる? 恋愛対象に、俺は吸血鬼を選べない。嫌いではないが、怖いのだ。そんな存在、愛せるはずがない。

 では、人間相手なら? でも、俺はこのままだと普通に仕事をするのも難しそうなんだぞ? 大学で何を学ぶかも、基本的に引きこもる方向で検討しているのに、こんなやつ、誰が好きになってくれる? いや、この考え方も、達矢が言うにはおかしいのか。誰も好きになってくれないなら、相手に好きになってもらえるように努力しろ、という事だろうか? もし俺の好意が受け入れられたとしても、家から一歩も出ないヒモみたいな生活しか、俺は想像できない。そしてやはり、そんな俺の隣に居てくれる様な人の顔が、俺は全く想像ができない。

 校長先生の退屈な話を聞きながら、想像もできない、遥か遠い未来の話ではなく、俺は目の前の現実的な問題に頭を巡らせる事にした。

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