「大丈夫ですか? 立てますか? 冬馬さん、克実さん」

「無理そーだから、次のバス乗ろっかーぁ」

「す、すみま、せん」

「……わ、悪い」

 ここまでどうやって歩いて来たのか、記憶がまったくない。バス停に居るということは、あの幼稚園からは、無事脱出できたのだろう。

 停車していたバスが、俺達を置いて動き出す。顔を上げると、バス停に居るのは、俺達四人だけ。そのバス停の椅子に、ボロ雑巾みたいになった克実が、少し距離を取って、俺の隣に座っていた。雑巾のボロ具合は、俺も似たようなものだろう。

「申し訳ありません、冬馬さん、克実さん。わたくしがついていると言っておきながら」

「怖い思いさせ、ごめんねーぇ」

「い、いえ、ぞんな」

「……き、気持ち悪い」

「わ、わたくし、お水買ってきますわ!」

「あーしもついてくよっ!」

 アイリスと瑠利子が、慌てて走り出した。バス停には、俺と克実が残される。俺は深く深呼吸して、なんとか体を起こした。今は、冬の寒さに触れていた方が楽だ。そう言えば、こうして克実と二人になるのは、初めてかも知れない。

「……ま、マロンは、もう家に居ないんだっけ?」

「え? は、はい。も、もう、元のお家に、か、帰り、ました」

 克実もゆっくりと、体を起こす。

「こ、今度、お、お父さん、と、お、お母さん、と、い、一緒、に、ね、猫、猫ちゃん、見に、いくんです」

「……そ、そうか。良かったな」

 マロンを克実の家で預かることになってから、もう少しで一ヶ月ぐらいだろうか? 両親との相互理解は、猫を通して順調に進められているらしい。

 こんな体調じゃなければ、もう少し気の利いた事を言ってやれるのにとも思うが、今はもうこれが限界だ。申し訳なく思っていると、克実が俺の方へ視線を送ってくる。

「あ、ありが、とう、ご、ござい、ます」

「……き、気にするな。俺は、俺のためにやっただけだ。退学、したくないからな」

 もう、どの事についてお礼を言われているのかわからないが、ひとまず最後の課題をクリア、出来てるんだよな? 出来ているということにして、退学がなくなった事を喜ぼう。

「と、冬馬、くんは、ど、どうして、退学、したく、な、ない、の?」

「……そ、そう言えば、お前には言ってなかったな」

 深呼吸すると、幾分体調がマシになった。

 俺は、自分の恐怖の対象である吸血鬼との接点を、極力減らす職業に付きたいため、大学に行きたいことを伝えた。

「お、俺が吸血鬼を怖がるのは、血を吸われたからだ。俺が生きている限り、俺は俺の血を変えられない。俺はこの恐怖と、一生付き合ってくしかないんだよ」

 そう言うと、克実も少し、体を起こす。

「な、なら、だ、誰とも、会いたくない、なら、げ、ゲームとか、どう、ですか?」

「げ、ゲーム?」

「は、はい。り、リアルマネートレード、とかなら、げ、ゲーム、だけでお金、稼げるかな、って」

 リアルマネートレードとは、オンラインゲームやスマホアプリのアカウント、キャラクター、アイテム、ゲーム内仮想通貨などを、現実のお金で売買する行為の事だ。

「で、でもあれ、違法なんじゃないか?」

「さ、詐欺、とかは、も、もちろん、そ、そうで、す。で、でも、さ、最近、ちゃ、ちゃんとした、仲介業者、とか、あ、ある、みたい、で。け、結構、あ、安全、って話も、き、聞き、ました。わ、私も、ま、まだ、こ、怖く、て、や、やったこと、な、ないんで、すけど」

 すみません、と言って、克実は顔を俯ける。しかし、それとは対象的に、俺は今の話を結構真剣に吟味していた。

「い、いいや、参考になったよ。ありがとう」

 ……ゲームだけに限らず、ネット上でそういう、誰かが欲しい物を集めて売る、っていうのは、普通に仕事としてはありだな。売るものが物理的な物だと、その売買で対面でのコミュニケーションが発生するかも知れないが、データなら、その必要性も少なくなる。アプリを作るとかだと、大学で情報系の勉強した方がいいのか? でも、売れる仕組みを学んでおかないと、どんなものを作ったら売れるのか、知るすべがない。そうすると、経済、経営? でも、人の心の動きだと、心理学なのか?

「あ、あのっ!」

 思考の渦に飲まれていた俺は、克実の言葉で我に返る。

「ど、どうしたの?」

「と、冬馬くん、げ、ゲーム、す、好き、です、か?」

「そ、そりゃ、人並みには」

「こ、今度、た、たたた、対、戦、し、しま、せんか?」

「お、俺と、お前で?」

 克実は俺の方を見ず、深く頷く。しかし、俺には懸念があった。

「で、でも、普通にゲーム出来るか? 互いの事を怖がって、無理なんじゃ――」

「つ、つつつ、通信、対戦ならっ!」

 勢いよく顔を上げた克実が、揺れる翡翠の瞳で俺を見つめる。

「つ、通信、ね、ネット、とかなら、は、離れてても、で、出来ます、し、そ、それに、そう! く、訓練、訓練ですぅ! き、恐怖に、う、打ち勝つ、ための、れ、練習、を……。で、でも、そ、それだと、わ、私だけ、にしか、効果、なくなっ、ちゃぅ、か。あ、あの、だ、だったら――」

「い、いいよ」

 克実の言葉を遮って、俺はそう言った。今にも泣き出しそうな顔をしていたのに、今度は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を、克実は浮かべている。

「へ?」

「や、やろうよ、ゲーム」

「い、いいん、です、か?」

「だ、だから、いいよ」

 そんなに真剣に誘われたら、断りようがない。それに言った通り、俺もゲームは嫌いではない。

「し、しかし、それにしてもお前、本当にゲーム、好きだな?」

 そう言うと克実は、フードを目深に被りながら、それでも俺の方を見上げて、こういった。

「げ、ゲームも、す、好き、です、けど、と、冬馬、くんの事、も、き、嫌いじゃ、な、ないです、よぉっ?」

「う、うん、知ってる」

 だって、前に克実の家でそう聞いたからな。だが、既に既知の事実を確認しただけなのに、克実は何故だか熱湯で茹で上げられたタコの様な顔になっていた。

「ひ、ひひへふぅ」

「冬馬さん、克実さん、今戻りましたわっ!」

「おっみずっだよーぉんっ!」

 戻ってきたアイリスと瑠利子に手を振り、俺は克実に早く水を飲ませるように伝えた。

 空を見上げると、重たげな雲が、ゆっくりとしたスピードで流れている。後少ししたら、今年が終わる。その前に、二学期が終わり。

 そしてその後、クリスマスがやってくる。

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